見出し画像

2021.10.9 この屈辱の日は永久に忘れない…by中国人

「昭和天皇は死刑に値する」
「日本軍は捕虜の人肉を食べていた」

現在も幼稚園から行われているという中国の反日教育。
その実態は、抗日をテーマにした絵画コンクールまであると言われています。

ではなぜ、中国はこんなにも必死に反日教育を行なっているのか。
そもそも、いつから、誰が始めたのか疑問に思ったことはありませんか?

実は、そのきっかけを作ったのは、反日団体が主張する“南京大虐殺”よりも15年以上も前、ある一人の日本人にありました。

戦後70年以上も経つ今なお、その遺恨を残しておきながら、歴史の中では、ほとんど触れられない人物。

歴史研究をしている多くの言論人も言わない、ある一人の男。

皆さんがこの記事を読み進めれば、歴史の中では決してスポットが当たらない、しかし、日本の歴史を狂わせたといっても過言ではない事実がお分かり頂けるでしょう。

日本を狂わせた最悪の外交官
教科書で語られない反日感情の元凶

「日本は世界を誤った方向に導いている」byイギリス『タイムズ』
「日本の行動は、明瞭を欠いている」byロシア大使
「日本の行動は日英同盟の尊重に反する」byイギリス『マンチェスター・ガーディアン』

1915年、第一次世界大戦が終わったばかりの日本を欧州各地が突然批判。
前年まで同盟を組み、共に戦っていた国から、手のひらを返したように次々と批判の声が上がった。
一体なぜなのか。

その原因は…

画像1

この一人の外務大臣にあった。

当時、欧州のメディアが批判したその内容は、常識では考えられない世界を揺るがすものだった。それは、

「日本人を中国政府の政治、財政、軍事顧問に就けること」
「日本と共同で中国国内の警察を組織すること」
「兵器は日本から供給されるか、日本と共同で作ること」
など、21にも及ぶ明らかに中国を支配するような要求だった。

さらに21の要求のうち、最後に書かれた6つは、まるで日本が中国を保護国化しようとしている、もしくは併合しようとしていると、他国から捉えられても仕方がない内容だった。

いくら戦勝国だとはいえ、こんなに行き過ぎた要求をしたら、欧州や中国国内は黙っているはずがない。

そんなことは分かりきっていたのに、なぜ当時の日本政府は提出したのだろうか。
信じられないと思うが、日本政府はこの要求を
「知らなかった」

画像2

実際に当時の首相だった大隈重信は、後にこう述べている。

「彼は外交秘密主義で、他に漏れる恐れがあるなどと言って、事前に首相の僕にでさえ、十分に内容を伝えてもらうことはなかった」

しかも当時、他国に送る外交文書は、元老に一度提示し、協議や承認を受けてから送ることが慣習となっていた。

にもかかわらず、この男は元老はおろか、トップである首相にも相談することなく、中国に対してこのような行き過ぎた要求を独断で行なったのだ。

そして、あろうことか、国内に知られては都合の悪い6つの要求に関しては、当時の袁世凱政府に口止めを行い、中国に突き付けた後の日本政府への報告でも、全く触れることはなかった。

結果的に、袁世凱政府は、この行き過ぎた要求を世界へリークし、欧州メディアの報道によって、日本政府関係者がその内容を知ったほどである。

この要求が暴露されたことにより、中国国内には一気に日本への不信感が広がり、皆さんもご存知の満州事変や日中戦争へと繋がり、最終的には、あの大東亜戦争へと引き摺り込まれていった。

ちなみに、この21ヵ条の要求を承認した5月9日は、中国国民にとって屈辱の日として『国恥記念日』と名付けられ、この後の抗日運動の出発点となってしまった。

では、そんな日本の運命を狂わせた21ヵ条要求を出したのは、一体誰だったのか。

その男こそが、加藤高明。

当時、4度もの外務大臣を務め、大隈内閣のナンバー2として、世界を相手に外交を行なっていた。

しかし、この男が己の力を過信して、本来は聞いていた元老や他の政治家の意見を無視、あろうことか、トップである首相に報告すらせずに、単独で21ヵ条要求を強行。しかも、都合の悪い部分は自らの味方にも隠す始末。

結果的に、世界中へ秘密裏にリークされるなど、外交戦だけでなく情報戦にも負け、100年以上経った今でも、根深い反日感情の直接的なきっかけを生み出してしまった。

もし、当時の外相が違っていたら、大隈を含め他の人の意見をきちんと取り入れていたら、日本の運命は大きく変わっていたかもしれない…。


今でも根強く残る中国からの反日感情、この大きな原因の一つが対華21ヵ条要求だったのです。

そして、中国に対して出されたこの要求は、当時の日本のトップ…ではなく、その側近である加藤高明の独断によって強行的に出されたものです。

前述したように、この21ヵ条要求をきっかけに満州事変や日中戦争、そして最終的には大東亜戦争へと繋がったと言っても過言ではありません。

画像3

つまり、加藤高明の手によって、緩やかに敗戦の道を辿り始めてしまったのです。

このように、トップではなくナンバー2が国の命運を分けたという事例は数多く存在します。

実際に、史上最大の征服者チンギス・ハンは、教科書にも載らないナンバー2の弟のおかげで天下を取ったり、中華人民共和国を建国した毛沢東には、その陰に隠れた天才的な男によって、欧米と友好的に国を成長させていったなど、どの時代、どの国であっても、歴史上には名が残らないナンバー2の動きによって、その国の運命は変わってくるのです。

