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2022.8.16 【全文無料(投げ銭記事)】アニメにも通じていた…?縄文文化の秘密

私たちが歴史を学ぶ際に、必ず目にする『土偶』や『遺跡』。

勉強の一環としてこれらを学ぶと、ただの知識として頭に残りますが、『土偶』や『遺跡』には、精密で高度な技術や奥深い考えが眠っていました…。

今回の記事は、『縄文人の想像力』をテーマに書き綴っていこうと思います。

本記事を最後まで読んでい頂ければ、縄文人の文化や想像力が、現代の日本にまで生きていることが明らかになるかと思います。


縄文人の巨大建築技術

青森空港。
下降する飛行機の機窓からは、どこまでも続く豊かな緑の山並みに目を奪われます。

なぜ『青森』と呼ばれるのかを考えたその時、
「そうか、青森とは、緑の森という意味なんだ」
と、山並みを見て今更ながら気付かされました。

『緑』とは比較的新しい言葉で、古代の日本人は緑を『青』と呼んでいました。

ですから、青山は緑の山、青田は緑の田、青木は緑の木、それらと同様、青森は緑の森なのです。

この緑の森で、かつて縄文人たちは豊かな自然の恵みを頂き、そこから見事な文化を築きました。

去年、『北海道・北東北の縄文遺跡群』が世界遺産に登録されたのは記憶に新しいかと思います。

中でも、三内丸山遺跡は、立派な展示館と復元された巨大建造物で、見学者も十分楽しめる施設になっていますが、他の遺跡も整備が着々と進められています。

三内丸山遺跡の直径1mの栗の木の柱6本で構成されている“六本柱”の建造物は、復元されたもので高さ16m。

近くで見ると、その巨大さに圧倒されます。

別の復元模型の写真では、茅葺きの屋根が付けられており、高床式の神社の本殿のようです。

出雲大社は、古代には48mの高さがあったとの言い伝えがありますが、巨大建築技術としては連続性が感じられます。

その隣にある大型縦穴住居は、長さ約32m、幅約10m、床面積は280㎡もあります。

これも中に入ると、巨大な柱や梁に驚かされます。

考えてみると、日本では、その後の仁徳天皇陵、奈良の大仏、近現代でも戦艦大和から明石大橋、スカイツリーと、巨大な建造物を作る技術を得意としています。

その素地は縄文時代から発揮されていたのです。

現代に通ずる精密加工技術、アニメ

縄文人たちの創造力は、巨大建造物以外にも世界最初に土器を作りだした点にも感じられます。

形も模様も実に様々で、縄文の模様も細かいものでは数ミリ単位の精巧さ、実物を見ると目を見張るばかりです。

現代日本も、例えば1mm以下の電子部品をプリント基板上に載せる実装機とか、半導体製造装置など、微細微少な設備・製品の技術は世界でも群を抜いています。

また、無数の多様な形をした土偶の数々を見ると、現代日本のアニメの源流は土偶にあったのかと思えます。

巨大建造技術、精密加工技術、アニメなど、現代の日本人が得意としている分野の萌芽は、既に約5900~4000年前の三内丸山遺跡から見てとれます。

この縄文人たちの創造力は、一体どこから来たのでしょう。

そこに日本文化の『根っこ』がありそうです。

生死を超えた共同体感覚

そのヒントは、やはり三内丸山遺跡の現場にあります。

当時は、この集落のすぐそばまで海が迫っており、住人たちが魚や貝を獲りに海に出る道がありました。

その道の両側にお墓が並んでいます。

遺骸は道路に足を向けて、すなわち起き上がると道路に相対するように、埋葬されていたそうです。

男たちが漁に出る際には、妻子に交じって祖先の霊たちが
「無事に行ってこいよ」
「豊漁を祈る」
と見送り、帰ってくる際には、
「お帰り」
「頑張ったね」
などと迎える光景が想像できました。

このように、縄文人たちは祖霊と共に暮らしていたのでしょう。

人類学者の竹倉史人氏の著『輪廻転生』は、輪廻転生の一つのパターンとして、原始的な生活を送る西アフリカのイグボ族の祖霊信仰を紹介しています。

<善き人生を送り、健康な生活を送り、孫や曾孫たちにも恵まれ、そして自然な死を迎えるなど、イグボ社会では一定の条件を満たした霊だけが祖霊化することを許されます。
「イグボの人生の目標は祖霊になることだ」という言葉が聞かれるほど、
それは非常に名誉なことと考えられています。
さて、無事に冥府に到着しても、そこにパラダイスのような享楽的な生活が待っているわけではありません。
祖霊界は「天国」ではないのです。
たしかに祖霊は子孫から「尊敬」されますが、神のように「崇拝」されるわけではありません。
子孫からはあくまでも親族の一員として扱われます。
祖霊には大事な仕事が待っています。
自分の子孫を守護し、かれらに成功と繁栄をもたらさなければなりません。>

