見出し画像

島田憲一さんの魂のひかり

ようこそ、ダメ人間

もう少し自分の人生を良くしよう、と思って

新しいことにチャレンジする。


少しばかり前に進むと、

毎回のように、壁が立ちはだかる。

3メートルはない。2メートル半くらい。


助走をつけて、ジャンプする。

3回かな、5回かな。

全くもって、壁のてっぺんに手が届かない。

無理だ。

やめよう。

おしまい。


こんな感じで、ちょっとやる気になって、何かを始めるけど、

嫌なことがあったり、

続けるのが面倒になったり、

思った結果が得られなくて飽きたりして、

続かない。


自分には合わなかった、と思う。

いつか自分が打ち込めるものと出会うはず、と思う。


でも、ちょっとがんばりが足りなかったかな、とも、うっすら思う。


そうこうするうちに、新たな目標が見えてくる。

今度こそ、自分でもできそう、と思って挑戦を始める。

けど

続かない。


挑戦と諦めの無限ループにはまって

抜け出せない人、いませんか?


ようこそ、僕の仲間です。


最初の頃は、チャレンジするものが自分に合わなかった、って思うけど、

あまりに挫折を繰り返すと、

何事も続けることができない自分に

原因があるんじゃないかって

思うようになるよね。


でも、そこに向き合うのはちょっときついから

今度こそ、って

わずかな希望を持って

新しいものに挑戦しちゃうよね。


挫折の連続

自分の人生で、数々の挫折を繰り返してきたが、

きっかけはしっかりと覚えている。


東京の葛飾区、シャンプーや洗剤を製造、販売する会社を祖父が興し、父親が継いだ。自宅兼会社。隣に工場がある。

2人兄弟の長男。

まじめな性格で、学級委員長になったこともある。

だけれども、泣き虫な一面もあって、友達からは

デリケートしまちゃん、

と言われていた。


小学校5年生の時だ。

そんな僕は児童会の副会長に立候補した。

スネ夫との勝負だ。

対立候補のスネ夫は、ドラえもんのスネ夫の性格をもっと悪くした奴だ。

奴がこびへつらうのはジャイアンだけじゃない。

親とか先生とか、そういう偉い人。

自分が有利になりそうな人にこびへつらう。

大っ嫌いだ。


スネ夫の卑劣さはみんな知っていたから、自分は負けるわけがないと思っていた。


副会長になって、学校の中心人物となって6年生では活躍するのだ。


結果は

惨敗。

自分50票。スネ夫200票。


泣き虫で、デリケートなのだ、僕は。

何かがポキッと折れて、奈落の底に突き落とされた。


谷底に落ちた僕は、この暗くて光の届かない底辺が自分の居場所だと思って生きることにした。


自分に自信が持てなくなって、性格が一気に暗くなった。

そして、不思議な現象が起きた。


髪の毛が、チリチリの天然パーマになってしまったのだ。


天然パーマ地獄

ストレートのおかっぱ頭で、なんなら、天使の輪っかもあったのに。

ありえない出来事だった。

最初に気付いたのは、友達だ。

「あれ、しまちゃん髪の毛どうしたの?」

「寝ぐせだよ」

と答えた。

寝ぐせだと思っていた。


小学校6年生で、中学校を受験して、私立の中学に通うのが僕たちの地区の小学生が進む道だった。

理由は、学区の公立中学校の評判がすこぶる悪かったからだ。

不良という名のワルがいて、悪がのさばる恐ろしい中学校だったのだ。

僕は、友達と一緒に私立の中学校を受験した。

本命と、滑り止めと。


全部、落ちちゃった。


悪の巣窟、中学校。

ぶかぶかの真新しいブレザーと白い上履き。

廊下を歩いていると、

「おい、ちょっと待て」

と先輩に呼び止められた。


その時点でかなりビビったが、そこからが地獄の始まりだった。

「おめーその髪型なんだ?」

「てめー1年のくせに生意気だな!」

チリチリの僕の寝ぐせが生意気だと、数人の体の大きい先輩にシメられたのだ。


