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言葉はどこで学ぶ?

中2の生徒に「学校でこの本を読みなさい」とか言われるの?と聞いたら
「全然」と言う言葉が返ってきました。
「じゃ、教科書に載っていた話で印象に残っている小説ってある?」
「走れメロスかな、なんかよくわからなかったけど」
続けるには
「芥川龍之介とか、太宰治って難しいし、生々しいじゃないですか」

生々しい? 感性に訴える部分が強いと言うことかな?

あまり興味がなさそうなのでそこで話を打ち切りましたが、今、どれだけの文学を学校で読んでいるのか気になりました。

二人の息子をアメリカで育てていた時、彼らがこれでもかと言うほどいわゆるクラシックスと呼ばれる小説を読まされたのを思い出しました。

「高慢と偏見」「エマ」「モンテ・クリスト伯」などなど。しかも抜粋ではなくてしっかり1冊渡されます。

もちろん、生徒たちはCliff`s Noteという内容をかいつまんで書いてある本などを利用していましたがそのあたりは先生だって織り込み済み。

読むだけではなくてそれについて週1のペースでペーパーを書かされていました。本人たちは悲鳴をあげていたけれど、振り返るとそこで言葉、表現力が培われていたと思います。

先生は、「nice, good, wonderfulのような陳腐としか言いようがない言葉は使わないように」と繰り返していっていたようです。

洗練した言葉を支える大人にしたいという教師側の願望、学校の方針がしっかりみられた授業でありました。

話し言葉でもたくさん言葉は学べるものの、書いた言葉ほど多くの語彙は使いません。言い回しだって表現方法だってそう。同じ言葉の繰り返しでは説得力も何にもないですよね。

本の中身に引き摺り込まれ時間を忘れるくらい本を楽しんで欲しい、いえ、そういう本に出会って欲しいと強く願います。

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