見出し画像

2022.6.19 コンビニより多い!?古墳が示す1400年前の日本

まず始めに、日本の古墳時代、古墳文化は過小評価されてきたと言わざるを得ません。

古墳文化は、日本の高度な技術と高度な日本人の精神文化の両方が込められています。

一体、古墳には、どのような先人たちの技術や精神性が込められているのか。
ということで、今回は古墳にまつわる話を少し書いていこうと思います。


ローマ帝国や秦・漢王朝が繁栄していた時代に、日本は弥生~古墳時代を迎えていました。

前方後円墳とよばれる形態の同じ古墳が、岩手から鹿児島まで多数造られ、また、円墳、方墳、八角墳、その他さまざまな形の古墳が全国に造られました。
その数は16万基を超えると言われています。

古墳を作り上げた土木工事の技術、また、それを可能にした組織、共同体あるいは国家というものは、それを率いる統治者、大王あるいは天皇がおられたということでしょう。

仁徳天皇陵や応神天皇陵の規模の巨大な前方後円墳は、それを雄弁に物語っています。

前方後円墳では、円の一番上、一番高い所に棺が置かれます。

前方後円墳の山の頂は、エジプトのピラミッドの頂点を連想させ、山の頂上の上に棺を置くということが、日本人の御霊信仰を表しています。

そして、前方後円墳は、濠に囲まれており、仁徳天皇陵などは三重の濠が巡らされています。

この濠には橋がありません。

橋が無いということは、人々はそこに渡ることができません。
つまり、そこが聖域だということを意味します。

聖なるものがある、つまり神がいるということであり、古墳は日本の神道の内実をよく表しています。

死者の霊を神として祀るのは御霊信仰であり、古墳とは神道の結晶といっても過言ではありません。

そして、この世界最大級の墳墓である古墳を造り上げた当時の人々の土木工事の技術は、これも世界レベルであったことは間違いありません。

仁徳天皇陵は、大林組の試算によれば、これを造るのに、1日2000人の人が働いて、約16年掛かっただろうと言われています。

こうした大事業を成し遂げるにためには、統一された政治権力や国家、統一された度量衡、人々の技術と組織力、人々に共通する精神・信仰が必要だったことはいうまでもありません。

このことを、古代ローマや秦、漢帝国と比べてみると、どうなのだろうと考える人はほとんどいません。

しかし、それは数や規模、さらには、その質的な高さ(統一性・均質性)からいっても、十分にローマ帝国や秦・漢帝国に匹敵するものであったといえるでしょう。

例えば、ハドリアヌス帝の墓、

秦の始皇帝の墓、

さらには、クフ王のピラミッド、

これらよりも、仁徳天皇陵の方が、その規模は大きいのです。

ローマ帝国、秦・漢帝国、日本(倭)…、それぞれの国土の大きさから考えてみれば、日本の古墳の大きさは際立っているともいえます。

如何でしょうか?
このように規模を比較し理解することで、古墳文化の高度な技術や精神性がお分かり頂けたのではないでしょうか。

先述したように、古墳の数は全国に16万基以上と、コンビニの数より3倍以上多くあります。

もし、お近くに古墳がありましたら、高度な古墳文化の技術や1400年前に先人たちが古墳に込めた、その日本人としての精神性を感じてみては如何でしょうか。

この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?