こうした祖霊信仰は、先祖の霊が草場の陰で子孫を見守っているという、日本古来の霊魂観に極めて近いと感じられます。

そして、祖霊は、基本的には自分の親族のうちに生まれ変わります。

<日本にも、故人の遺体の手のひらや足の裏に名前やお経を墨で書き、その後よく似た母斑をもった赤ん坊が近縁に生まれてきた、という逸話は数多く伝わっています。
(松谷みよ子『あの世へ行った話・死の話・生まれかわり』や小泉八雲『怪談』のなかの「力ばか」など)。>

こう考えると、人間は生きている間は子や孫のために尽くし、死ねば祖霊となって子孫を見守り、やがてその子孫の一人として生まれ変わるというのが、望ましい生死となります。

それは、個人の生死を超えた縦の共同体感覚をもたらします。

死ねば家族とも別れて、天国や極楽に行ってしまうキリスト教や仏教よりも、遥かに生き甲斐のある生死ではないでしょうか?

祖霊信仰が子や孫のための工夫・努力を生み出す

こういう死生観からは、自分の事よりも子や孫のために尽くそうという動機が生まれます。

そこから色々な工夫や努力が生まれます。

人間は利己心よりも利他心の方が強力なのです。

子供たちに、より良い食べ物を与えるために立派な土器を作りたいとか、良い土偶を作って力のある食物霊を呼び寄せ、豊かな実りを頂きたいという努力が成されるでしょう。

私たちが、今日見る精巧で多彩多様な文様と形状の土器や土偶は、こうした利他的な努力によって、生み出されたのではないでしょうか?

全国で出土して資料化された土偶は約1万1000個程度で、縄文時代に作られた土偶総数を約3000万個とする推測もあるそうです。 

1万年で割れば年3000個、それも全国規模ですから、それほど無茶な数字ではありません。

土偶の制作は、一部の部族の一時の流行というようなものではなく、縄文人たちの心の深層に深く根ざした1万年以上の努力であったと考えざるを得ません。

日本人は昔から子供を可愛がってきました。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」
とは、1877(明治10)年に来日して、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者エドワード・モースの言葉です。

こういう縦軸を重視する道徳観の基底を成しているのが、縄文以来の祖霊信仰ではないかと思うのです。

祖霊信仰が生む横の共同体意識

祖霊信仰は、世代・生死を超えた縦の共同体を生み出すと共に、現在生きている人々の横の共同体も強化すると思われます。

一つの村単位の共同体の中で、先祖代々助け合ってきた同胞だという感覚が生まれるからです。

その共同体感覚の一例が、『大日本帝国憲法発布勅語』に窺えます。

その原文のごく一部と現代語訳を掲げると、

<朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ
朕は、我が臣民が、すなわち祖宗(皇室の先祖である歴代天皇)の忠実・善良な臣民の子孫であることを思いめぐらし、>

