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エッセイ:ドン引きのすゝめ


けい‐もう【啓蒙】
〘名〙 一般の人々の無知をきりひらき、正しい知識を与えること。

コトバンク


ある男

思い出すのは、白い齒。上背があって、日に焼けて引き締まった躰、臆病な目つき。趣味はゴルフで、高校生の娘がいるといった。妻もいれば愛人もいる、会社経営者だった。埼玉の郊外に一軒家。ローンは完済。ジャーマンシェパードって牧羊犬を飼っているらしかった。
「一身独立」が、そいつの座右の銘だった。

二十年ほど前、ある曇った秋の日、そいつを囲む下々の者の一人として、私もいた。いつものように喫煙室で六七人、紫煙を燻らせながら、そいつの自慢話に耳を傾けていた。自慢話とはいえ、社会的地位もありそれなりの経験をしてきた大人の話は、若僧にとって、気づきが多い。金融や経済の実際のところはそいつから学んだ。自分をより大きく見せたがるきらいがあったが、人なんてそんなものだろう。そんなことも学んだ。誰にでも、かくありたい自分という像がある。

そいつは経営者として、父親として、夫として、愛人のパトロンとして、強くありたいと思っていたのか、強く見せたいと思っていたのか。どちらにせよきっとどちらかだろう、男としての強さが求められる世代であり、まだそんな時代だったから。
その日、そいつがしていたのは喧嘩の話だった。今思い返してもドン引きする。

きっかけは、愛人を馬鹿にされたことらしい。
歌舞伎だか何かを観劇後に感想を話し合っていたら、愛人が役者の名前を呼び間違えた。たまたま近くにいた男女が、それを笑った。生意気だと思った。それだけだ。男を路地裏に引きずり込んで、有無をいわさず「ボッコボコにしてやった」のだそうだ。場所は不明だが人の目もあっただろう、誰も通報しなかった? ホラかも知れない。だがそいつは得意気に話しつづける。愛人と男の連れの女が止めに入って、ようやく我に返った。
「女を笑い者にされてスイッチ入っちゃったからさ。あれ以上やってたら殺してたかもね。俺って武闘派じゃん?」
知らんがな、と思ったのは私だけだろうか。まわりは存外に、ただの世間話と捉えているようだ。そういうこともあるよな、お気の毒にねといった風に。
話は、相手の男が恐れおののき、涙ながらに土下座で謝罪をしたところで終わった。話が終わると、ため息が出そうな間があった。
それを埋めるように誰かが、まあ喧嘩は勝てる相手に売らないとなと言った。
いやいや、笑っただけやん。
「それな。身の程を弁えろって話。俺だって喧嘩がしたかったわけじゃないのよ、でもさ、男はね、体張って女性の名誉を守るギムがあるんだよ」
こいつ馬鹿だろ、と確信したが、確信したのは、私だけではなかった。
Kという私と同年代の女性が尋ねた。
「愛人さん、怖がってませんでした?」
「ぜんぜん。むしろ惚れ直したって」
アハハ、とKは短く笑って、
「二人とも無理だわー。引いちゃいました」と言い残し、出ていった。つづいて何人かも。私も出ていった。


環境の影響抜きには、誰も生きてはいけない。2000年代、当時はまだ「男らしさ」も「女らしさ」も残っていたし、知り合いにヤクザがいるといってドヤ顔するようなのもいて、上記のような「武勇伝」が普通にありました。喧嘩自慢、思春期でもなし、クソの役にもたたない武勇伝です。そんなものを語るより、とっとと「一身独立」して大人になれよ馬鹿と言えればよかったのですが、ペーペーでしたので。
今なら普通にドン引きしますけど。
馬鹿は罪です。まことにまことに。

以上、お読み下さりありがとうございました。
どうか皆様、絶滅危惧種とはいえ、こういうどうしようもない馬鹿を見かけたら、頭ごなしに否定したりせず、ドン引きしてやりましょうね。もしかしたら馬鹿にとって学びとなるかも知れません。馬鹿の啓蒙。それはきっと世のためとなり、巡り巡って皆様ご自身のためにもなりましょう、ひいてはこの国のためにも。

一身独立して一国独立するとはこのことなり。

『学問のすゝめ』福沢諭吉





あ。
死ななきゃ治んないんだっけ