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あなたは「器」を持っていますか?

こんにちは。Saka.先生です。

最近、様々な記事にコメントをくださることも増えまして、とても嬉しい気持ちになっております。
多様な「解」を持った方たちと交流すると、非常にわくわくします。
いつも本当にありがとうございます

今回は、多様な「解」に関わって、「器」の話をしていきたいと思います。



①世の中にあふれている多様な「解」

この記事でいう「解」とは、

1  「ある物事に対しての人の考え」(解釈)
2  「ある物事が上手くいく行為」(解答)

という意味を指すとします。

当たり前のことかもしれませんが、この世界にはたくさんの「解」があふれています。

それぞれの人間がここまで生きてきた背景や文化が全然違うためです。

また、LGBTQを含めた性の多様性、言語、人種、性格、仕事、など…
違いを挙げ始めたらいくつも挙げられるでしょう。

「みんな違ってみんないい」という言葉もあります。
みんな違っているからこそ面白いのです。

そのような世界で、人間は共生しています。
たくさんの「解」を受け入れながら共生しているのです。

数学のように、ただ1つの「解」が存在するのであれば、この世界はもっと単純明快なはずです。

「解」が1つであれば、政治家や教育者も、その「解」に沿って進めていけば、誰でも上手くいくはずです。

しかし、現実はそんなに甘くありません。

政治は、先行きが不透明な状態で、どのような政策を行っていけば上手くいくのかを試行錯誤しながら考えていきます。

教育だって、子どものためにはどのような教育をしていけばよいかを試行錯誤しながら考えていきます。

国民は、様々な「解」を持っています。Aと考える人もいれば、Bと考える人もいます。

子どもも毎日変化の連続で、昨日はCと言ったのに、今日はDと言うときもあります。

1つの物事に対して多様な「解」があり、単純明快ではないからこそ、やりがいがある世界なのではないでしょうか。

②人の「解」を受け入れられる「器」を持つ


川勝知事の発言が記憶に新しいですね。

どの仕事が偉いとかはなく、あらゆる仕事があるからこの世界は成り立っているはずですよね。
しかし、自分が「この仕事は偉い、この仕事はだめだ」と線引きしている人は、否定をしてしまう。

それと同じように、「〇〇」という問いに対して、何十、何百の「解」が存在するとしても、自分の「△△」という「解」以外は受け入れられないという方もいます。

そこで、「◆◆なんておかしい、△△に決まっている」と思考するのではなく、「△△と考えていたけど、◆◆という考え方もあるのか」というように、大きな「器」で受け入れられるようにしていきたいですね。

「心のコップ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

自分が正しいと決めつけている人 → コップが下を向いている状態
他の考え方も受け入れられる人  → コップが上を向いている状態 

コップが上を向いている状態の人は、様々な「解」を受け入れることができます
その状態の人のほうが、知見を広げることができるでしょう。


毎日、noteの記事をたくさん拝読するのですが、様々な「解」があふれていると感じます。

例えば、
「売れるには毎日投稿すべきだ」という人もいれば、
「毎日投稿は必要ない」という人もいます。

「たくさんフォローをしてフォロワーを伸ばすべきだ」という人もいれば、
「たくさんフォローをして得たフォロワーは実質的な読者ではないので意味がない」という人もいます。

直近で投稿した学級びらきに関しても、
「最初の数日間が肝心」という人もいれば、
「1年間を通してゆっくり話せばいい」という人もいます。

私は、これでいいと思うのです。

様々な「解」を引き出しにしまい、その引き出しの中から自分に合う「解」を取捨選択していけばいい

先述した通り、この世界には様々な「解」を持った人間が共生しています。

そのため、全員に合致するただ1つの「解」など存在はしないのです。
100人いれば、100通りの「解」が必要になるかもしれません。
Aさんの「解」はBさんには刺さらないかもしれないけど、Cさんにはグッサリ刺さるかもしれません。

自分の「解」が、1人にでも刺さるかもしれない

そういう想いで、私はこれからも発信していきたいと考えています。

人の「解」を受け入れられる「器」を持つと、人生も楽になるかもしれませんね。

③多様な「解」を否定する人とは距離を置こう


私が勤務していた学校に、こんなことを言う先生がいました。

「すぐ休むなんて、今の子どもは弱すぎる」

悲しい言葉だな、と思いました。
生徒に対してこのような言葉かけができるのかと。

生徒は、自己防衛のために「休む」という選択をしただけなのに、その「解」を否定してしまっています。

別に私に何か言われたわけでもないですが、私も学校を休むことがありました。
遠回しに自分に言われている気もして、気分が滅入ったこともありました。


こんな人もいませんか。例えば、AさんがK-POPをとても好きだとしましょう。そして、Bさんが次のように言います。

「K-POPなんて何がいいの? 日本の音楽のほうがいいに決まってるじゃん」

こういうふうに、自分の「解」とは違うもの、自分が好きではないものを否定したがる人っていませんか。

この例でいうと、K-POPが好きなAさんはどんな気持ちになるでしょうか。

noteには、影響力がある人もいれば、自分のペースでやっている人もいます。
努力の結果、数千のフォロワー様がいる方もいれば、数十のフォロワー様でやっている方もいます。

学校や社会でもそうです。
勉強ができる人もいれば、できない人もいます。
仕事を休まずに行ける人もいれば、しんどくなる人もいます。

様々な「解」を持った人が共生しているわけですから、その「解」を真っ向から否定してしまっては、共生なんてできませんよね。

自分の「解」や、自分が好きなものを否定してくるような人とは、距離を置いたほうが楽になるかもしれません。
(その否定してくる人が気づいてくれたら一番いいのですが…)

もちろん、「否定」と「意見」は違うわけですから、ある「解」に対して「意見」を言い合うのは、時には必要なこともありますよ。

まとめると


この世界には様々な人がいて、その人々はたくさんの「解」を受け入れながら共生している

そのため、人の「解」を受け入れられる「器」を持つほうが楽しい!

自分の「解」や、自分が好きなものを否定してくる人は気を付けよう

でした。

        Saka.先生


*自分の「解」を大切にしつつ、他の人の「解」も受け入れられるほうがお得ですよね…! 難しいですが、、*

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