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文月 第一話

雨の降る蒸し暑い7月の出来事だった。

当たり前の日常なはずの1日が生涯は忘れられない1日になることもある。

僕はその1日をそっと思い出し色々な感情をあと何度巡らせるのか?

生涯の中であの記憶を塗り替える1日は来るのかと考えながら今日も時間が砂のように流れていく。



シャツが肌に張り付きとても気持ちが悪い。

しかし人間とはおかしな生き物だ。

どんな時にも腹は減る。

今日の昼飯は何にするか考え始めた瞬間ポケットの中の携帯が小刻みに振動した。

この時間の電話はろくな事はないと僕は思っていた。

クライアントからの無茶振りか、上司の説教だろうと覚悟して画面も見ずに通話ボタンを押した。

電話の向こうの声は予想もしない人物だった。


「よお!ヨシ!!仕事中だと思って仕事携帯に電話した!悪いな!今少し話せるか??」

この声は忘れるはずもない。

それは小学校からの幼馴染で親友のタクからの半年ぶりの電話だった。

僕達は同じ高校を卒業した後タクは理系の大学に進学し、僕は営業会社に就職した。

タクは卒業後鉄道会社に去年就職して地方都市勤務となった。

ココ半年はお互いに忙しく、正月に長電話したのがつい昨日のように思い出され、梅雨時の憂鬱な気持ちが晴れわった。

僕は少し弾んだ声で「おう、ちょうど昼飯考えてたところだったよ。どうした?」

僕の心の中は少年時代にタイムスリップしていた。


そんな気持ちを知ってか知らずかタクは屈託のない声で

「急な話なんだけど、今日からそっち帰るから家泊めてくれないか??」

親友との夜は魅力的だ。ココ半年で起きたことや思い出を酒を飲みながら語り明かす事は何より楽しい。

しかし今はタイミングが悪い。

高校生の時から付き合っていた彼女と同性を初めたばかりだったのだ。

もちろんタクにはメールでその事は伝えていたが、同棲を初めたばかりの親友の家にいきなり泊まりにくるとは、どんな常識なのかを疑ったが、僕は冷静に今の状況をタクに伝えた。

タクからの返答は更に冷静なものだった。

「ヨシの状況はよくわかってるよ、でも俺もヨシに紹介したい人ができたんだ。」僕はすこし驚いた。

タクは超がつくほど奥手で、女性関係の話は学生時代もつい半年前の電話でも一切聞いていなかった。

しかしお互いに20代も半ばに差し掛かる一歩手前だし、タクは超大手企業の社員になったばかりだ。

少し遅い青春を謳歌しているのだろうと少し上からの目線で、僕はタクに「彼女に聞いてOK出たらな」と答えた。

タクは嬉しそうな声で「おう急に悪いな、車で帰るから返事はメールで頼むよ、駄目なら実家かホテルにでも泊まるから夜飲みくらいは付き合えよ」

僕は屈託なくOKの返事をして電話を切った。

僕はすぐに私用の携帯を取り出し僕の彼女にメールを素早く打った


To【のりちゃん】

タイトル:Re

本文:

急な話なんだけど、今日タクが多分彼女連れて

こっち帰って来るんだけど、泊まりにきていい

か?って今電話で聞かれた。

急過ぎてきついかな??



僕は彼女に頭が上がらない。

少し遠慮した口調で彼女からの返信を待った。

数分後彼女からのメールはあっけないものだった。



To【よしくん】

タイトル:Re:Re

本文:

え??良いんじゃない?

でも料理はヨシくんがしてね


僕は彼女の呆気ない返信に少し安堵して、タクに「OK」とだけメールした。

憂鬱な梅雨の昼は急に色鮮やかな世界にかわり、午後の仕事は捗った。
親友が多分彼女を連れて遊びに来る!
明日は休みだ!!

17時になり、今日は久々に残業せずに退勤する準備をしていると仕事用の携帯が机の上で振動した。

タクからの電話だった。

僕は携帯を掴みトイレまで小走りに移動した。

いくら親友でも仕事中に社用携帯で話している所を社内の人間に見られたくなかったのである。

電話はなんとか留守電になる直前で取ることができた。

タクは屈託の無い声で「悪い悪い!もうヨシの会社の近くまで来てるから帰り拾って行くよ」

僕はありがたい申し出に弾んだ声で「助かる」と伝え、帰りに「スーパー寄ってくれ」と付け加えた。

タクは「まだ時間あるから適当に買い物しておくよ。泊めてもらう宿代な」と気を使ってくれた。

僕はその申し出をありがたく受け入れることにした。

同棲したての我々はなにかにつけて物入りなのだ。

18時きっかりに僕は上司の怪訝の視線を見ないフリをして「お先に失礼します!おつかれさまでした!!」と言い切り会社を出た。

僕の勤めている会社は江東区東陽町にあり、僕達の新居は千葉の西船橋から歩いて15分の一軒家だ。

この家は彼女の祖母が一人で住んでいたのだが、高齢になり彼女の父親と住むことになったところを格安の家賃で借りることになったのだが、住むにあたって、少し手直ししたところ思いがけない出費もあり、僕も彼女も当分倹約生活だといつも話していた。

