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このままでは海苔を売れなくなってしまう・・・!?意見交換会その2


【このままでは海苔を売れなくなってしまう】

社長:生産者が減り続け、愛知県の令和4年度の経営体数は126ですが、統計によると1経営あたりの生産枚数と水揚げ高は20年前、30年前と比べると上がっています。つまり、海上は非常に空いていることになります。
 
作付面積や区画漁業権など問題もあると思いますが、それらを加味しながら、何とか生産量を増やす工夫を生産者のみなさんに考えていただければと。特に生産量が一番伸びる1月後半~2月前半に、より多くの海苔が採れることが理想です。
 
漁連にはよく、鬼崎の組合が行っているような経営的な環境づくりが必要ではとお話ししています。生産者が減り続けるこの状態では、地元の美味しい海苔を弊社は売ることができなくなることを、是非心に収めていただきたいと思います。
 
司会:このあたりも含めて、各産地の状況を、岩瀬さんからお話しください。
 
岩瀬:西三河漁協は平成17年に合併し、海苔を養殖している所は西尾、栄生、味沢、一色と4つあり、僕は西尾に所属していました。だんだん生産者は減り、今、栄生にはいません。西尾、味沢、一色で合わせて8軒となり、西尾と味沢は去年から一緒に西尾・味沢の名前で販売しています。
 
僕自身、5年くらい前から、新しい人が入ってくれればと、切に思ってきました。恥ずかしい話、3人の子どもは就職し家を出ています。1人くらい跡を継いでくれればと思っていましたが、時代の流れもあり僕自身も諦めたというか。
 
周りも後継者はいなく、若い子は入ってこない。このままでは、西三河にせっかくいい漁場があっても次の世代につなげていくことができません。
入って3~5年教えた後も続けてくれる子が来てくれればいいのですが。どういう道筋あるのかあてもなく、気持ちはあるけれど、どう行動をとればいいのかわからないのが現状です。

【人が減り、漁場環境は良くなっている】

岩瀬:後継者問題とは裏腹に、坂井社長が言われた通り、人が減り昔より漁場の環境は良くなったと感じています。密集して養殖していた昔も魚や鳥の食害はあったのでしょうが、全体の量が多かったので食べられても気づかなかったのだと思います。人が減ってから、食害が目につくようになりました。食害の対策はすごく手間がかかり、完璧にはやれませんが、ある程度対策をして採れているのが現状です。採れ始めても、昔のような色落ちや深刻な病気の出方はなくなりました。 全体的にみれば昔よりすごくいいと個人的には思っていますが、生産量は昔に比べると雀の涙くらいしかないのが現状です。 社長:僕たちが若かった昭和から平成にかけて10億枚以上採れていた時代には、「密植による海苔の品質低下」という言葉をよく口にしました。できるだけ密植をしないで海流の流れを良くしてください、というお話をしたことを思い出しました。そんな時代が懐かしいですね。 岩瀬:そうですね。 社長:後継者問題にはいろいろありますが、次の世代に残すのは結局、水揚げではないでしょうか。平均で3000万円とか5000万円くらいですか? 岩瀬:まあ、だいたい。 社長:水揚げだけを見たら、他の産業で仕事するよりいいのではないかと。海苔を採って外車に乗る親父さんを息子が見ていたら、その仕事をやりたいなと思うのでないかな、そういうような状況を作れないかな、と傍から思っております、ごめんなさい。 早川:海苔もいい時代があり、外車どころか海苔御殿が建った時代もありました。今、海の状況が変わり、海苔に限らず魚も貝も水揚げが伸びず…。 なおかつ海苔養殖は、昔と今では随分と変わりました。先ほどお話にでた鬼崎ですが、ここは愛知漁連で一番大きな生産組合で、県全体の1/3程度を生産しています。今そこの鬼崎は、共同加工場ということで、共乾という施設を組合で設けています。海に海苔を採り行く方と、施設で海苔を作る方が、それぞれ分かれて行う分業制で、それが非常にうまく機能しています。 愛知は家族で海苔を採り加工までする形が多いのですが、年齢を重ねると労力的に大変になります。いろいろある問題をうまくクリアして、効率よく海苔を作れる環境が整えば、生産量も後継者も増えるのではないかなと思うところです。何とか生販一体となり先々のことを考えていきたいですね。

