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#26 これからの時代に人を繋ぐのは何か、人見知りなりに考える

こんにちは。sacaikumiです。

この「考える」マガジンでは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いています。

私がこれまでに「これを克服できたらどんなに良いだろう!」と何百回も願ってきたもののひとつが人見知り。

人見知りにも色々な種類があるけど、私の場合ある程度仲良くなる前の他者と過ごせる時間と人数の上限が著しく低いタイプ。しかも仲良くなるにもそれなりに時間がかかるし、出来る限り少ない人数で集まりたいっていう、融通が効かなさすぎるタイプの人間です。

いっぺんに集まるのが4人くらいまでならその日限りは結構頑張れちゃう、でもそれ以上の人数がざっくばらんに集まって目の前の人と近況報告をしたり、会った事がない者同士がお互いどんな人間なのかを示しあったり…というのがとにかく苦手。つまるところパーティに不向きです。口角がうまく上がらず、何を話して良いか分からない時の常套手段「飲み物取ってきます...」を言わずに帰れた記憶がありません。

そういう場に出向くと私の生真面目な脳みそは<外面を良く見せろ!>と命令し、普段は使わずに心の中の倉庫にしまいこんだ蒸気機関車ばりに古びた社交力を引っ張り出してファンファンと一生懸命煙を吹いて、吹きすぎて、後日体調を崩してしまうのです… 新幹線や飛行機のように速くてパワフルな社交力を持った人になんて絶対になれない、エンジンのシステムが違うのだから。

今ロックダウン下の外国にいることでオフィシャルな社交をしなくなって、案の定、全く体調を崩さなくなりました。

私はいち人見知りとして、これからの時代の人間関係を豊かに育てていくために何が出来るか考え直してみました。主に人見知りのための人間関係構築方法のアイデアです。

1・怖がらずに自分の価値と向き合うこと。

大人になってからの人付き合いってどうしても「私は目の前のこの人にどんなベネフィットを与えられるだろう」と考えてしまう。私は昔から、自分自身の価値を所属先と持ち物に預ける人にはなりたくない、と思ってきました。もちろんそれはそういう価値観の人を批判したいのではなくて、私が自分で自分に誇れるポイントは別の場所で探したいと思っていたということです。でも、私自身がそう思ったとしても、相手の価値観のものさしにそういった項目が含まれていたとしたら、私がどれだけ仲良くなりたいと思ったとしても仲良くなる機会さえ得られないかもしれません。

さらにSNSが流通している今は価値が数字に紐付くこともしばしば。例えばSNSのフォロワーが1万人だったらちょっとした発言で広告塔になれたり、フォロワーが1000人だったとしても社会的権限の強い人脈が揃っていればその呟きがしかるべき人に届くかもしれない...。と考えてしまうとますます自分の価値が見えなくなってしまう。

だから、今こそ私は私として確固たる自分だけの価値の芽を探して、水をやって丁寧に育てなくてはと思うんです。私が相手に伝えたい自分の価値を、相手がきちんと受け取れるように。そこまで準備してようやく「自分自身の価値を所属先と持ち物に預ける人にならないが達成されるんだってことにやっと気がつきました。

今、私はひとつひとつの「私とあなた」を大切にしたいと思っています。人付き合いって心の距離のグラデーションがあるじゃないですか。ほとんど毎日なんでもない内容の連絡を取るような間柄の近しい友人や恋人も、何ヶ月かに一回「最近どう?」って連絡をして積もった近況を報告し合うような友人も、直接会えるのは時々だけれど実は少し憧れているあの人も。どんな関係においても「私とあなた」ということだけは共通していて、それはその人としか築くことが出来ない関係性。その関係性が「友人」なのか「親友」なのか「知人」なのか「恋人」なのかっていうラベルって、あんまりというか全然意味をなさないなって思いました。あくまでも私にとっては。

それよりもっと大切なのは、その人とどんな会話がしたいか、どんな空気を共有したいか、どんな風に思いやれるかっていうその関係性の中身の方だと思うんです。

私は色々と考えたり、考えたことを言葉やビジュアルに変換することが今のところ生きる上での大きな彩りのひとつになっているから、それらを使って目の前の「あなた」のために何が出来るだろうと考えていくことが私の幸せの種にもなるし、私の価値を見つける手立てにもなっていて。つまるところ私と関わる全ての人によって私の価値が作られていると思うと、人との関わり合いってとても美しいものだと感じるのです。

全員と出来る限り親密になることがゴールじゃなくて、その人としか作れない「私とあなた」を通してもっともっとお互いの価値の芽を育て合えるような、そんな人でありたいな、あれるようにシャンとしてたいなと思います。

2・目の前の人に憧れること、相手ならではの価値に焦点を合わせること

私が苦手な人見知りを飲み込んででも「ここは頑張りたい!」と思う時が、素敵な人と出会えた時。この人と仲良くなれたら嬉しいから人見知りなんていう100%私都合の問題には一旦引っ込んでてもらおう。と気合を入れたくなるような出会いは力をくれます。

