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【エッセイ】上手く撮ろう!!そう思った瞬間から‥。


上手く撮ろう!そう思った瞬間から
女神様は遠ざかるらしい。


ある写真家さんの言葉だ。


そうかもしれない。


おみくじだって
抽選だって
欲をチラッとでも出したものなら‥


神様はすぐにお気づきになって
スルスルーって
運が手の中からこぼれ落ちちゃう。


見逃してはくれないのだ。
無欲であれ!と
言われているような気がして


心を見透かされたような気に
なってしてしまう。


そんなことを
子供の頃から信じていたりして。


だから
おみくじだって
抽選だっていつも
無欲で挑もうと


欲などないふりをして
手を伸ばす。


ガラガラって回す
あの抽選も


景品を当てる
あみだくじも


お正月のおみくじも‥。



そして
引いた後決まってわたしは
冗談混じりにこう言う。



「ほらね、わたし無欲だから。笑」
と。


でも本当は
間違いなく欲深いのだ。


神様だって本当は
そんなわたしに
お気づきになっているはず。


それでも
知らんぷりして
気づかないふりをして
たまに‥ご褒美をくださるのだ。


食欲などの
三大欲求に始まり


承認欲求や社会的欲求などの
マズローの欲求五段階説‥
(後に六段解説も)


様々な欲があるけれど


今!どうしても隠せないほど
チラッチラと顔を出す欲がある。


無性に撮りたいのだ‥。
写真を。


『写欲』

と呼ばれる
写真を撮るモチベーションが



日に日に
熱く
日に日に
高く‥。


もう‥隠せない。



タイトルのように
上手く撮ろう!
という欲というよりは


なんでもいいから
シャッターを切りたい欲
なのかもしれない。
 

だから今日もわたしは
カメラ片手に家を出る。


そして一心に
レンズを覗く。 


端から見れば
ギラギラしているのかも
しれない。


キラキラではなく
ギラついているに
違いない。笑


被写体はないかと
目を皿のようにして
探しているのだから。


そしてふと思う。



ファインダーを覗く
その直前までは
どんなに欲に埋もれていても



シャッターを切る
その瞬間は
無欲でありたいと。

 

無の境地に憧れ
「無」を知りたくて


どんなに精神統一し
心を静めようとも


雑念が入り雑じり 
無を意識すればするほど
そこに色が広がる。


音が鳴る‥
感情が生まれる。



中途半端な心では
きっと永遠に
辿り着けないのだ。


でもわたしは思う。
いや、思いたい。


ただ‥ 

ただ‥無心に 

被写体と向き合い
呼吸すら忘れるその一瞬は



紛れもなく
限りなく‥限りなく‥



音も色も雑念も
全てを越えた



無。に極めて近い
『無』の自分であると。









編集後記‥。✎*。


わたしが生きていく中で
欲とは
切っても切り離せない間柄だ。


そして切り離す必要もないのだと
思う。

なぜなら
あれがしたい!これがしたい!

そんな欲があるから楽しく


そんな欲があるから
生きていられるから。




もちろん
物事に執着することなく
無欲恬淡(むよくてんたん=欲がなくあっさりしている)でも
楽しく穏やかに過ごしている方もいる。


欲があろうが
なかろうが
様々な価値観の中で
どちらが正しいわけでも
どちらが幸せというわけでもない。



一人一人持っているモノサシは
多種多様。

色も形も長さも
違っていい

違って当然なのだ。


それでも時折
憧れる無の境地。

喜び悲しみなど
押し寄せる感情の起伏。
心のひだ。



ザブーンザブンと
繰り返し繰り返し
休むことなく大波‥小波。

飲まれ流され
どこまでもいつまでも‥。


そんな複雑すぎるこの心が
苦しくて苦しくて‥。


なにもいらない
無でありたい
そう願うのだ。


そう願うことすら
無ではないのに。





上手く生きたい!
そう思った瞬間に


ほんの一瞬でいい。


きっとわたしは
女神様に
微笑んで欲しいのだ。







というわけで
買ってよかったもの
それはカメラです。(*ˊᵕˋo📷oパチリ✦*


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