見出し画像

病理診断と傷...その後

退院後、およそ10日たったころ、手術のときに取りだされた癌の病理診断の結果報告が病院でありました。癌の宣告に次いで、主人もこのときばかりは同席。

わたされた報告書に目を通しても、さっぱり意味がわからない💧
はっきりと解ることといえば、
自分のグレードがⅡであること。
そして、自分が乳がん患者の確定となったのだというまぎれもない事実。

私にとって、この難解な報告書が、癌の宣告に次いでショッキングなできごととなります。

ただし、主治医は、いつもどおり明るく、ハキハキとくわしい内容を説明してくださった。
難しい顔をしない主治医の態度にこのときばかりは救われるおもい。説明と質問への回答は、30分以上かけて、ていねいに行われた。いや、1時間近くかかっていたかもしれない。

重篤な病状に思えてくる羅列する文字

病気が軽度できちんと治療していけば、治る見込みが強いという頼もしい主治医のコトバ

今後の先行きの見えない治療にココロは重くなるけれども、さっそく主治医は主治医らしく寄り添ってくださっているのが伝わってくる。

このとき、どんな質問をして、どんな返答がなされたか、7年めの時を経て覚えていることは、ほんのわずか。メモ📝を備忘録として残しておいたので、すこしだけ、公開。アタマがパニック寸前の状態で、殴り書きしたメモ(汚くてごめんなさい🙇)ですが、この汚さからも、心理状態が透けてみえるようです。

傷の具合は、
といえば、さっそく退院して間もないのに、無理な動きがたたって、傷口がパックリひらいてしまう。
洗濯物を干すときの手を上に伸ばす動作がイケなかったようだ。

とにかく今は、傷を治すことに全力を注ごう。

入院中も後半になってくると、さっそく上半身を使わないですむヨガのアーサナに取り組んでいたわたし💧

入浴後に、傷の手当をし、あたらしいガーゼをテープで止める日課がはじまったが、やりづらいので、ときどき主人にお願いした。

主人は、顔をしかめ、「わ〜痛そう( ・ั﹏・ั)」
とつぶやく。

主人はふだんポーカーフェイスなので
この表情がわたしには複雑だけれど、どこかうれしいキモチになる瞬間だった。

主人は、仕事人間で、長崎に来るまでは、子どもたちが寝静まる夜おそくまで残業して帰ってくることがほとんど。

主人は、その当時、わたしにこんな一言を漏らしました。
「さきちゃんが病気になったのは、俺のせいかもしれないね。」

わたしにとっては、衝撃の一言。

うーーーん。。。パートナーってそうゆうふうに思っちゃうものなんだろうな。。

これは、早くキズを治して、一刻もはやく、次の放射線治療に取り掛からなければ。

そして、キズの治療は、手術から4ヶ月もの時間を有します。

放射線治療は、ほぼほぼ毎日なので、諫早から長崎市内まで通う負担を考えて、地元の総合病院へ通うことに決めます。

きょうも読んでいただき、ありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?