私の場合、友達が半自動的に作れる大学を卒業してから出会って仲良くなった方々はこういうつながりがほとんど。

相手に憧れる気持ちって自分が求めているものが何かを知れて、純粋な敬意が生み出す感情で、その上相手に求めるものは何もないところに健やかさを感じて、最近大切にしています。昔々、学生の頃は憧れる気持ちがふつうの会話に支障をきたすことも起こっていたけれど、その当時の憧れ方は相手を虚像として神格化した結果だったので、今はあくまでも生身の人間同志として憧れたい。

そう思って最近は、出来る限り思ったことは素直に本人に伝えさせていただいてます。私から突然温度の高い文章が送られてきたことで相手をびっくりさせているかもしれないという副作用があるけれど。

それから人に憧れることを積極的に行う上で改めて周りの人達を見渡してみると、私はいろんな形で憧れたい要素を持った人たちに囲まれていることを知れます。

3・人とのつながり方のシステムが異なる街との出会い

私は生まれこそ田舎ですが、人生のほとんどの時間を東京で過ごしてきました。今年、29年住んだ街を生まれて初めて離れてみて、東京って凄くかっこいい街だなって思ったんです。

そして私は半ば無意識に、そんな"かっこいい東京でガツガツ働くかっこいいデザイナーの自分"を追い求め続けていたように思います。だから昔からの友達に会う時だって会場は銀座、代々木、渋谷、中目黒!ヘアメイクもバッチリ施し、これから会う相手に合わせて慎重に選んだ洋服に身を包みいざ出陣!(どどん!)というライフスタイルを涼しい顔でこなしていました。

勿論私はどの街も好きだし、ヘアメイクも洋服もすごく好きだから、友達に会うための身支度・お店探しの一連を毎回とても楽しませてもらっているのですが、それらの努力を100%私がしたくてしていたかというと少し疑問。少し疲れていても絶対に欠かさなかった背景には、かっこいい東京を生き抜く人として恥のないように振る舞いたい私が潜んでいたのかなと思います。

そして、そんな自分で友達と過ごす時間はどれだけ楽しくても自分にとって「オフィシャルな社交」だったように思うんです。だから続くと疲れちゃう。

事実、近所に住む友人の家までパジャマ姿で遊びに行ってダラダラ過ごした時や、その日の夕方に今からどこでも良いから話そう!と約束を取り付けて適当な喫茶店でベラベラと夢中になって話を聞いてもらった時はぜーんぜん疲れなかった、むしろエナジーチャージされたと感じていたのだから。

東京に住むわたしという男性・女性はこうありたい!みたいな意志の集結が東京をかっこよくしているのだろうし、同時に私のような社交力の著しく低い人間の心をすり減らしているとすると、それは私にとって凄くもどかしいなと思いました。

そこで閃いたのは、かっこよくない街で人と出会うと自分がどうなるのか。かっこよくない街というと悪口みたいですが、要するに、気負わない街です。それは必ずしも異国というわけでもないように思います。同じ日本でも地域によって人とのつながり方が少しずつ違っているから。

こればかりはいろんな街に住んでみないと分からないし、自分にとっての正解を引き当てるまでにどのくらい時間がかかるかも全く読めないから、そんな街に出会えたらラッキーくらいに思うのが良いかもしれませんね。

でも、今年コロナでリモートワークが一気に広まったことで、フリーランスじゃなくても別の街に住むという選択を持てる人が増えていくでしょうから、思い切って引っ越してみるのも楽しそう。

私は今外国にいるので、全く違う文化の思想や言葉の成り立ち、挨拶の仕方など、何もかも違うシステムを通して、私の人見知りは一体どう無力化するんだろうということが気になっています。人に会えないから実験できないんだけど。

東京に居た時はなるべくオフィシャルな社交は週1回を上限とすることでバランスを取っていた私ですが、文化や街が変わることでそんな無理しなくてもよくなるとしたら希望です。

◇◇◇

以上、今の私の頭に思い浮かんだことを3つ挙げてみました。結局いつものように自分の内側と向き合うことに帰結してしまいましたが、多くの人と同時にコミュニケーションを取るのが難しいからこそ、自分を知って、ここぞという人との出会いの時に頑張りたいな。

最後に。SNSの役割がこれまでより少しアップデートされて、多くの人たちが意見をのべたり言葉を連ねたりするための機能を本格的に持ち始めたことで、SNSと人間関係の関係性もこの先少しずつ変わっていくのだと思います。というか、もう変わり始めていますね。

私はSNSを私的に細々と楽しんできただけの人だけれど、それでも情報の窓口をこれまでよりも小さく・限定的にしました。今SNSから救い上げたい情報は「みんなの今」じゃなくて「あなたの今の考えは?」に変わった傾向にあります。

そんな中で、今回の記事に書いたことは、これからどんな時代に変わっていったとしても、私の中でずっと揺るがずに在り続けてくれるような気がしています。

あなたが人間関係の中で大切にしていること、もしよかったら聞かせてください :)

最後まで読んでくださってありがとうございました。

記事を読んでいただきありがとうございます。個人的な情報を含まない記事は全て無料で公開しているので、気に入って頂けたらサポートしてくれると大変励みになります:)