寝ぐせだと思っていたので、翌日からは髪を水で濡らしてぺったんこにして学校に行った。


学校に着いたときには

髪の毛はチリチリになって、頭の上でカールしていた。


また呼び止められる。


またシメられて、やっと自分の髪の毛が、チリチリの天然パーマになってしまっていることを認識したのだ。

先輩に目を付けられないように、目立たないように、校内を歩く。

常に縮こまっていた。考え方も曲がって性格も曲がった。友達ともあまり話さなくなった。

卓球部に入って1年間は頑張ったけれど、2、3年生になるとやる気が失せて練習はサボりがちになった。

そのかわり本を読んだ。推理小説やSF。

高校は私立に進学した。

クラスメイトにどうやって話しかければよいのかがわからなかったし、また、天然パーマでシメられるのも怖かった。

行きたくない日は躊躇なく休んだ。

それでも話しかけても大丈夫な人に少しずつ話しかけて、友達を作って高校生活を送った。


ダメ人間

振り返ると、その後の人生も、まぁまぁ、けっこうなダメ人間だった。

一浪して大学に入った。

砂漠の緑地化に興味があって選んだ学部だったが、いざ授業に出てみると面白くない。全く興味がわかない。

学業はそっちのけでバイトばかりをしていた4年間だった。

1年の頃、それでもやる気はあったから、高い学費をローンで申し込み、英会話教室に入った。友達のお姉さんが開いている教室は、ネイティブとの会話中心の教室だ。それが魅力でもあったのだが、自分から話しかけられない僕は、会話の機会が少なくて、3、4回通ってフェイドアウトした。教室には通わずに、ローンだけを2年半かけてバイト代で返した。

バイトは、人と接する仕事が良いのかな、と思って居酒屋で働いた。中学校から基本的に人を避けていたので、そろそろ人とかかわりを持った方が良いと考えたのだ。

3年になった。

就職活動は、しなかった。

就職というものが怖かったのだ。


無職半年、バイト半年

卒業と同時に、何をして良いかわからず、何をするでもなく、フラフラしていたら半年が過ぎた。

居酒屋の店長に誘われて、再びアルバイトをする。

その後、ようやく僕は、就職した。


飲食業

飲食チェーン店の正社員だ。

1年。

それで辞めた。


無職

次に目指したのは、公認会計士。

60万円自己投資をして、自宅で勉強した。

1年。

資格を取るには、結構きつい道のりが待っているな。

やめよう、別な道を探そう。


営業職

次は営業を極めようと思い、通信回線の営業職に就いた。

飛び込み営業をするわけだが、ダメダメだった。

落ちこぼれの同僚と仲良く愚痴を言い合った。

営業を外されて、クレーム対応や電話工事の部署に所属した。


出会い

当時、僕には行きつけの本屋があった。そこで仲良くなった店員さんに、ある人を紹介された。

セミナーの事務局を手伝っている人で、

「良かったら来てください」と軽く誘われて

全く興味はなかったがセミナーに行ってみた。

そこで僕は、ある意味、運命的な出会いを果たす。


ハゲッち

文字通り、彼に髪の毛はなかった。

だけれども、堂々としていて、自分のハゲを笑いに変えて周りの人を明るい気持ちにさせていた。

見た目通り、彼はよく反射する頭で、彼の周りを照らしていたのだ。

僕は思わず、ハゲッちのところへ行き、相談した。

小学校5年以来、僕を悩ませ続けた天然パーマについてだ。

ハゲッちは親身になって話を聞いてくれた。

そして、僕に名前を付けてくれた。


チリチリマン。

正確には「ちりちり萬。」。

なかなかに、インパクトが強すぎる名前に圧倒された。

こんな名前は嫌だったが、ハゲッちがせっかくつけてくれた名前だ。

僕はSNSの発信も、セミナー会場でも「ちりちり萬。」と名乗り、

「ちりちり萬。」として行動した。

「ちりちり萬。」の僕は、セミナーの参加者とも仲良くなり、自然にセミナーの手伝いをするようになった。そして、名前のおかげでセミナー講師の先生にも、顔と名前を覚えてもらった。

