#20 毒親と言う言葉に救われた話
「毒親」という言葉
毒親という言葉がいつから言われるようになったのか検索してみたら、日本ではここ10年ほどらしい。
毒親の定義は、子供への過干渉、支配管理、激しい暴言---
まさにうちの親のことだ。しっくりくる。
あの頃、毒親と言えたら
私が子供の頃、40年も前なので毒親という言葉はなかった。
なので、自分のおかれている状況が何なのか、理解できずに苦しんだ。
虐待という言葉はあったが、虐待はいいすぎ?という違和感があって。おそらく虐待のイメージが悲惨すぎたのだと思う。
暴力をふるわれる、ご飯も出してもらえない、学校もいかしてもらえない、というような。
私はご飯も食べさせてもらえてるし、学校もいかせてもらえてる。生活には困らない。困るどころか裕福だったと思う。
そのせいで、ひたすら悩んだ。
虐待じゃないなら、、、
普通は親って子供がかわいいんじゃないの?なんで私だけ理不尽なことされるの?私が悪いの?兄弟は可愛がってもらってるのに。。
毒親という言葉を知ったのは、とうにあの人と絶縁した後だが、当時、そういう言葉があったら・・もっと早く楽になれていたのかな、なんて思うこともある。
毒親と言える幸せ
幸せ。というのは大げさかもしれないが、救われたのは確かだ。
病気と似ている気がする。
具合が悪くて病院にいってもなかなか診断がつかないとき、とにかく不安で落ち着かない。たとえ軽症でも風邪でも。
やっと病名が分かると安心する。なぜなら対処法が分かるからだ。大病でなければ薬や治療を受ければよい。
ずっと、親子関係にモヤモヤしていた。ずっと、なんだろう、と思って生きてきた。自分を責めたこともあった。何度涙を流したことだろう。
毒親という言葉と出会って。
あの人は毒親だったんだ---
虐待とも違う(毒親は心理的虐待ともいうが)から大っぴらに相談もできず、いい子を演じ続け、自分が悪いと自分を責めたり、親とうまくいかないことをひたすら隠してきた日々・・
やっぱりあの人がおかしかったんだ!!! 毒親っていうんだ!!!
長年の胸のつかえがとれた。
毒親と言える便利さ
親子関係がうまくいっていない話をするとき(滅多にしないが)、
「うちって毒親なんだよねー。」
と言える便利さ、がある。
大抵の人は毒親というパワーワードを聞くと、それ以上聞かなくなる。でも空気もそこまで重くならないから不思議なものだ。
毒親という言葉が広まったおかげで、したくない話題を一言で終らせることができるようになった。
誰に言えばいいのか分からないが、ありがとう、と伝えたい。
毒親の対処
さきほど病名が分かったら対処すればよいから安心だ、と書いた。
毒親と分かったら、さてどう対処するか。考えてみたが、やはり前に書いた同じ結論にいたった。
毒親って運が悪かったと思って割り切るしかない。
親の人格を変えることなんて到底できないし、どうにもならないから、そこにパワーを使う必要はない。逆にそんなパワーもったいない。自分のためにパワーを使ってほしい。
自分の人生を壊されないように生き抜いてほしい。自分の人生は自分で変えられるから。
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