西三河漁協の海苔生産者 岩瀬明彦 氏

【生産量が増えていき、家族経営に限界】

司会:河村さんは生産量が増えているそうですね。
 
河村:自分が入った17、18年前の野間は密植の状態で、生産者は100軒以上いたのですが、今は26軒にまで減りました。生産者の減少に伴って柵は増え、やればやるだけしっかり採れるようになっています。ただ、野間は他の漁場と比べると栄養の部分で不利なので、量と質をともに上げていくのが今後の課題です。
 
養殖は竹柵が主体です。手間がかかる浮動柵をやめて竹柵だけのスタイルの人も増えていて、浮動柵はガラ空きの状態です。
自分は、親父とお袋と3人で、当初は240柵くらいしかありませんでした。少しずつ増やし、300柵くらいになった頃に、実は坂井社長の講演会を聞きました。
 
社長:そうでしたね。半田の方で。
 
河村:社長のお話の中で「まず600柵を目指してください」というのを強烈に覚えていて。それを目標にしました。辞めた生産者の備品や施設の再利用もして、どんどん増やして、今ようやく目標を超えて640柵まできました。
 
こうなると、労力的に家族3人では賄えなくて、地元漁船の若い衆や、去年は思い切って通年雇用の若い人を雇いました。いい子が来てくれて、今は住み込みでうまくいっています。
ただその子も、海苔養殖がやりたくて飛び込んできたわけではなく、1年経って「養殖っていいな」とだんだん思うようになってくれています。3年くらい経って続けていくようなら、彼のような外部の子にも譲っていけたらいいなと考えています。
 
鬼崎のように組合全体で共乾施設を作るスタイルであれば、少しでも長く生産者をやれるでしょが、野間の場合は完全に個人。柵を増やして大きい機械を入れるスタイルの人が出てくればいいのですが…。
自分としてはできる限り今の規模に満足せず、どんどん大きくして、生産力を保っていければなと思いますが、雇用の部分が一番大変ですよね。

【人が集まれば続くから、募集をし続ける】

岩瀬:通年雇用した人は、どこから来てくれたのですか?
 
河村:宮城県から来ています。
船団のデータ共有システムなどを展開するIT企業が、水産業特化型の採用支援サービスも運営していて、それを活用しました。年間契約でいろんな媒体に人材募集を代行してくれるサービスです。漁師に特化した募集をかけてくれるので、漁業に興味を持つ人にアプローチしやすいと思います。ただ絶対応募が来るとは限らない。
 
岩瀬:年間どれくらい?
 
河村:個人事業主にはちょっとヘビーな金額だったので、半年間を2年契約したいと交渉しました。海苔で忙しい冬に面接来られても逆に困るので、春が終わってからの半年間を募集期間にしました。
 
1年目の去年、何回面接しても思うような人材と出会えず半分諦めていたときに、今の子が来てくれて。いい縁をもらいました。2年目の今年は、通年雇用2人はヘビーなので、冬の間の季節雇いで募集をかけています。
 
岩瀬:応募する側からすると、夏は何すれば?となりそうだけど。
 
河村:自分なりの勝算が実はあって。昔から山が趣味で、夏の山小屋で働いている若い子たちには、冬になると北海道のシャケや沖縄のサトウキビの産地にいる子も多い。そういう生き方をしている若い子はいっぱいいて、実は一回うちにも来たことがあります。
 
岩瀬:そういう子が冬に来てくれるといいよね。
 
河村:そう。思っている以上に、いっぱいいると思う。今からテコ入れして、募集もメンテナンスをかけて。雇えなかったらに仕方ないけれど、一人いい人材を雇えたので満足しています。
 
岩瀬:結局、人だからね。
 
河村:人の募集だけはずっと続けていかないと、自分たちが続かないのかなと。人が集まれば絶対続けられるので。機械とかは投資していくだけですが、人材の課題はずっと続きます。

野間漁協の海苔生産者 河村耕一 氏

【海で働きたい若者と受け入れ側の問題】

鈴木:水産高校の就職先は、大手自動車メーカーの関連企業といった水産とは関係ない企業が多いそうです。ところが定職率はあまり良くなく、離職して海や水産分野で働きたいと相談されることはよくあると聞きます。
 
海洋系の大学や水産関係の学校も、入学希望者はすごく多い。大学の学生にも、海の生物や環境、漁業に興味を持つ人はすごく多いですよ。それなのに職となると、そこに乖離がある。
 