ハゲッちがつけてくれた「ちりちり萬。」という名前のおかげで、僕はようやく20年近い天然パーマというコンプレックスを乗り越えることができた。


3度目の無職

3年2ケ月。

のらりくらりとクレーム対応や電話工事の仕事をこなしていたが、

希望退職者の募集があった。

渡りに船とばかりに、退職。


次はプライベートを充実させようと思った。

つまり、仕事はしない。

無職でいこう。

無職中はそこそこに楽しいこともあったが、気付くともう、30歳を超えていた。

その頃だ、「ネオニート」という言葉が世に出てきたのは。


ネオニート

定職に就かないで収入を得ている人のことを「ネオニート」と言うらしい。僕は「ネオニート」の生き方を提唱している本を読み、

「これだ!」と思い、その作家さんに連絡を取り、会いに行った。

彼が教えてくれたのは「せどり」だ。

「せどり」とは転売のことで、リサイクルショップや電気屋さんで安く仕入れた商品を、アマゾンやヤフオク、メルカリなどで高く販売し、その仕入れ額と売値の差額で利益を得ることを言う。

僕は本とCD、DVDのせどりで月に20万ほど稼ぐようになった。

せどりは地味な作業をひたすら繰り返す。

この生活はいつまで続くのか、いつまで続けようか、と思っていた頃、日本の東北が大きく揺れた。

東日本大震災だ。時を同じくして、僕は母を亡くした。

父親が言った。

そろそろ、家で働いてくれないか?

会社はその頃、経営難で倒産の危機を迎えていた。知ってるけど関係ないし、みたいな立場でいたけれど、父親を支えてきた母親は、もういない。

父親の言うことは絶対に聞くもんか、と父親の言うことにはことごとく背いてきた。

久しぶりに僕は父親に向かって

うん、とうなづいた。


株式会社カゴメ

ケチャップではなく、僕の父の会社だ。

祖父の代はシャンプーや洗剤を扱っていたが、父親の代に、ある先生と出会ったことから、ペット用シャンプーを製造販売するようになった。今はそれが事業の主軸となり、業務用として、トリマースクールやペットショップに販売している。刺激が少なく、ワンちゃんの肌と飼い主の手にとても優しいところに自信がある。

僕が父を手伝い始めた当初、会社は存続の危機を迎えていたが、ミラクルな出来事が次々と起こり、あれよあれよという間に、ギリギリで持ち直した。

どんなミラクルが起きたか。

ちょうど区画整備が始まり、立ち退く代わりに補償金がもらえた。

そして

借金を整理してくれた銀行からは応援金という、まとまった金額のお金が支給された。

この奇跡のおかげで、埼玉県に会社を移すことができた。


会社と僕の再出発

ダメ人間だった僕は、心を入れ替えて会社の立て直しに一心不乱に取り組んだ。

と、思いますか?

そんなわけない。

相変わらずの、僕は、ダメ人間。


父親との意見が食い違うことが多くて、やる気がそがれる。

会社のために、やった方が良いよな、と思うこともあるのだが、

めんどくさいな、という気持ちが先にでてしまい

なにもしない。

仕事はするけど、一生懸命には働かない。


そんな状況から逃げるようにいろいろな経営セミナーに行ってみる。

行ってみたところで、本気で会社を良くしようなんて思っていないから、自分も変わらないし、会社も良くならない。

今までのように会社を辞められたら良いのだけれど、

それはできない。


そうなのだ。

今まで、挫折と挑戦を繰り返してきたって言ってたけれど、

要するに

逃げていただけなのだ。

がんばること、困難に立ち向かうことから逃げていただけなのだ。

僕は、今、逃げ場を失ってしまった。

そして包囲網が徐々に狭くなってきている。

向き合うべきは自分自身。


そして、2020年

コロナがやってきた。

コロナの何がすごいって、人々にうえつけた恐怖だ。

コロナはとてつもなく、恐ろしいものだ、人と距離を置き、マスクをして、消毒をして。

怖がることが正当な生き方で、

楽しむことは、悪とみなされる風潮で

誰が気持ち良くお金を使うだろうか。


父の会社も苦しくなってきた。

そこで申し込んだのが経営コンサルタントの小田真嘉さんとネットビジネス界のカリスマ新田祐士さんが講師を務めるセミナーだ。

箱根神社

古神道の考え方をベースにしたビジネスについて学べる。セミナーには1泊2日の箱根の神社参拝セミナーもついていた。

半年間、月に2回、セミナーに参加したが、ビジネスのノウハウについてはほとんど教えてもらえなかった。

セミナーでは、理念を持つことが大切、という話や講師陣の結果主義、利益第一主義だった生き方が、仲間との出会いによってどう変わっていったかというストーリーを聞くことが多かった。