歴代天皇は、その時代時代の国民と力を合わせて国作りに励んでこられました。

自分は、その歴代天皇の子孫であり、現代の国民は、その時代時代の国民の子孫であるというのです。

天皇も国民も先祖代々、力を合わせてやってきたのだから、今の時代も同様に協力していこうと呼びかけられているのです。

一つの共同体の中で、力を合わせてやっていこうとする同胞精神は、同じ歴史を共有しているという意識から生じます。

縄文時代の人々は、お互いの代々の祖霊たちも助け合った同胞だったという感覚によって、その子孫として強い同胞意識で結ばれていたのではないかと考えられるのです。

前述の“六本柱”の建造物を建てるには、大人200人程度の協力が必要だと大林組は計算しています。

三内丸山での最盛期の人口は500人程度と推定されていますので、子供や老人を除くほとんどの住民が力を合わせて、この巨大施設を作ったのです。

子孫のために、天にも届く立派な祭祀施設を作ろうという志を、共同体全体で共有して皆で力を合わせたのでしょう。

祖霊信仰が築く平和な全国的交易関係

縄文人たちは、小さな集落に分かれて列島各地に散在していました。

近隣の集落どうしは、互いに婚姻などで結ばれていたでしょうし、また遠くの集落とは、貴重な資源の交易をしていました。

新潟のヒスイ、秋田のアスファルト、岩手のコハク、北海道の黒曜石などが三内丸山遺跡から出土しています。

全国的に集落間の平和な結び付きがあったからこそ、こうした交易も可能になったのでしょう。

しかし、祖霊信仰が親族内の祖霊のみを対象としていたのなら、なぜこのような全国規模の平和的交易が実現したのでしょうか。

例えば、前述のイグボ族では、“善き人生を送り、健康な生活を送り、孫や曾孫たちにも恵まれ、そして自然な死を迎える”ことが祖霊になる条件でした。

もし、我欲を出して他の村から貴重な財を奪おうと手を出して、逆に殺されたりしたら、“悪霊”となってしまいます。

これは、日本の“怨霊”と同様の感じ方でしょう。

とすれば、互いに祖霊信仰を持つ共同体の間では、平和的に交易して貴重な財を入手する方が子孫のためになるというマインドが働きます。

そして、そういう関係が何代も、何百年も続けば、先祖代々仲良くしてきた事実が強い信頼関係を築くでしょう。

日本全土にまたがる平和的な交易関係が縄文時代に実現していたのも、こうした祖霊信仰の力が働いたからと考えます。

そして、この平和な長期的な交易とは、現代の日本も得意とする分野です。

江戸時代には、“売り手良し、買い手良し、世間良し”の三方良しの哲学が広がり、日本全体を繋ぐ商工業が発展しました。

そこから、日本特有のビジネス形態として総合商社が発展し、現代では世界規模の平和的な交易活動を展開しています。

この点も、縄文時代に淵源がありそうです。

自然との和を生み出す精霊信仰

もう一つ、縄文文化の特徴として自然との和があります。

農耕・牧畜によって定住を果たした世界の四大文明が、みな砂漠化してしまったのに対して、縄文文化は美しい森と海を保ちながら、1万年以上も続きました。

竹倉氏は同書で、アラスカに暮らすトリンギット族も紹介しています。

このトリンギット族も、イグボ族と同様の祖霊信仰を持っており、祖霊は親族内で生まれ変わると信ずる点も同じです。

祖霊信仰がアフリカからアラスカまで、古代人類の共通の信仰として広まっていた様が窺われます。

トリンギット族は、太陽も月も大地も生命を持つ精霊信仰(アニミズム)を
持っており、その考え方を竹倉氏はこう説明しています。

<人間の肉体は霊魂にとっての衣服のようなものです。
人間と動物の霊魂は同種のものであり、いわば着ている服がちがうだけです。
ある霊魂は人間の衣装を身に着け、また別の霊魂は動物の衣装を身に着けているといった具合です。
したがって人間と動物とのあいだに明確な境界線は存在せず、兄弟姉妹のような関係であると考えられています。>

いかにも山川草木、全てが神の分け命とする日本神話とよく似た生命観です。

しかし、仏教のように人間の霊魂が、虫になって生まれ変わったりするなどとは考えないようです。

人間は人間、虫は虫と、同類の中で生まれ変わります。

ただ、着ている服が違うだけで、同じ霊魂だという同胞感はあります。

したがって人間の集落どうしが、それぞれの祖霊を持ちながら平和に交易関係を続けているように、人間も動物も虫も魚も草木も、それぞれに祖霊があると考えれば、そこに一種の同胞感が生まれます。

ある動物を捕りすぎて絶滅させてしまったら、その動物の祖霊に
悪をなしたことになり、自分自身が祖霊になれなくなってしまいます。

要は、私たちは様々な霊と共に生きているという生命観となり、祖霊信仰も精霊信仰も一つのものになります。

共同体の和も、自然との和もそこから生まれてくるのでしょう。

こういう考えを、現代人は未開な原始信仰と見下せるでしょうか。

現代の科学は、霊魂については何も語れませんし、かつては“高等宗教”と自慢したキリスト教の“最後の審判の日に天国に行くか地獄に行くか審判される”という死生観よりは、よほど合理的に感じられます。

いずれにせよ、縄文人の祖霊信仰は、現代日本人のお盆やお墓参りにも生きており、そこから生まれる子孫への利他心が私たちの持つ強み、すなわち巨大建築技術、精密加工技術、デザイン、交易などを生み出しているのです。

今回も最後までお読み頂きまして有り難うございました。
記事を良いと思って頂いた上で、投げ銭もして頂けましたら幸いです。

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