偽善の命①

観光シーズンも過ぎ去りすっかり静かになった嵐山の朝をまるで独り占める連休明け。その日のランチの店を考えながら仕事をするなんてことは久々で、少しの余裕を贅沢に味わう。

大好きな中華屋であんかけ焼きそばを食べようと決めた後、滋賀県の得意先の料理長から電話がかかってくる。

「調理場で八野さんが倒れて、救急車で運ばれた」

八野は同じ会社の営業マン。丁寧にお詫びを言ってその後のことを話してから電話を切ると、いろんなことに苛立ちを覚える。

なぜ会社ではなくて僕にかかってきたのか。会社に電話するよりも僕に話した方が全てがスムーズにいくと超効率主義者の料理長は思ったのだろう。それは悪い気はしないが、今から僕がバタバタしなければならない。しっかりとジョーカーを引いてしまった気分になる。

なぜ八野は倒れたのか。連休明けだから疲労ではない。元々血圧がとても高く、煙草も酒もやめるように医者から言われているのに、八野は絶対にやめない。そして、パチンコが大好きだ。きっと連休は朝から晩までパチンコを打っていたに違いない。

会社に八野が倒れたことを電話する。ダメな会社の典型例のような会話が展開され、更に苛立ち途中で電話を切った。やはり料理長の選択は間違っていなかった。

何に一番苛立ったかというと、八野が倒れたせいであんかけ焼きそばがお預けになってしまった。車の中で一人、わざとらしい大きめの舌打ちをした。


ご家族の方や料理長との電話を繰り返しながら、気づけば急いで滋賀県に向かっていた。八野のことはご家族の方に任せて、僕は得意先へ向かう。副料理長から話を聞き、預かってもらっていた八野の営業車の鍵を受け取る。

「どうせパチンコのし過ぎでしょ?それか煙草の吸い過ぎ」

「そうでしょうね。倒れた時にちゃんと顔踏んづけてくれました?というより、なんで止めを刺してくれなかったんですか?」

副料理長と僕は年齢も近く、以前に担当していたということもあり、そんな冗談混じりの会話をする。八野の営業車から残った食材と伝票を積み替えて再び鍵を副料理長に預けた時、別の若い調理場の方からアイコスと煙草とライターを受け取る。

「八野さんが倒れた時、煙草を止めてないことが家族にバレたら怒られるから預かってくれと…」

呆れた。八野は足が痛いから少し座らせてくれと言った後、汗をかきながらそのまま倒れてその人に煙草を託したそうだ。

八野が運ばれたのはその得意先から15分程の距離で、次に向かう得意先も同じ方向だったので、僕はご家族の前で煙草を渡してやろうと思って病院へ向かう。


八野は年齢も社歴も15年先輩。昔はとても可愛がってもらっていて、僕も師匠と呼んでいたし思っていた。しかし、ある事がきっかけでもう3年程まともに口を利いていなかった。

上着のポケット2つに煙草。ズボンの左ポケットにライター、そして右ポケットには病院で買った缶コーヒーを入れる。ご家族の前で、

「得意先から預かってきたけど、どのポケットにしますか?」

と、ロシアンルーレット風のお遊びをしよう。そんなことを思いついていた。

しかし、その病院には八野も八野のご家族もいなかった。もう別の病院に移ってしまったらしい。



…続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?