箱根神社の神社参拝セミナーは、単に旅行気分で神社を参拝するものではなかった。5円玉をお賽銭箱に入れて、みんなでパンパンと手を合わせ、ビジネスの成功を祈る、という一般的な軽いお参りとは次元が違っていた。

前日に6時間ぶっ通しで、箱根神社についての勉強をした。ネットで検索しても絶対に出てこないような、箱根神社や九頭龍神社の神話や歴史、功徳について勉強した。休憩中、食事中、宿泊部屋の中でも私語は慎み、箱根の神様のことを考える。

翌日の朝、服装を整えて箱根神社と九頭龍神社に300人以上のセミナー受講者と参拝した。移動するバスの中は、神社参拝を控えて、緊張した空気が漂っていた。

鳥居をくぐり、階段を昇る。300人で歩く歩調を合わせる。

300人で気持ちを合わせて、二礼、二拍手。

本当に、願いを叶えてもらいたいならば、本気で願わなければならない。

そして、自分の魂から発するような本物の願いでなければ、本気で祈願することはできない。

ビジネスの成功を祈願するのならば、何のため、誰のための成功を願うものなのかを突き詰めて考えなければ中途半端な祈願になってしまう。

周りを見渡すと、セミナー受講者は心の底から湧き出る自分の願いを神様に届けたい、という真剣な気持ちを持って手を合わせていた。

後日Facebookにあげられた、箱根神社参拝セミナーの報告がすごかった。

・祈りながら自然と涙が出てきた。

・お祈りを続けていると、不思議な光が瞼に映った。龍の目が見えた気がした。

・祈りながら、熱くて優しいエネルギーを感じた。

・参拝後に大きな案件が次々と入ってきた。


報告はみな、長文だった。そして一人一人から、勢いのあるエネルギーや熱い思いを感じた。


僕はというと、

恥ずかしながら

参拝中、何も感じなかった。

参拝後も、現実も精神面も、何の変化も起きなかった。


仲間と集まると、みんなが目を輝かせて、神社参拝の感想を伝え合っている。

僕だけが取り残されたよう。


箱根の神様を

微塵も感じられなかった。。。


それが、とにかく悔しかった。

半年間のビジネスセミナーで一番印象に残っているのが、この何も感じ取れなかった箱根神社参拝だった。


伊勢神宮

セミナーが終わるころ、案内があったのが伊勢神宮参拝セミナーだった。セミナーの主催は違っていたが、講師はYouTube神社チャンネルの羽賀ヒカル、そして小田真嘉さん。案内のレターは新田裕士さんが書いたものだった。