あたかも1人のリーダーによって、歴史が変わったかのように語られることが多いですが、少し視点を変えて、一般にはスポットライトが当たらないナンバー2の存在を見ると、今までよりも一段深い歴史が見えてきます。

しかし、歴史を学ぶ時には皇帝、王様、大統領など、ほとんどの場合で、その国を率いたトップについてしか触れられません。

国を動かすのがトップの役割であり、その国を繁栄させていくためには、トップに立つ人物の能力や力量、才能が大きく関わってくることも事実です。

しかし、実際にこれまでの長い歴史の中で、歴史の教科書や多くの書籍で名前が挙がるトップの陰に隠れて、そのナンバー2が歴史を変えていることも少なくありません。では、なぜ触れられないのか?

それは、現代の学校教育で、特に暗記偏重型の教育をされているのが、歴史の授業だからです。

ただ、教科書に載っている表面上の出来事だけを覚えるため、戦いの背景にあったことやその当事者が何を考えていたのか、どうすべきだったのかは考えることもありません。

そんな暗記型偏重教育を生み出してしまっているのが、現在の“受験”の仕組みではないでしょうか。

受験で良い点を取るために歴史を勉強する。一点刻みの評価をするために出題されるのは、単純な暗記問題が多くなってしまいます。

本当の意味で史実を理解するためには、出来事だけではなく、その流れやトップではないナンバー2のような存在まで知った上で、その内容を説明できる必要があるにもかかわらず、歴史から何を学ぶことができるか、どんなことを活かせるかなどについては、現在の教育の中では全く教えられることはありません。

もし皆さんが、これまで通りの歴史の見方をしても、きっと、これからの日常で困ることはないかも知れません。

ましてや、歴史を学び続けることで、自分にとっては心が痛いような見たくないものも出てくることがあるかもしれません。

しかし、教科書に書いてあるような表面的な歴史の見方を続けていても、ただ出来事を学んでいるだけになってしまうかもしれません。

また、そこからの教訓を学ぶことが出来ず、歴史というものは、ただ出来事を知るだけの学びや教訓、日常に活かすことができない、ただ本棚の奥に眠るような使われない教養になってしまうだけかもしれません。

私たちが普段触れている歴史では、“何年にどんな戦いが起きた”、"この時○○を倒して王になった”のように、過去の出来事を単なる事実として捉えてしまう傾向があります。

しかし、今、トップだけではないナンバー2、つまり軍師の視点で歴史を学ぶことで、今までとは全く違った視点で捉えることができるようになります。

そして、歴史上の様々な軍師が歩んできた人生から学ぶことで、大きな決断をした背景やその時に考えていたことを追体験することができます。

さらに、歴史をただ出来事をなぞるだけの写真のようなものではなく、そこに色を加え、映像のように動き出す者へと捉え直すことができます。

何百、何千年と越えて語り継がれるほど極端な優れた人やあるいは失敗した人物が、当時何を考えていたのか、そこからどんな教訓があるのかがはっきりと見えてきます。

そして、その視点は歴史だけではなく、現代にも活かすことが出来るのではないでしょうか?

現代の日本で、いつも注目されるのはトップである総理大臣。国際情勢でも、いつも注目されるのは大統領や首相ばかり。しかし、実際に国の方針を決めているのはトップだけではなく、その軍師とも言える大臣や官僚だと言っても過言ではありません。

残念ながら私たちには、未来を知ることはできません。

だからこそ、学びを得るための教材は、全てこれまでに過ぎ去った過去、つまり歴史にあるのです。

今、歴史の中で軍師の視点を身に付けることで、現代のニュースや出来事を世の中の大勢の人とは違った視点から見ることができ、そして、きっと報道でクローズアップされるだけの情報だけで簡単に流されなくなるでしょう。

そして、一つの見方ではない様々な視点を得ることで、歴史に深みを感じ、学ぶことが楽しくなると思います。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とドイツの名宰相オットー・ファン・ビスマルクが語るように、限られた人生において、自分自身の経験から学び想像できることには限りがあります。

歴史を広い視野で、深みを持って捉えることで、自分の人生に活かせるような学びがあることでしょう。

選択の連続である私たちの人生において、ニュースの報道や誰かの軽率な発言などを鵜呑みにして、その情報を一面的に受け入れるのではなく、過去の歴史の成功や失敗に学ぶ重要性、一度立ち止まって考える重要性を理解し、より良い選択をできるようになって欲しいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?