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養子という選択

友人夫妻が日本に留学中の息子君を訪ねてやってきた。
ほぼ初めての日本。
2週間のステイは日本に来て半年の息子君が組んだらしい。
「いいのよ、どこでも。この子と一緒にいられれば♥️」とママ。
「ね?」と同意を求められた息子君は、照れたような困ったような顔。

初めての日本だから、もちろん、京都にも大阪にも行く。
大阪は知り合いもいるから、3泊する……というので、
じゃぁ、1日くらい神戸に行ってくれば?
というと、
この子もそういうのよ、神戸って何があるところ? と友人。
Kobe beef!とすかさず息子君。
そっちか。さすが大学生男子。まだ若いもんね、と大笑い。

なんていう話をしながら、みんなで鍋をつつき、最後は日比谷と丸ノ内の
ライトアップを見て散会。
ママは、何枚も半年ぶりにあった息子君の写真を撮り、
日本語で注文をしたり道を聞いたりする息子君に大満足。
本人は、親の安全を確保せねばときっとすごい重圧だろうけど、
パパとママの前で頑張っているのを幸せな気持ちで眺めさせてもらった。

息子君は、生まれて数ヶ月で日本から海を渡り、友人夫妻の養子になった。
私の周りには、どうみてもこの親からこの肌の色の子は生まれないよね
という親子が何組かいる。
みんな養子縁組の親子。
人種が違うから、もちろん、養子(アドプト)なのは一目瞭然。
本人もまわりも、それをオープンにして成長する。

友人の息子君も、どこの出身?と言われると、生まれたのは日本だけど、
育ったのはアメリカ、と言っている。養子で……と。
パパは、息子が成人したら、日本に連れて行って一緒に旅行したい。
ここが、君の生まれたところだよって見せたいんだ、
と言っていた。
んだけど、その前に、息子君が留学試験を受けて受かってしまい、
パパとママより一足先に祖国を見に来た次第。

日本に来たとき、パパが日本を見せたいから旅行するっていってたのに
先に来ちゃったわね、と笑ったら、親父そんなこと言ってたの?
知らなかった、と息子君。
それが、ちょっとちがった形で実現し、日本語を喋る息子を前に、
まぁ、日本で生まれてるしな、俺達よりうまくて当然だと笑っている。

一方の息子君は、日本に来て、自分がアドプトだというと、
まわりの人が惑うことに彼は気がついた。

のりこ、日本ではアドプトは悪いことなの?
来日して1ヶ月くらいしてご飯を食べに行ったときに彼にそう聞かれた。
どうして?
だって、みんななんか、悪いこと聞いたみたいな感じになるから。
養子は悪くはないけど、日本ではオープンにはしないことが多いの。
だから、養子かどうか、周りの人は知らないことが多いし、
そういう話を聞く機会が少ないから、戸惑うんじゃない?
と返事をしてみた。

私にはアドプトの経験はない。
けれど、まわりを見ていると、
一緒に住むことを通して、人は家族になるんだなぁとつくづく思う。
いいことばかりではない、子育て。
それを、自分達の遺伝子ではない子どもをあえて引き受けてまで
それをする。
あえて、人に煩わされる人生を選ぶ。
子どもがいなければしなくてもいいことを
いっぱいせざるを得なくなる日常は、
別の見方をすると、子どもがいなければ絶対に経験できないことの
連続の日常でもある。
どっちがいいかは、比べようがないからわからない。
でも、あえて、人に煩わされる人生を選んだことで与えられる
幸せっていうのは、間違いなくあるよな〜と思う。
それは、この家族だけでなく、他の家族を見ていても、思う。

この間誕生日を迎えた知人。
アドプトの息子さんは、海外在住。
秘密裏に帰国して、誕生会にバースデーケーキを持って登場した。
予期せぬハプニングに知人は涙。
そこにアドプトも実子もないもんだ。

人に煩わされる人生。
それが、子どもでも。親でも。友人でも。
煩わされない方が楽には決まっているけど。
でも、あえてこうやって煩わされる人生を選んだ結果、
日本でライトアップを息子君と「きれいね!」といいながら眺める友人に
煩わされるって、実は幸せなことなんだよねと改めて思った一日。



得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)