そんな家に帰るのにいつもであれば満員電車に揺られ、憂鬱な梅雨の時期に歩いて15分は正直しんどかった。

しかし今日は車での送迎でしかも親友との久しぶりの再開なのだ。

僕の顔はニヤついていたに違いない。

会社の入っているビルを出ると蒸し暑い風は吹いていたが、雨は降っていなかった。

周りを見渡し他県ナンバーの白のスポーツセダンを探した。

その車はすぐ見つかった。 つい数ヶ月前に納車されたというタクの愛車だ。

僕は小走りで駆け寄ると助手席の窓が開いた。

「よ!助手席乗れよ」幼馴染であり親友の屈託の無いタクの少しはにかんだ顔に僕も笑みがこぼれた。

しかし緊張の瞬間でもあった。

タクの紹介したい人は後部座席に座っている。

タクの愛車の後部座席はスモークが貼られていて中の様子はわからなかった。

僕は車に体を滑り込ませ、後部座席に振り向いた。

小柄な女性のシルエットを確認すると、少し窮屈な姿勢で自己紹介をした。

明るい可愛らしい声で「こちらこそよろしくお願いします。まいです。タクくんからいつもヨシくんの話聞いてるから、何かはじめてなきがしなくて」と返事があった。

僕はとても嬉しい気持ちになり、そこから一時間弱のドライブの間たわいもない会話で盛り上がった。

車内はとても心地よい時間なのだが、まいと名乗った親友の最愛の女性の全容が見えないというもどかしさで緊張にも似た時間が流れた。

ドライブの楽しさもあってかすぐに僕達の家の近まで到着した。
最寄りのコインパーキングに車を停め、買い物をしたスーパーの袋と簡単な荷物をトランクから出している時に僕は改めてまいとの初対面を迎えた。


身長は150センチくらいだろうか、小柄で黒い髪を後ろに束ねた瞳の大きな可愛らしい女性が、一番重い飲み物の入った袋を持ち上げようとしていた。

僕は慌てて「僕が持つから大丈夫だよ」と声をかけ、袋を掴み取った。

その時、微かにまいと手と手が触れ合い、危うく袋を落としそうになった僕を、まいは印象的な大きな瞳でいたずらっぽく僕を見つめた。


一瞬の沈黙の後、運転席からタクが「やっぱりこっちの暑さは気持ち悪いな〜。早くお前らの愛の巣に連れてけよ」と、軽口を叩きながら出てきた。

僕はこの一言で一瞬にして現実の世界に引き戻された。

コインパーキングから僕達の家までは歩いて1分も無く、家の近くまで来るともう彼女が帰ってきたとわかる程に家の中から光が漏れていた。

僕たちは築40年という少し建付けの悪くなった玄関を開け、一刻も早くクーラーの効いた部屋に辿りつくよう早足でリビングへ向かった。

彼女ののりちゃんも今さっき帰ってきたようで、仕事着のままキッチンを片付け、ビールを注ぐグラスの用意をしていた。

僕は「急にごめんね!仕事大丈夫だった??」と声をかけると、のりちゃんは少し僕を睨みつけてタクに向かって「車運転お疲れ様〜 大丈夫だった〜?」等と労ったあと、まいに優しく微笑みかけ簡単な自己紹介と、車の中で僕が何か失礼な事を言わなかったかと、笑い話に切り替えていた。

流石、僕はのりちゃんに頭が上がらないと思いつつ、スーツを脱ごうとしていた。

のりちゃんは僕の隣まできて小声で「お風呂場に着替え用意してあるからそっちで着替えて、ついでにシャワーも浴びてきて。汗臭いから」とほほえみながら呟き、タク達をリビングのソファーまで案内しに戻っていった。

僕は言われるまま、シャワーを浴びて本当に頭が上がらないと少しはにかみ、小さな幸せを感じながらタク達のいるリビングに戻ったのだった。

リビングでは、僕のビールが注がれており、まいがスーパーの惣菜のサラダを皿に盛り変えている最中だった。

タクとのりちゃんは高校の時からの仲なので、笑いながらビールを注ぎあっていた。

僕は呆気にとられて、少しぼーっとしていたが、タクが「早くこっち来て乾杯して、晩飯作ってくれよ」と僕を手招きした。

僕は言われるまま、3人の輪に入りグラスに注がれたビールを手にとって乾杯をした。

ビールを飲み干すと、自分が緊張していた事に気が付き少し可笑しくなったと同時に、何に緊張していたのか一瞬考えたがそれを考えている自分がまた可笑しくなり、すぐに考える事を諦めたのだった。

ここからは僕の出番だ。

唯一といって良い僕の特技は料理だからである。

恐らくタクは肉を買い込んでいるだろう。

僕は頭をカキながら頭の中でレシピの整理を始めた。

ソファーから立ち上がると、3人は僕の方を見て「早く飯作れ」と言わんばかりに見つめてくる。

子供がいる家の母親は、毎日この視線を浴びているのだろうか?