伊勢神宮は八百万の神様の中心にある、天照大御神を祭ってある日本国民の総氏神だ。

年末に1000人以上の参加者と参拝する。

僕は、本気で、今度こそ、神様を感じたくて伊勢神宮参拝セミナーに申し込んだ。

本当に悔しかったのだ。


やる気スイッチ

今回はマジでやろう。

やれるだけのことはやろう。

神社参拝セミナー事務局から送られてきたしおりには、神社参拝の基本と、神様からの功徳を得られる方法などが書かれていた。

「神社参拝は当日までの日常の過ごし方で決まる」この一節に目が止まった。神社参拝を決めたその日から、意識を神社の神様へ向ける。

愚痴や不満は口に出さない。

暴飲暴食は避ける。

家の中を整理整頓する。

カラオケや居酒屋などに行って発散しない。

僕は実践した。

その他にも、実践したことがある。

地元の一宮、氷川神社へのお参りだ。

伊勢に行くまでの21日間は、何が何でも続けてお参りする。

仕事の関係で、別の氷川神社に行くこともあったが、毎日神社へ足を運んだ。

氷川神社でも、神様を感じることはできなかったが、

毎日、神様にあいさつをして、「本当にありがとうございます」とお礼を言った。

やるだけのことはやった。


いざ、伊勢神宮参拝セミナーへ。

埼玉から東京、名古屋と電車を乗り継いでセミナー会場へ向かう。

お昼過ぎからセミナーは始まり、夜の21時過ぎまで続いた。

翌朝4時前には集合して神社へ向かう。


12月の早朝の伊勢は、寒い。

空は真っ暗。太陽が出るのはまだまだ先だ。

最初に、外宮の豊受大御神をお参りした。外宮では重々しい雰囲気を感じた。

内宮へ。

大鳥居をくぐって宇治橋を渡る。

長い砂利道の参道が続く。

僕たちは列になって、心を合わせて玉砂利を踏む。

ジャリッ、ジャリッ、ジャリッという音と木々をゆらす風の声が耳に入る。

冷たくて、澄んだ空気が肺の中に入る。


気付いたら、

胸のあたりが温かくなっていた。


そして、階段を昇り、皇大神宮へ

みんなで気持ちを合わせ、二礼二拍手をする。


目を閉じて、祈りをささげる。

さっき、胸に感じた温かみはもっと広がっていた。


ただ、静かに祈りをささげる。

胸に光が差したような気がした。


初めての感覚だ。胸が温かさで満たされて、心の底から幸せを感じた。


あぁ、こんな気持ちで人に関われば、人を幸せにできるんじゃないかな。


神様はいる、と思った。

神様がいることを、信じよう、と思った。


こうして僕の2020年は終わり、2021年を迎えた。


僕の2021年

2021年、僕は再び小田真嘉さんと新田祐士さんのセミナーを申し込んだ。今回は70万円を払って、小田さんか新田さんのグループコンサルが2回付くコースを申し込んだ。

個人でコンサルを受けると、1時間数百万円かかると言われている。それくらいの価値があるコンサルが、グループとはいえ、2回もついてくるのは破格の値段だと思う。

5月に小田さんのグループコンサルを受けた。

小田さんからは、今後の会社の経営について具体的なアドバイスをいただいた。

セミナー受講者には、コンサルを受けている人もいれば、受けていない人もいるが、全員がそれぞれの目標に向かって、寝る間を削って挑戦していた。

僕以外は。


僕は、小田さんから言われたことを

やらなきゃなー、と思って

やらなきゃなーと思いながら毎日を過ごしていた。


何もしていなかった。


2回目の小田さんのコンサルの日が迫ってきているのに、僕は何一つ、手を付けていなかった。

こんな僕の惨状を知った仲間が言った。


「クズだね。」


この一言は、効いた。

自分で自分を「ダメ人間」と思うのと、

人から「クズ」と言われるのでは、人生の終わった感がまるで違う。

人から「クズ」と言われる僕は、相当、本質的な「クズ」に近づいているのだろう。とうとう僕にも火が付いた。


コンサルの1週間前、僕のクズさ加減が半端ないことを知った仲間がたくさん僕を応援してくれ、助けてくれた。

今回のコンサルを、最高のコンサルにするために今からできることを教えてくれた。

「資料を作りなよ!」

「コンサルでは、一番最初に手を挙げて話を聞いてもらうんだよ」

みんなの応援をもらって、僕は今までで、一番がんばった。資料もがんばって作った。

「クズ」と言い放った仲間も、裏では小田さんに僕のことを相談してくれていた。ありがたいかぎりだ。


