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風景印散歩で塙保己一(はなわほきいち)を知る

先日、渋谷の風景印散策をしました。

その際風景印とは関係なく、かなりマイナーな場所も散策しました。
その一つがここ、温故学会館、塙保己一資料館です。

ハナワ ホキイチ

と聞いてすぐに「ああ、あの!」と思い浮かべられる方はどの位の割合でいらっしゃるのでしょうか。

私は正直、うーん…と考え込んでしまいました。

温故学会会館で配られたポストカード

温故学会館で群書類従という言葉を聞き、うっすらと
日本史で習ったかも?
と何十年か前の記憶を掘り起こしていると…

温故学会館で配られたポストカード

幸い温故学会館の方が私達のために説明して下さいました。

塙保己一は江戸時代後期に活躍した盲目の学者です。驚異の暗記力で様々な学問をきわめ、大文献集「群書類従」の編纂を成し遂げました。また、国学の研究の場として「和学講談所」を創設し多くの弟子を育てました。
塙保己一は盲目の身で国家的大事業を成し遂げただけでなく目の不自由な仲間のことを忘れず、生涯、自分と同じように障害のある人たちの社会的地位向上のために力を注ぎました。

塙保己一史料館HPより

なんと、ヘレンケラーも子供の頃母親に塙氏の功績と不屈の精神を聞かされ、発奮していたようです。

今回訪問した温故学会館には群書類従の版木がそのまま残っていました。

群書類従とは、簡単に言えば塙氏が41年かけて全国各地に散在していた貴重な書物を集め、校訂を加え、種類ごとに編纂した文献集です。

百円支払って、書庫の中に入れてもらいました。撮影も可能です。

かなりの量の版木が並んでいました


今でも注文があれば刷るそうです。

版木で刷られた物語も館内で幾つか売っていました 買わなかったのが悔やまれます

帰宅してから塙氏の事を色々調べてみました。

エピソードは此方にたくさん載っています⬇️

抜群の記憶力だった事は以下のエピソードからもうかがえますね。

保己一の書庫には6万冊の本があったとされ、そのすべてを記憶していた。
晩年、ある歌会の判者を頼まれ、50首の歌を聞いて自宅に戻った。
さて、歌を思い出そうとしたが、どうしても3首だけ思い出せなかった。
「わしも、このようにものを忘れるようになっては、もう死ぬかもしれない」とさびしくつぶやいたという。
また、集中力を高めるため「般若心経」を毎日百巻唱え、生涯に220万巻を超えた。まさに努力の人であった。

塙保己一 記憶力のエピソードより

会館の方が、塙保己一氏の生涯を描く映画制作が決定した事を嬉しそうにお話しして下さいました。
氏の功績が広く伝わるといいな、と思いました。

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