僕はソファーに戻る事は許されないと感じキッチンへ向かった。

今日はタクの大量に買い込んだ牛肉をトマトとデミグラスソースで軽く煮込んだ、洋風すき焼きにしようと心に決め、食材と向き合ったのだった。

リビングからはとめどない、他愛のない話が聞こえてくる。

僕は時々相槌は打つものの、料理の世界に没頭していった。

すると、聞き慣れない声で「ヨシ君は飲み物いらない?」と声をかけられ、一瞬まいがいる事を思い出しハッとした。

僕は料理をしている時に飲むのはあまり好きでは無いので、丁寧に断りその代わり前菜代わりに作ったカプレーゼを手渡し「もうすぐできるから、これでも摘んで飲んでてよ」と伝えてまいの背中を見送った。

日々のりちゃんと二人の暮らしはとても幸せに感じていたし、後悔などは一切ないけど、他の人のいる日常というのはそれで楽しいのかもしれない。

僕は急いで料理に戻り、あの輪の中に早く入りたいと思ったのだった。

程なくして、料理は仕上がりのりちゃんとタクが2階から下ろしてくれた、大きめのテーブルの上に料理をおき、のりちゃんの横に座った。

タクとまいもソファーから降りて床に座っている。

普段床に座ることのない僕は、つい「どっこいしょ」と言ってしまって、それを聞いたタクは「いよいよおっさんの仲間入りだな」と茶化してきたので僕も負けじと「いい会社に入って可愛い彼女もできたんだから、後は墓でも買うだけじゃないか?」と言い返し、ようやく会話の輪に入った気がしたのだった。

そこからの時間はとても楽しかった。

マイはタクの配属になった地方都市で看護学校を卒業後、地元の総合病院で看護師をしているのだと教えてくれた。

僕とのりちゃんは平凡なサラリーマンとOLだったので、全く違う世界の二人なのだと感じたが、話している内に昔好きだった漫画やドラマ、アイドルの話や、女の子二人のガールズトークを聞いていたら、ごく普通の女の子と僕の昔から知っている幼馴染で親友のタクだと気付かされ安堵したのだった。

ひとしきり食事が終わり、ビールから焼酎に切り替わる頃、僕は洗い物のためキッチンに向かおうと立ち上がろうとした。
つい「よっこいしょ」と口走りそうになり、慌てて口を噤んだがその様子はしっかり三人に見られていた。
しばらくの沈黙の後「おじさーん」という声と笑い声が部屋中に響き、この時間が一生続いたらいいと思いながら、僕も釣られて笑ってしまった。

僕は少し酒臭く、料理の匂いが残ったリビングを後にして、洗い物に取り組もうとキッチンへ向かった。

キッチンで洗い物をしていても響く笑い声と他愛のない話はしばらく続いていたが、食器を拭き取ろうとした瞬間、ようやく聞き慣れたまいの声で「一人で全部やってもらってごめんね、手伝うよ」と僕の横にスッと入り込んできた。初め僕は断ったが、大きな瞳から強い意志を感じたので、折れて、食器を拭いてもらうことにした。
僕は食器を食器棚に戻してまいは手際よく食器に残った水を拭き取ってくれたため、あっという間に洗い物が済んだのはありがたかった。

リビングでは少し酔ったのりちゃんのが「浮気すんなよ〜」とヤジると、タクは「追い出されるぞ〜」等と悪ふざけをしている。

高校時代からの付き合い初めたのりちゃんと僕であったので、当然タクとのりちゃんは面識もあり、たくの大学時代には、同僚の女の子を何度かタクに紹介した事もあった。
タクのお眼鏡に叶わなかったのか、お相手の好みでは無かったのか、進展したといった話は一切聞かなかった。
そんなタクがこんなに可愛らしく、しっかりした女の子を突然つれてきたのは驚いたが、同時に誇らしくもあった。

そんな事を一人で考えているうちに、付けを終わらせ、オツマミを手に取ってリビングに戻ろうとした瞬間小さなまいの声が「ゴメンね」と呟いた。
僕は謝られるようなことをされてないし、なんの事か全くわからなかった。
「何で?」と口にしようとした瞬間、まいはリビングに小走りで戻っていった。

第二話に続く

【sai】コメント
文月第一話を最後まで読んでいただきありがとうございました。
この話は私の体験を元にフィクションを織り込んだ物語になっています。
「ヨシ」と「のりちゃん」幼馴染で親友の「タク」と彼女の「まい」は青春の終わりかけである20代半ばにどのような経験をして、何を感じて行くのでしょうか?
皆様の青春の1ページを思い出していただけると嬉しいと思い、大切に書かせていただきました。
拙い文章ではありますが応援いただけると励みになります。
是非第二話もお読みいただけると幸いです。

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