もう一つは、組合、浜にも問題はあると思う。浜には年寄りばかりで、若者は話し相手もできず孤独を感じて去っていく。海で働きたい若者のニーズを受け止める側の体制と、一人前になるまでのフォローと、やっぱりいい人間関係が欠けているのではないかと…。
 
岩瀬・河村:うーん…。
 
鈴木:働きたい若者に対し、魅力ある業界として自助努力していく地道な取り組みが必要になってくる。
 
ただ総体的には、漁業に限らず、少数精鋭に多分なっていく。少子化が進むと間違いなくそうなるわけで。漁場を広く占有して、自分の思うようにやれるキャパシティが増えるのは、漁業をしたいと思っている若者達にとって一つの魅力となるでしょう。
 
従事者の減少は悪いことのように思えるけれど、個人の可能性を広げられるといういい面も非常にある。河村さんや岩瀬さんの話を聞いても、なるほどと思うところがあります。特に愛知の漁場は、とても都会に近く、都市近郊型の漁業です。若い人にとっては、他県よりも魅力があると思う。
 
豊浜では、国や県の助成で2年間くらい訓練期間として一定の収入を担保するやり方をしていると聞いています。
 
河村:自分もそれ、現在利用しています。
 
鈴木:浜の関係者の話を聞くと、意欲のあるいい人は来るけれど、積極的に育てるというよりは、受け入れ側が補助金で単なる労働力の補充として扱ったりする傾向も結構あるようです。
 
河村:いますね。
 
鈴木:そうなると、もうそこには行かない。結局、漁業者側の受け入れにも問題がある。
 
河村:そうですね。

【労働の厳しさより、課題は浜での孤独感】

鈴木:漁業は、他の若い人たちと生活する時間帯が違い、話し相手は年寄りだけ。どんどん孤独になり、それに耐えきれない若手は多い。
 
河村:分かります。肉体労働で過労だったりすると、プライベートの面で孤独感が満たされないでいると、もう嫌だと辞めていくパターンがある。
 
鈴木:そうそう。仕事は辛くても自分が好きでやっているので、その辛さには充分に耐えられるけど、夜に一人になった時の孤独感というのかな。
 
河村:そうですよね。
 
鈴木:しかも、そこは自分の生まれ育った場所ではない。そこが実は意外と定着率を悪くしている原因の一つで、かなり大きい要素ではないかと思う。
 
河村:はい、よく分かります。
 
鈴木:だから、河村さんのような若い人が、他から来る若い人の世話をするのは、とてもいいことだと思う。
 
河村:我慢の連続です。
 
岩瀬:そうやね、そう思う。
 
早川:窓口設置など担い手を募集する中で、昔、内海漁協に一人、海苔の担い手が来ましたが、同世代はいなかったし、冬場に特化していたので安定した職業ではない難しさも感じました。土日・祝日が休みというわけにはいかず、しかも明るくなる前から海に出て、寒空の下での作業。よほど好きで飛び込まないと続かないのかもしれません。
 
鈴木:労働の厳しさは覚悟して入るものの、地域のコミュニティといったものがないというか。若い人たちが話し合ったり、共通の課題を持って何かをやったり、漁業以外の人との接点だったり、そういう場が必要だと思います。
 
寂しくなることが、一番大きな問題。辛くても、それを話し合う仲間さえいれば、また翌日も行けるのです。
 
この問題の解決法はすぐには出ないけれども、担い手を受け入れたい組合自身が、単に労働力を確保するためではなく、若い人たちを根付かせ、孤独を感じさせない受け入れの場を作ることを努力したほうがいいような気がします。昔は海で働きたい若い人がたくさんいました。
 
早川:若い世代がいましたね。
 
河村:豊浜とかの頑張っている漁師処には、若い子が結構います。そういう所は定着しやすいようです。
 
鈴木:京都府の定置網漁も、若い人の定着率が最近良く、家族で移住する人たちもいて、聞くとやっぱりそこの漁業が好きなのです。
 
若い人が一人二人と集まると共同体ができ、そして、新しい勢力になります。蝟集効果というのか、一つ核ができるとそれにダダッと引っ付いてくる、その核を作ることが今、大事なのです。
核になるその子たちが、今後の伊勢湾・三河湾の漁場を占有していくことになる話をしっかりと伝えて、育てていくということが大切です。
 
岩瀬:そうですね。

名城大学大学院総合学術研究科特任教授 鈴木輝明 氏(左)

——— その3へ続く