014 ブックレビュー『ライムスター宇多丸も唸った人生を変える最強の「自己低発」』
読んだのは数ヶ月前なんだけど、、、
「活字で笑う」楽しさを体験させてくれた1冊でした。
もう大爆笑しました。爆です。
このレビューを書きながらもニタニタしてます。
投稿されるネタは最高にバカバカしいけど生きる上での泥臭さというか、
人に理解されることが重要ではない、ある種、投稿者の生き様が
垣間見られる濃厚なエッセイ本的な要素もありました。
とにかく電車内での読むのは危険!
本書はラジオ本。人気コーナーを書き起こす系の内容です。
こういった構成の書籍って主題となるラジオコンテンツの成熟度(人気含め)が重要でそのままの鮮度で書籍化!ってのが王道かと思います。
もちろん、ラジオ本好きとして全然その流れは満足なんですが、
この本は「編集」という観点でみると更なるポテンシャルを
持っていると思いました。
本書は、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で
1年間放送された投稿コーナーが題材。略して「タマフル」。
ラジオ番組として超有名。
11年続いたこの番組は昨年の春に終了し、現在は「アフター6ジャンクション」という「タマフル」の系譜を引き継いだ番組が放送されています。
B級というかクソ映画ネタから、HipHop、アイドル、文学、漫画などなど
カルチャーのキュレーションだけに留まらず、宇多丸さんの圧倒的な教養を背景に解説されるトークが痛快な両番組。
※こちらもおすすめ!
別著「ライムスター宇多丸の映画カウンセリング」は、宇多丸さんの
骨太な映画知識と点と点を結ぶ編集作業がされた秀逸な一冊。
おそらく放送ログを活字化するだけでも相当面白いはずなのに
自己啓発本(ビジネス書)を彷彿させる編集がされている所には脱帽です。
1章 「マインドフルネスからマインドロウネスへ」
2章 「有り余るクリエィティビティで味覚と栄養のその先へ」
3章 「サスティナブルでクリーンな社会を目指す冴えたやり方」
4章 「リアルライフを再構成し次なる知覚の扉を開こう」
これって、書店でよく見かける自己啓発本の副題にありそうな感じ。
今どきのビジネスワードがふんだんに使われ、
どことなく風刺もあるんだけど、立てつけだけのパロディではなく、
ちゃんと編集されているから驚き。
ここでいう「編集」は、「書籍編集」の意味。今回、編集の定義づけが目的ではないけど、ちょこっとだけ編集の妙に触れたい。
情報をうまくまとめ上げることが編集ではなく、取り上げるテーマ(情報)に文脈を持たせ新しい価値(事柄)を見出す作業が編集には含まれている。
本書で言えば「低み」という概念が新しい価値になる訳ですが
ネタ元は素人(ハガキ職人含む)の日々のエピソード。
故に「VOW」や「味写」的に「投稿ネタ」にフォーカスをした編集もでき、
冒頭で説明したように鮮度の高い書籍に仕上げることは容易なはず。
ただ、「面白い!」「ありえない!」とか、そういった瞬発力ある驚嘆的なところだけに着目しているわけではなく、、、「なぜ、そんな人がいるのか?」「彼らの常識はなんだろう?」などなど一つ一つのエピソードの向こう側にある文脈を捉えようしているのです。
変わった人(低みな人)という顕在化を「変わった人の言動と社会的な存在意義」という観点からコンテクストを中心に展開されているのです。
そして、編集の妙としてもう一つ。
それは対比や共通点といった編集作業の本質と言える「陽のあたっていない事に光をあてる作業」をきちっと行なっている点です。
ここでは、「意識高い系」という自分磨きの勉学や研鑽に余念がない人との
カウンターとして、衛生観念や常識を越境している人として「意識低い系」=「低み」という構図を前書きでちゃんと述べられています。
これは、比較対象を見出すことによって新しい価値を見出す
「編集の常套手段」でもあります。
「文脈の構築」「比較対象の設定」。
この2点を踏まえて作られた本書が、出版物としてポテンシャルがある一冊だと結論づける十分な理由となるのです。
もちろん、「低み」と言われている投稿者を蔑んだ展開でなはく、むしろ、彼らの言動を理解しようと宇多丸さんを筆頭に作家さんやゲストは必死に寄り添うのです。ただ、オリジンすぎる投稿内容は、到底、いわゆる普通の倫理観や衛生観念では太刀打ちできるものでなく、一堂に「低み」だわ〜と結論付いてしまうのです。
「彼や彼女は〜低さに向かって淀もなくたどり着いた純度の高い精製水なのです」番組放送作家の古川さんの何かを悟った見解が本書の奥深さを印象付けます。
「誰にも迷惑はかけていない。
犯罪でなければ、マナー違反になるかもわからない。
ただし、確実に、、、
“人間として何かが、、、低い”」
この帯文からも人生観を豊富にし充実を得るには、「自己啓発」ではなく「自己低発」だよ!という問いかけをなされているようで仕方がない内容でもありました。
言い過ぎなところはあるかもですが、
ある意味、ダイバシティ社会(多様性)を見据えた指南書すら感もありました。我々の「低み」に対するアレルギーは、「高貴なロジックで啓蒙される」よりも「突き抜け感や冴え渡ってる感を持ったオリジナリティを見せつけられる方」が対応はできていくのではないでしょうか?
「手も洗わずおにぎりを食べる」とか、
「エアトイレで小便おもらしをしちゃう」とか、
「カップ麺の残り汁を後輩にあげる」とか、
「友達から微妙な金額のお金を借りる」とか、
「奢ったことを無性に覚えている」とか、
なんか上記の日々起こりそうな「低み」は、本書を読むと全く色褪せてしまい「創造性のないただのケチ、だらしない、自意識過剰、、、」みたいに思えます。そう考えると、自分の価値観のちっぽけさを否応もなく自覚してしまうことにもなるのです。
読了後はず〜ッと、自分の中で「低み」フィルターを働かしていました。
(自分の言動に心当たりないかを考えちゃったw)
今回は、あえて掲載されているエピソードについては触れませんでした。
このレビューを読んで頂き本書を手にしてもらう前提だとすれば、エピソード単体の話ではなく、掲載されている66の自己低発エピソードを読み、「低み」という概念を理解してほしいと思ったのです!
最後に、、、
低み【ひく・み】
他者が不快感を与える可能性があるが、法律を厳守し、自己完結しているため、具体的な問題は起こらない行為を、もしくは考えのこと。
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