そして、かつてないほど気合が入った状態で僕はグループコンサルに臨んだ。

コンサルでは、いの一番に手を挙げ、小田さんに業務用で販売しているペット用シャンプーを個人向けに販売できないかを相談した。

小田さんは、すぐにいつになく僕が燃えていることに気付いてくれた。

僕の熱意に応えようと、いろいろな可能性を探ってくれたが、最終的にいただいたアドバイスは

「今のところ個人向けの販売は難しい」

だった。

業務用に対して、今できうることを具体的に伝えてくださった。

「わかりました」と礼を言って、僕のコンサルは終わった。


そして

そこから奇跡が起きた。

同じくコンサルを受けていた太田さんという方が、愛犬家でもあり、ちょうど新しく「ペット関連の仕事がしたい」と小田さんに相談したのだ。

そこから、あれよあれよという間に

物事が決まっていき、

僕が望んでいた、個人向けペットシャンプーの販売の道筋が

たった一日でできてしまったのだ。


僕が個人向けペット用シャンプーを製造し、太田さんに卸す。

太田さんが集客と販売をする流れが決まった。


シャンプーのデザインは同じくセミナー仲間のAMMA_YAZOOさんの奥様が担当してくれた。

僕と父では創造しえないおしゃれなデザインだ。


2022年、今までの僕、これからの僕

去年、シャンプーを作る段階で原料の一部を変更する必要性がでてきた。今は、原料テストをしている。これをクリアできたらようやく一般に販売できる。


2021年は、僕にとって大きな変化があった。

挑戦と挫折の無限ループから、一歩、外へ抜け出せたのだ。


なんで、抜け出せたのか?

伊勢の神様のおかげだろうか。


はっきりと、言えることがある。

今から、大事なことを伝える。


大事なこと、その1


もし、あなたが、何をやっても続かなくて、

自分がどうしようもないクズだと思っていたら、

一言、言いたい。


辛いよね。

逃げてばかりで、

言い訳ばっかで、

自分を褒めることができなくて、

自分はダメな奴だとせめ続けるのは、

ほんと辛いよね。


僕は、わかったんだ。

ダメな自分と向き合う必要はないんだよ。

弱さと向き合わなくても良い。


向き合うというか、

自分を見つめて

大切なものを探すんだ。

自分が死んでも守りたいものを。

見つけたら、死んでも守る。

そんな気持ちで生きる。


この2年間、僕は自分を見つめた。

僕が尊敬してやまない、RUSHのニール・パート、台湾の李登輝元総統、作曲家のすぎやまこういち氏が逝去し、彼らの生き方のどこに魅力を感じ、僕自身がどんな影響を受けたのかを振り返った。

自分の過去も見つめた。

知覧特攻平和会館にある特攻隊員の手紙からは、言葉にはできない想いを託された。


最初は、全く存在も感じなかった自分の心の中にある大切なものが

少しずつ、影が浮かびあがってきて

輪郭がはっきりしてきて

ようやく、わかった。

大切なものにたどり着くまでに

2年かかった。


僕が見つけた大切なものは、

ペット用シャンプーに込められた父の思いと中野先生の思いだった。


父とは衝突することが多い。

だけれども、尊敬しているところがある。

父は、損得を抜きにして、目の前の人に向き合う人なのだ。


30数年前、父親の元に一件の電話がかかってきた。「中野」と名乗る男性からだった。彼はペットを扱う仕事をしていた。

当時、ペット用のシャンプーは犬の毛や肌にとって刺激が強すぎるものしかなかった。言葉を発しないワンちゃんには、シャンプーの原材料などは何を使ってもかまわない、という風潮があった。

電話口の中野さんは、そんな現状に心を痛めていた。そして、ワンちゃんのために、ワンちゃんに優しいシャンプーがどこかにないだろうかと、探していたのだ。

父親は、会ったこともないその「中野」と名乗る男性の話を電話口で4時間も聞いた。

会社にとってペット用シャンプーなど、当時は何の得にもならない話だった。しかし、中野さんの思いを受けて、父はワンちゃん用のシャンプーを中野さんと共同開発することを決断する。

試作を何度も重ね、気が遠くなるような数の試験をクリアして出来上がったシャンプーはあらゆる犬種に使用しても問題がない。

中野さんは、十数年後、東京スクールオブビジネスのペットビジネス学科の講師となり、授業でそのシャンプーを使用してくれた。そして、学生の多くが卒業後も、僕の会社のシャンプーを使ってくれた。

