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お母さん、ありがとう。

当つるに柔く冷たし母の頬 白き柩ひつぎに小さく眠る


みなさんのお母さんは、どんな人ですか?
今日は私の母のこと、お話しさせてください。

今年の春、私の母が亡くなりました。
私の母は謙虚で強くて優しくて可愛いい、
私にとって「たんぽぽ」みたいな人でした。

姉たちは小さい頃よく叱られたと言いますが、
四番目の私と五番目の妹は、叱られたことなどなかったように思います。

ただ、母は私が教師になって地元へ戻ることを望んでいましたが、
母の思うような進路に進まなかった事で、悲しい顔をした母の顔だけは覚えています。そんな時も、母は私を責めたりせず、後には一緒に面白がって私の進路を応援してくれました。

若い頃はわがままで病気がちな父を助けながら、
5人の子供を育て上げました。

母は誰にでも好かれていたと思います。
学校から帰るといつも、近所のおばさんたちがお茶を飲みに来ていました。

高校を出てから一人暮らしを始めた私は電話が苦手で、
母に電話を掛けることも少なかったので
寂しい思いをしていた母に、気づかない時期もありました。

母は64歳の冬に白血病を患いました。小さな身体で治療を受け入れ、
治癒させました。けれど、治療中の強い薬のせいか、脚が弱くなってしまい、車椅子生活に。それからは決して丈夫とは言えない暮らしでした。

晩年は妹家族のところで、かわいいおばあちゃんで可愛がられて暮らしました。デイサービスでもみなさんに可愛がられていたと聞きました。
母の笑顔は、いるだけでみんなの心を支えてくれていたように思います。

4年前には、母はストーマ手術を受けました。
母は受けたくなかったと思います。それを娘たちが”心の支え”がなくなるのが怖くて、受けてもらった手術のように思います。

「みんなに良くしてもらって本当にお母さんは幸せ。でも、身体が動かないから、みんなに迷惑をかけてすまない。」
もう家事もできず、介護してもらうだけの日々は、自分の存在意義を疑っていたと思います。「生きる」ことが辛かったかもしれません。。

けれど、いてくれるだけで娘や孫達の支えになっている、という母の役割を、母は理解してくれていたでしょうか。葬儀には、全国に散らばった孫たちも積極的に集まってくれました。

今でも私は夕方になると、「お母さん、お腹空いたぁ」と
車のハンドルを握りながら一人で呟くことがあります。
すると故郷の家の小さな台所で、夕飯を作る少しぽっちゃりした母の姿が見えてくるのです。
母は前掛けで手を拭きながら「お帰り」と言ってくれて、反抗期の私は父とは目を合わさないようにして、居間兼、食卓兼、勉強部屋の6畳間のこたつに入り、千代の富士の相撲中継を見るのです。

お金がなくても、将来が見えなくても、私は幸せだったんだなあ。

お母さん、お疲れ様。ありがとう。
天国でもう少し待っててね。

いま、そんなことを思っています。





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亡父の詩集を改めて本にしてあげたいと思って色々やっています。楽しみながら、でも、私の活動が誰かの役に立つものでありたいと願って日々、奮闘しています。