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「あわい」についておもう(1)

漫画「花よりも花のごとく

を読んで、能に興味を持つようになりましたが、
(でも、まだ観たことない・・・)
その前に、買っていた本がありました。

安田登 著「あわいの力

なかなか読みすすめることができなかったのですが、能に興味が湧いてきたおかげで読みすすめることができました。

安田登さんは、能楽師なのです。

能初心者のわたしにも、
能には役割があることがわかってきました。

シテとワキ、狂言
あと、笛とか鼓、地謡とか

花よりも花のごとくの成田美名子さんは、
扇に例えていました。

シテは、主役だけど異界の人。能面をつける人
扇の地紙の裏表がシテ方と狂言方
すべてをつなぐ骨は囃子方
扇の開く支点となり要となる部分がワキ。
世界を開きとじる要。
(漫画2巻参照)

ワキは能面をつけません。

ワキは現世の人
だけど、異界にいるシテと観客をつなぐ「媒体」

安田さんは、ワキ方ですが、
ワキは「あわい」だとおっしゃる。

さて、私が「あわい」を初めて知ったのは、
上橋菜穂子 著「狐笛のかなた」を読んでからです。

この本に出てくる「あわい」は、
霊獣の住む異界と人間が住む現世との間にある世界でした。

性質の違うものたちが交わる境界は、
多様性がうまれるところ。
一方で、争いも生じやすい、
混沌としているイメージ。

そして、移り変わる、輪郭が定まらない感覚
夕暮れ時や、朝焼け
あなた、なのか、わたし、なのか、
個人が定まらない感覚・・・
(君の名は。のかたわれ時みたい。)   

それが、わたしが「あわい」から感じるイメージです。

「あわい」が気になり、
手にとった本が、この「あわいの力」

“「心の時代」の次の時代を生きる” 
という副題がついています。

安田さんによると、
古代人は、心(こころ)を持たなかったというのです。

日本的な心(こころ)は三層構造

表層が、「心(こころ)」
その下が「おもひ」
最も深い層に「心(しん)」

むむむ。
分かるようで、分からない・・・。

野生動物に置き換えると、
わたしは分かりやすかったです。

野生動物は、「今」を生きている。将来、他の獣に襲われて死ぬこと、を憂いたりはしない。
(でも、自分を襲ったマタギの顔を覚えていて襲うみたいだ。)

古代人は、そういう感じだったのかなあ、と。

心(こころ)を持つようになったのは、
文字を持つようになってからなのだそうです。

アイヌは、文字を持たないから、古代人に近いのかな。先住民は、国を問わず、森羅万象に神を見ます。

心(こころ)は、揺れ動く
情念みたいなものだろうか?

では、心(しん)は?

芯、神、真・・・

不動の、真ん中にあるもの。

世阿弥は、「心(しん)より心(しん)に伝うる花」という言葉を残しています。(30ページ)

「人間の感情のずっとずっと奥にあり」
「言葉を伴うことなく一瞬にして相手に伝わる何か」
「以心伝心の心(しん)」


その心(しん)と私たちをつなぐのが、
ワキであり、「あわい」なのではないかと。

安田さんは、
心(こころ)が生まれたことによる副作用
うつ病や自殺など
これに対して、心(しん)が有効なのではないか、と果敢に探求なさっています。

この方は、すごい・・・。

身体感覚に秘密があるようです。

能の振り付けには、意味が無いらしいのですが、
心(こころ)をおもひに
おもひを心(しん)に
昇華するための身体の動きなのかなあ、と感じます。

淡々と型どおりに舞う(ニュートラル?)
ことで、見る人が、その姿に自分を映し出す。

そのとき、
演じる人と、観る人が、一体になり、
心(しん)を感じるのかなあ?

はあー

まだまだ、「あわいの力」読み込めていません!


「あわい」の探求はつづく。たぶん(←こればっかり)


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