このシャンプーは発売から数十年経った今も、多くの人とワンちゃんに愛され続けている。そして、今、僕の会社を支えてくれている。


僕が見つけた大切なものは、

父が大切にしてきた、損得を抜きにして目の前の人に向き合う姿勢、

中野先生の仕事の枠を超えた、ワンちゃんに対する温かくて大きな愛情。


この二つは絶対に引き継ぎ、守っていこう、と決めた。


大事なこと、その2


仲間を見つけること。

挑戦と挫折を繰り返すようなやつは、一人でがんばってもすぐに限界が来る。

だから、仲間を作ろう。

恥を忍んで、助けてもらおう。


そのかわり、仲間がピンチの時は、全速力で駆けつけて、助けに行こう。


さようなら、ダメ人間


挑戦するときは、いつだって壁がある。

今回の壁は、心なしか、ちょっと分厚いし、高い気がする。

今までと同じように助走をつける。

届かない。

当たり前だ。

全力で助走をつけてみる。

届かない。

当たり前だ。

もっと全力で走らなくちゃ。

自分の限界を超えるくらい走らなきゃ、大切なものは守れない。


でも、届かない。


そしたら、知恵を働かせれば良い。

自分の知恵じゃなくて良い。

頭の良い人に頼る。頼み込む。


「足がかり」を付ければ良いと教えてくれるかもしれない。


そしたら仲間に資材と工具を借りて足がかりを作る。


時間と手間がかかったが、ようやく壁の上によじ登れた。


思ったより壁が高くて、飛び降りるのが怖い。


そしたら、みんなに応援してもらおう。


飛べるよ、きっと。



僕は、ワンちゃんと飼い主の幸せのために、現実を変える挑戦をしたい。

自分でもがんばるけど、

仲間でも、神様でも、助けてくれる人に頼りまくって現実を変えていこうと思っている。


最後に

仲間がいない人、いますか?

僕で良かったら、

デリケートしまちゃんで

ちりちり萬。で、

クズの僕で良かったら、仲間になりますよ。


もう、自分を嫌いになるのも、

無限ループの地獄も抜け出そう。



以上、島田憲一さんの魂のひかりでした。



島田さん、ありがとうございました!

島田さんのTwitter

太田さんのインスタ

画像1

2匹のワンちゃん、レイ、ハルが自然の中で生き生きと生活している写真が毎日アップされています。

AMMA-YAZOOさんのTwitter

画像2

お勤めをしながらオリジナルの音源やデザインTシャツを販売しています。


あとがき

島田さんからお話を伺って、一番最初に降りてきた言葉たちは「さようなら、ダメ人間」の部分でした。

島田さんが「みんなのおかげだから」って何度もおっしゃっていたのが印象的だったからかもしれません。


島田さんの物語を書きながら、

挑戦とあきらめを繰り返す人生ってけっこうな生き地獄だな、と思いました。

転職を繰り返す人、

ローン返済を重ねてしまう人、

電車の中でうつむいて、ゲーム画面を見つめているあの人は、

自分を変えたいと思っても、なかなか変えられない苦しさを感じているのかもしれない。

ダメ人間は、全ての人の心の中に大なり小なりいるのではないでしょうか。

私の中にもダメ人間がいます。

料理が面倒なダメ人間。寝る前にダラダラしてしまうダメ人間。


島田さんは、ほっとけない、憎みきれない、愛すべきダメ人間。

そして、すごく優しいところがあります。


私はたくさんの方の物語を書いています。そして、自分でも驚くほど、毎回良い物語が書けます。

良い物語をねらって書いているわけではなくて、書き終えて読み返すと良い物語になっている、という感じです。

ねらって書けるなら、書きたい。


沢山の方が、「自分の物語を書いてほしい」と言ってくださっている。ありがたいかぎりだ。

しかし、

はたして、私は皆さんの物語を全て、ちゃんと書けるだろうか?


良い物語を書けば書くほど、次の物語を書くことが怖くなります。

そんな胸の内を少しだけ、島田さんに話をしました。

少し間をおいて、島田さんはこう言いました。

「僕のは、どんな文章になってもOKだから」

その言葉を聞いたら、力が抜けて、ちょっとだけ泣きそうになりました。

「本当に優しい人なんだな」と思いました。



この物語は、私を含めた全てのダメ人間にエールを送る気持ちで書きました。

少しでも多くの人に島田さんの物語が届くと良いな、と思っています。

島田さんの魂のひかりがみなさんの心を照らしますように。

この記事が参加している募集

ペットとの暮らし

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?