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元糺の池(もとただすのいけ)は枯渇していると聞くけれど。ちょっと違うようだ。

前回「養蚕神社(蚕ノ社)」の概要でしたが、今回はその続きとなります。

木嶋神社の周辺地域は、御室川と宇多川が合流し、その下流では天神川に合流している。土地の高低差は川なり程度で多くは平地が広がり、周辺の古い住宅や町内には古井戸が点在している。6〜7世紀当時の環境がどこまで残っているかは不確かであるが、農業・産業の発展だけでなく生活するにも適した土地であったと推測できる。

木嶋神社の由緒書「元糺の池(もとただすのいけ)」の箇所には、次のような内容が記されています。

境内に「元糺の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う。糺は「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で、此の神池は身滌(みそぎ 身に罪又は穢のある時に心身を浄める)の行場である。夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬという俗信仰がある。

嵯峨天皇(52代天皇:在位809年〜823年)の時代に心身を浄める神池(糺の池)の役割を賀茂御祖神社(下鴨神社)に移したとされる。「糺の池」が移されたのは、ちょうど平安時代(794年〜1185年頃)であることから首都の整備計画の一環だと思われる。

木嶋神社の御神紋は「二葉葵(ふたばあおい)」であり、下鴨神社と同じ(上賀茂神社、松尾大社も同じ)。近年まで太秦を含む広域は「葛野郡」と呼ばれており、葛野(かどの)という呼称は古くは『日本書紀』にも登場する。その流れも踏まえても太秦の秦氏と下鴨神社の賀茂氏とは深い縁や共通する役割もあったであろう。

下鴨神社には「糺の森」と呼ばれる原生林が今もなお残されている。その森の中には「御手洗池」という神池はあるが「糺の池」とは呼ばれていないが、禊祓いをして、罪、けがれを祓う「足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)」が夏の土用の丑の日に行われることから「糺」云われを持つ池には間違いない。

木嶋神社の境内にも原生林がある。こちらは「元糺の森」と呼ばれており、本殿西側に「元糺の池」があり、下鴨神社と同じように夏の土用の丑の日に「足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)」行われている。平安時代の云われはまだ見聞きできていないが、おそらく公式な機能として役割は終えた後も、慣習として伝承されてきたのだろう。その池の中に非常に珍しい造形体である「三柱鳥居」があるが詳しくは後述する。


元糺の池は枯渇しているが、水脈は活きている。

近年、木嶋神社の水脈に大きな変化があった。1984年からその兆しがあり1993年頃に元糺の池は枯渇したとされ、その原因不明とされている。今も続く木嶋神社の「御手洗祭」など、行事に合わせて地下からポンプで水を汲み上げて水を満たしていることから、水脈として完全に枯渇しているという表現は異なる。

今も残る元糺の池から流れ出る下流に水路では、少し昔は農家の方が大根などの野菜を洗う洗い場があったとされている。正面の鳥居(二ノ鳥居)の南側は駐車場や幼稚園が建っているが、近年までは池(溜池?)もあったと聞くが、今は付近は住宅が増えたこともあってか、すっかり埋め立てられている。1000年以上の歴史からみると半世紀にも満たない期間であるので、この先再び自然に水が湧き出るのではないかと期待を寄せておく♪

参考)木嶋神社の湧き水を復活させる会
すでに更新は止まっているウェブサイトがある。管理は森ヶ東町まつり委員会という組織、すでに会としての継続的な活動も止まっているのだろう。

https://konosimawakimizu.omiki.com/

<続き:三柱鳥居


#木嶋神社 #蚕ノ社 #歴史 #京都 #太秦 #秦氏 #御手洗祭 #下鴨神社

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