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〈らしさ〉への抵抗①―はじめに

私は、「〇〇らしさ」という言葉が嫌いだ。
それはもう、死ぬほど嫌いだ。

男らしく、女らしく、
学生らしく、社会人らしく、
20代らしく、30代らしく、
先生らしく、生徒らしく。
そして、日本人らしく――。

言うまでもなく、人はその人がその人の生を生きているというだけで尊く、そして等しく尊重されるべき存在である。

上記のさまざまな「らしさ」は、そのかけがえのない個性を殺す、文字通りの凶器ですらあろう。

思えば、私は見た目も内面も子どもらしくない子どもであった。
小学生の頃から演歌が大好きで、
中学生のときには温泉旅館で樽酒の試飲を勧められた。
流行りのゲームには手を出さずに、
ひたすら電車を運転するゲームをやっていた。

それでも友人もいたし、彼女もいた。
親も大切に育ててくれたし、先生方も私のキャラクターをよく理解してくれた。だからこそ、私自身もそういうなかでアイデンティティを確立していけた。

私は幸運な方だったと思う。
しかしそんな私だって「子どもらしく」「学生らしく」「男らしく」なんて言葉を浴びせられて嫌な思いをしたことなど一度や二度ではない。しかも言っている本人はそこまで悪気がないばかりか、忠告や説教のかたちで向けられることすらある。そう、その言葉を発した当人は「あなたのためを思って」言って「くださって」いるのだ。
大変タチが悪く、また状況としては〈地獄〉以外の何物でもない。

思えば、私の歴史における問題意識の出発点はこんなところにあったのかもしれないと思う。
〈らしさ〉という言葉では到底表せない、もっと生臭い、もっとグロテスクな〈類型化の暴力〉に対するまじりっけなしの嫌悪感が、「日本史」における私の関心を、そのテーマに向かせたのだと思う。

このnoteでは、シリーズ「〈らしさ〉への抵抗」と題して日本史のなかで特に私の問題意識とのかかわりが深いものについて、書いてみようと思う。
そう、たったいま思いついた。

現状では以下の内容を予定しているが、増えるかもしれないし、減るかもしれない。

  • 桜と「日本人」

  • 男女普通選挙と”国籍条項”

  • 国家神道と植民地

通常の記事の更新とまぜこぜで執筆していくので、気長にお待ちいただけると幸いである。

私が大学入学以降、最初に興味をもったテーマは国家神道であった。

国家神道とは、神道国教化政策の道を閉ざされた明治日本が、神社非宗教論といういわば”詭弁”を用いて皇室の祭祀である神道、そして神社参拝を「臣民」に強制した、神道の国家管理状態をいう。

そしてそれは、「日本国民」とされた植民地の人々を「日本人」にしていくのにも使用された――。

私はジェンダー史にも興味を持った。

私がもっとも嫌悪する「男らしさ」「女らしさ」についての、国家や社会そのものによる最も直接的な暴力だからだ。
そしてそれは、すぐれて現代的な問題でもあるからだ。

いつぞや投稿した「『蘇州の夜』にみるジェンダーと植民地主義」もそうした問題意識がもとになっている。

https://note.com/sakyosandayo/n/nce26f10c7bd0 

本シリーズではこれに関連して、敗戦後日本で行われた男女普通選挙について取り上げてみようと思う。

1945年の衆議院議員選挙法の改正によって選挙権が「20歳以上の男女」に拡大された――。

これこそ、輝かしい戦後民主主義の出発であり、同法の改正によって国会(最後の帝国議会)に送り込まれた「婦人代議士」39名を含む国会議員たちが日本国憲法の審議を行った。

これが一般的な理解であるし、史実としても正しい。

しかし、同法の改正においては上記のような理解からは見えない――いや、人によっては見ようとしていないのかもしれない――重要な点がある。

これについて、日本国憲法施行直前に発せられた「外国人登録令」にも言及しながら論じていきたい。

執筆・公開は比較的とっつきやすいテーマと思われる「桜と日本人」から扱おうと思う。

伝統とカワイイは創れる。

こうご期待。


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