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ワーパパと人生論ノート

こんにちは。
3人娘を育てている、ベンチャー企業のCTOです。


人生論ノート

在野の哲学者、三木清さんが雑誌に連載していたエッセイをまとめた「人生論ノート」という書籍があります。
人生論ノートは1941年に発刊され、2022年時点で200万部を超えるベストセラーとなっています。
その中では、死、幸福、怒、孤独、嫉妬、希望など、人生の中で人間が向き合う問題について書かれています。

三木さんは、日清戦争と日露戦争の間の1897年に生まれました。
ドイツに留学しハイデッガーに師事し、ニーチェやキルケゴールなどの実存哲学についての研究を行った後、パリに移ってパスカルの研究をさました。
太平洋戦争中の1945年に治安維持法違反で逮捕され、終戦直後の1945年9月26日に獄中で亡くなられました。

原文の表現は、難解なものが多いとされていて、これは時代背景から、言論統制を回避するための影響だそうです。
ですので、解説書から入るのがよさそうです。

今回、その人生論ノートの解説書を読みました。
近代戦争の時代の中で書かれた人生論ノートですが、今でも通ずる内容が書かれていて、共感できるものです。

解説してくださっているのは、「嫌われる勇気」の著者の岸見一郎さんです。

解説書の中では、いくつかのテーマがピックアップされていました。
その中でも特に今の自分にとって重要だと感じたものについて記載します。

幸福

今日の人間は幸福について殆ど考えないようである。

人生論ノート

むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力さえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。

人生論ノート

成功するということが人々の主な問題となるようになったとき、幸福というものはもはや人びとの深い関心ではなくなった。

人生論ノート

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は新の幸福が何であるかを理解し得なくなった。

人生論ノート

三木は、成功と幸福は別物であると言います。

幸福は「各人のもの、人格的な、性質的なもの」であり、成功は「一般的なもの、量的に考えられ得るもの」であると言えます。
幸福はオリジナルなものであり、真似するものでも真似できるものでもありません。
一方、成功は一般的・量的なものであり、模倣が可能です。

この成功を、幸福と同一視してしまっていることが危ういのではないかと、三木は問いかけます。

幸福は「存在」であり、Beです。
成功は「過程」であり、Doです。
成功は、あくまでも冒険の結果の一つでしかなく、成功したことは幸福であることと異なるということを理解している人が健全であると言います。

さらに、以下のようにも言います。

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。

人生論ノート

幸福であること自体がよいことであり、自分の幸福を求めることに後ろめたさを感じる必要はありません。
そして、刹那的な幸福感のような、偽りの幸せをいつでも捨てられるような人ことそが、本当に幸福な人だとも言います。

娯楽

娯楽に対して、以下のように書いています。

娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである。
それは幸福に対する近代的な代用品である。
く服についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。

人生論ノート

娯楽は、ある面では普段の生活からの逃避、息抜き、気晴らしといったように受け取れます。
三木は、現代人はそのように娯楽と向き合っているが、本来はそうあるべきではないと言います。

娯楽は、生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。
娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。
単に見ることによって楽しむのでなく、作ることによって楽しむことが大切である。

人生論ノート

三木は、スポーツは非常に健全だと言います。
クリエイティブな活動についても肯定的です。

娯楽を消費することは、真に生活を楽しむことにはなっていないと指摘します。

希望

希望と期待は異なるものだと言います。
「○○したい」というのは欲望であり、目的であり、期待であると言います。

本来の希望というものは、「決して失われることのないもの」であり、「生命の形成力」だと言います。

断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。
何事も断念することを欲しないものは真の希望を持つことも出来ぬ。

人生論ノート

「あれもできなかった」「これもできなかった」と後悔するのではなく、多くのものを諦めた中で最後に残ったものこそが「これが本当に希望したものだ」と向き合うことが大切です。

虚栄

虚栄は人間の存在すのものである。
人間は虚栄によって生きている。
虚栄はあらゆる人間的なもののうちもっとも人間的なものである。

人生論ノート

虚栄心は、自分をよりよく見せようというものでもあり、自分をより高めようとするものでもあります。
この両面を把握することが重要です。

そして、創造が大切だと言います。

創造的な生活のみが虚栄を知らない。
創造というのはフィクションを作ることである、フィクションの実在性を証明することである。

人生論ノート

また、「虚栄心」と似て非なる「名誉心」についても書いています。

虚栄心はまず社会を対象としている。
しかるに名誉心はまず自己を対象とする。
虚栄心が対世間的であるのに反して、名誉心は自己の品位についての自覚である。

人生論ノート

名誉心は、「自分がどうありたいか」というものです。
そして、「抽象的なものに対する情熱」であり永続性があるものだと言います。

現代のような利益や成功が重視される社会(ゲゼルシャフト)では、昔のような互いの顔や暮らしが見える社会(ゲマインシャフト)とは異なるといいます。
そして、ゲゼルシャフト・利益社会においては、評判やフォロワー数などの虚栄心がくすぐられやすく、虚栄心と名誉心との区別が付きづらくなっていると言います。

怒り

怒りと憎しみは異なるものだと言います。
怒りは突発的であるのに対し、憎しみは習慣的で永続的だと言います。

そして、憎しみは不特定(アノニム)な人に対して向けられます。
ヘイトスピーチなどは、アノニムに対する憎しみの最たるものです。

怒りは瞬間的で生理的であるため、鎮め方があります。

気分的なものは生理的なものに結び附いている。
従って怒を鎮めるには生理的な手段に訴えるのがよい。

人生論ノート

怒りの多くは、例えば、空腹や睡眠不足などの生理的なものから来ています。
であればこそ、体を動かすなどの生理的なことで解消することができます。

そして、怒と名誉心との関係を以下のように解釈します。

ひとは軽蔑されたと感じるとき最もよく怒る。
だから自信のある者はあまり怒らない。
彼の名誉心は彼の怒が短気であることを防ぐであろう。
ほんとに自信のある者は静かで、しかも威厳を具えている。

人生論ノート

人生論ノートとワーパパ

人生論ノートには、人生で向き合う様々なものに対して、非常に高い解像度をもって解釈をしています。
特に、希望と期待、虚栄と名誉、怒りと憎しみ、といったように似て非なるものとの対比を持って、理解を高めさせてくれます。

私達が普段何気なく向き合っている様々なものに対して、解像度を高くもつことで、自分を客観視できるようになります。
自分の行動は虚栄心から来ているのか、名誉心から来ているのか。
この人生論ノートに書いてある視点は、自己をメタ認知する際に、強い助けとなってくれると思いました。

ワーパパは、自己に向き合うだけでなく、子供とも向き合う必要があります。
また、仕事上でも様々な人と向き合います。

このときに、「この人は何を大切にしているのか」「何に怒るのか、怒っているのか」といったことをメタの視点で捉えることで、不必要に人を傷つけず、その人の尊厳を守りながら接することがしやすくなると思いました。

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