偽善の命③

八野は奇跡的に生きているという状態だった。もう一度奇跡が起こらないと八野は元には戻らない。奥様と娘さんは大きな不安に潰されそうになりながらそれを願っていた。

病院から出て数十分後、眼に疲れが出始めた。結局、朝早くからずっと動きっぱなしだった。これ以上無理をすると眼球が揺れるような症状が出て気分が悪くなるかもしれない。

コンビニでミルクフランスとコーラゼロを買い、外の寒さを忘れるほどエアコンをつけて、10分後に目覚ましをセットしてまぶたを閉じた。

「京都 命助かる 神社 寺」

気づけばそんなことを検索していた。目覚ましが鳴る前に目覚めていた。数分はまぶたを閉じていたので眼は少しマシになっていた。

スマホの画面にたくさんの情報が出てきて、疲れた頭と眼では読むこと選ぶことが面倒臭いと思った。検索ワードに「伏見」を追加すると稲荷神社が出てきた。この時期の稲荷神社は外国人観光客で溢れ返っているだろうし、それも面倒だと思った。

神頼みなんて、お腹が痛い時と競馬の写真判定の時にしかしたことがない。そんな僕が祈ったところで何も変わらない。いつの間にかそう思ってスマホを助手席に置き、残った仕事を片付けに京都へ戻る。


そういえば、まだ二人が仲良く仕事をして仲良く遊んでいた頃、神の御告げを二人で聞いたことがあった。そんなことを思い返す。

数年前、仕事を終えてからお互いの自家用車の前でいつもみたいにふざけた話を小一時間程してから家に帰っている途中、八野から電話がかかってきた。

「財布がない!どっかで落とした!」

八野はいつも話しながら自家用車のフロントガラスのワイパーのところに財布を置く癖がある。そのままの状態で発車したのだとすぐにわかり、それを伝えてみる。

「さすがは俺よりも俺を知る上司!じゃあ俺が言いたい事もわかるな?」

八野は会社の駐車場まで戻りながら財布を探す。僕は八野が帰るルートを辿りながら財布を探す。つまりはそういうことだった。僕はすぐに会社の駐車場まで戻って出発した。

八野は会社の近くだというのに一旦停止の違反で警察に捕まったことがある。八野はその点滅信号では大袈裟な止まり方をするので、その辺に落ちている気がした。そしてすぐに財布は見つかった。

誰かが一度拾った形跡があり、免許証やポイントカードはばら撒かれていた。それを拾い集めていると八野が到着する。

「ひどいな。でも良かった。免許証とキャッシュカードと財布だけあればいい」

財布は確か、娘さんから貰った物だと言っていた気がする。拾った財布を渡すと、八野は僕の前で財布を開けた。

現金顧客のお釣り用ということで多めの小銭と千円札数枚が無くなっていたらしい。そしてカードは全てばら撒かれていた。悲惨過ぎて逆に笑えた。僕らの場合、不幸は明日からの笑いに変わる。

「小銭も全部って…鬼かよ。最後にカード投げ捨てるって…なぁ?」

「めっちゃ面白いですけどね」

「おっ…おい!これを見ろ!!」

八野は財布の中を見ながら急に大きな声を出した。空っぽになっていた財布の中から、外れ馬券1枚とスロットのメダルが2枚出てきた。八野の財布にはそれだけが残っていた。

「これ、どういう意味かわかるか?」

「今後どんなことがあっても一生ギャンブルを続けろという神の御告げですね」

そんなことを言って二人で大笑いをした。その後、八野は僕から三千円を借りて、その三千円で僕にラーメンをご馳走様してくれる。

「金落とした人から奢られたくないです。なんか縁起悪いですし」

「かまへん。これは礼や。好きなだけ食え」

「それよりも73000円ですよ。八野さんの借金」

「それもかまへん。お前から10万借りることを目標にしてる」

八野はダメ人間の代表者だった。漢気ゼロなのに漢気があるような気がした。こんな奴にならないように気をつけようと思った。でも、八野との日々はとても楽しい思い出ばかりになっていた。



そういえばと思うことがあって、僕は伊勢丹京都の関係者エレベーターを待っている時に財布の中を見ていた。

財布の奥からあの時に八野から貰ったメダルが1枚出てきた。口を利かなくなってから約3年後、忘れられていた思い出が蘇った。


仕事を終えた僕は、気づけば六波羅蜜寺の賽銭箱に10円玉を4枚と八野があの時に無理矢理渡してきたメダルを投げ入れて手を合わせていた。メダルには約20円の価値があり、60円あればスロットを一度だけ回せるからだ。自分の命を引いてこい。もしギャンブルの神様が本当にいるなら、その1回転のチャンスを八野に与えてくれと願った。

この世には僕や八野なんかよりも助からなきゃいけない命で溢れている。救われない命で溢れている。八野のことが嫌いで、この数時間の間、何度も死んでしまえばいいと思った。

でも、ご家族の涙を見てしまった。八野には八野の為に涙を流す家族がいる。僕なんかよりもずっと生きる価値がある。今の八野のことを知る人間は限られている。その中の他人の誰かが、八野の為に祈ってもおかしくはないはずだ。八野の生命を祈る他人がこの世に1人くらいいてもいいはずだ。

それが僕だ。これは僕にしかできない。

罰でも不幸でも今は全て僕がもらう。八野なんか救われなくてもいい。でも、八野の家族が悲しむのは嫌だ。


少し長い間祈っていた気がする。祈りの中で何度も迷ったり意見を変えていたりした気もする。

寺を出ようとした時、説明文に「生きる力」と書かれた御守りを見つけてすぐに買った。

それは御守りの意味としてだけではなく、

「その御守り600円したんですよ」

なんて言いながら、いつか元気になった八野にまるで600円を請求するかのように手のひらを出して笑いたいなんてことを瞬時に想像していたからだ。

「俺の命は600円!イェイ!!」

そんな罰当たりでふざけた返事を笑いながらしてくれる八野を想像しながら、僕は再び滋賀へ向かう。



…続く。

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