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エッセイ:右向け左 ➤


いろんな人がいるよね
いろんな事があるよね

『太陽の白い粉』ゆらゆら帝国


いろんな人と人との間

ラーメン好きな東欧の白人男性が東京のラーメン屋で修行するというテレビ番組でのこと、その外国の方が麺をズズズと音を立ててすするのを目の当たりにして、店主が嬉しそうにもらす。
おお、わかってるね。

ラーメンは音を立ててすすって食べる物だということを外国人が「わかって」いる。それが店主には嬉しかった、つまりある集団にとって「正しい」とされていることに対する外部の者からの敬意、リスペクトですね。

就職、結婚、留学、転職、引っ越しなどで、皆様もこういう経験はおありかと存じますが、価値観の異なる人と人、集団と集団との間をつなぐ橋となるのが他者の価値観の尊重、リスペクトであると。

他者と自己とは並列的に、同時的にいわば「空間的」に、対等に散在しているわけですが、両者が出会うとき、並列的であった関係は直列的な、「時間的」な、「主従」関係となりがちなのが世の常ではないでしょうか。「主」となるのは普通、既にその「場所」に「先住」していた者ですが、主従関係とは往々にして排他的であります。

郷に入っては郷に従え、、などといいますが、外部の者、または新参者はその場所において「正しい」とされる既存の価値観に倣う(リスペクトする)ことで、初めて「先住」集団に受け入れられる。

しかし共生とはこの主従関係を受け入れることである、異論は認めないとなれば、多様性が「正しい」とされ、様々な因習が打破されつつある今日、そのような社会のありかたはあまりにも「保守的」であると非難されるのが現代ニッポンでしょう。


この国の右と左

保守とは、左翼右翼という観点からいえば右翼であり、伝統や文化といった既存の価値観を保ち守ろうとする立場であり、変化を認めないわけではありませんが、革命のような急激な変化には慎重で、これまで続いてきた(という実績があるのだから)ものやことを尊重し、漸進的な変化と「時間」という縦軸、個人より全体に重きを置く思想です。
一方、左翼とは改革や規制緩和を推進し、既存の価値観をどんどん「人為的」に変えていこうとする革新という立場であり、個人と理性に重きを置き、自由、平等、差別撤廃といった理想を普遍的だと信じ、個人間を対等だとする横軸の思想だといえます。

右翼と左翼、どちらの思想が「正しい」かという問いは、身体と頭のどちらが正しいかという問いと同様、無意味です。一人の個人の中にも同居している考えであり、右も左も、互いの立場から歩み寄り中庸を探るのが「正しい」。右は左を向き、左は右を向くと。
そして普遍的な、絶対的な正しさなどない以上、どちらの思想も、肯定し得るとしても畢竟独善であることを肝に銘じて然るべきではないしょうか。先住民族を力で排除してできた国があるように、独善とは排他的であり、主従関係は逆転することもあり得ます。ですので、監視する必要がある。「右傾化」と言われて久しいですが、この国はやはりまだ左翼の方が優勢ですね。


右向け左

誰しも一人の人間なので個人を尊重するという視点は重要ですが、行き過ぎると全体との調和が失われ、歪みがあらわれる。例えば、パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラはまだ理解できますが、ヌーハラと聞いて、
ナンジャコリャ。
となった方も少なくないかと。麺を音立ててすするのが不快だというのですが、我慢せいや、リスペクトが足らんわいと注意して、果たして「いい」ものか。注意して「保守ハラ」とか言われたら嫌だなあと思いつつも、春は出会いの季節、新しく出会う人にはちゃんと敬意を表するんだぞ、と自戒の念を込めて申し上げ、終わりと致します。
本稿が皆様にとって何かの足し、、にでもなれば幸いです。
いろんな人がいるよね、で済ますのではなく、お互い様という視点もね。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。




にしても、いろんな人いますよね
することなすこと
何ハラにあたるかハラハラします