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どんくささと日々の楽しさ


とにかく、どんくさい。
変換候補に、鈍臭いの漢字がでてきて、漢字の暴力?を感じた。

そもそも【 どんくさい 】とは

言い方を変えると、抜けているとかちょっと天然入ってるとか、要領がわるいというか(これもちょっと刺さる)大阪でいうボケてるとか、そんな塩梅であるとは思う。思いたい。

ぐぐってみると、いかにものろのろしている、間がわるいという意味が出てきた。
いや、のろのろはしていない。

間はわるい。

私は、のろのろとは逆に少しせっかちだ。
思いついて、「はっ、やらなければ!」と急に行動を起こし、やらかす。やらかした後の気持ちは大抵、いやそうやんな。私が悪いよな(怒)と矛盾がうずまく複雑なものだ。

例えば、ポテトサラダ

まな板に穴があく。

わたしは現在一人暮らしをしているのだが、ごくたまに自炊をすることがある。

その時は、ポテトサラダを作ることにし、切ったジャガイモを鍋で煮ていた。箸で刺して、スッと通ったので、そろそろいけるかと火をとめ、タッパにじゃがいもをうつした。
よし、つぶしていこう、、、
「あ、きゅうりがある!!」と、ポテトサラダにきゅうりを入れる大きなひらめきが降りてきた。
1Kの家なので、実家と比べると当たり前に、キッチンは狭い。左にIHが大小2つ、ちょっとのスペースをはさみ、流しがある。切るところなんかないのだ。

あー、もうIHのとこで切るかと、ジャガイモを茹でた鍋を流しに移動させた。
まな板を用意し、きゅうりを5分の1ほど輪切りにしたころで、(あれ?きゅうり熱くね?) まな板から煙が出始めた。

いや、そうやんな。さっきまでじゃがいも茹でてたやん、熱々のとこに置いたらそらえぐいよ。

100均で買ったまな板の中央が溶けて、穴があいた。プラスチックの変な恐ろしい煙は忘れられない。

例えば、鑑賞する

おでこをぶつける。

たまに美術館へいく。
最近読んだ本で、絵画や美術品を見るときにこれはいつ、どこで、何時に、どんな空間で、どんな経緯で書かれたのかを想像すると良いと書いてあった。右脳か左脳かどっかが鍛えられるのだろう。
それからは、散歩しているような鑑賞からじっくりと対峙する鑑賞へと変化した感覚がある。

そんなことを胸に、先日広島県にある下瀬美術館へ行った。その日の展示は、フランスのガラス工芸家、エミールガレが中心。
花瓶がクリアのケースに入れられ、手が触れられないようになっている。

さっそくじっくり見ていると、ごつんとおでこをケースにぶつけていた。なんと恥ずかしい。小声で謝りながら、ハンカチでそっと拭いたので、誰にかは分からないが、許してほしいと思った。

例えば、ご飯を炊く

廊下へぶちまける。

ご飯を炊くルーティーンがある。
私はついこの前まで、一人暮らしの家に炊飯器がなく、サトウのご飯を食べていた。しかし、炊飯器を開けた時の炊き立てのご飯の湯気を浴びたくて、先日炊飯器を購入した。

①お米を測って、ザルに移す。
②ザルの中のお米を洗って、炊飯器へいれる。
③水を測って、炊飯器へ注ぐ。
④スイッチオン

これが私の炊くルーティーンなのだが、②で事は起こった。

ザルに入ったお米を洗い終わったとき、炊飯器はキッチン下の棚にしまってあったので、ザルを一度置いてから、取り出す必要があった。
流しのフチというのか、15cmほどのところにザルを置いておいて、炊飯器を取り出すと、肘があたり、バッシャーンだった。
ザルが逆さになって床に落ち、全て飛んでいったので、状況処理を脳が拒否して10分ほど動けなかった。

いや、洗ったあとなんだわ。ダメージが倍なんだわ。ルーティーンがレベル1すぎる。
悲惨な写真を撮って、友人に送り、「えっぐ」と返信がきてやっとわたしは片付けることができた。
えぐいとしかいえない。

そもそも

最近でもいろんなことが起こったが、これを読んでくださっている方には、それはどんくさいなのか?と思われる方もいるだろう。
というか、私がいまそう感じている。

(どんくさいやろと思う人が、私の友人の8割を占めているだろうが)

一人っ子やろ?
B型?
マイペースやな

とよく言われるが、そういうことなのだ。
うまく言語化できないが、日常生活で度々うまく何かと繋がりあえないときがある。
ズレてしまう。
ああ、それが間がわるいということなのか。
納得がいかないなあ。

最近はやらかし話の最後に、
「ほんまどんくさいよな」と反語の心づもりで言うのだが、「間違いない」が返ってくるようになってしまった。
めんどくさがり、安直なところも影響していると思うが、なんだかな。

=抑揚がある

いや、でもこんな出来事が起きなかったら、
私は友人となにを話しているんだろうか?
とふと思った。

やらかしエピソードが笑い話になって、ネタ帳が増えていく。友人や親とガハガハ笑える日々は私のどんくささが支えているのだ。
そうに決まっている。

この生活は抑揚があり、毎日飽きない。日々落ち込んで、日々怒って、日々学んで、少し経ってから笑えている。
そう思って、生きていこう。


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