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エッセイ:人にやさしく

NPBマザーズデイとかいう

MLBに倣ってなのでしょうけど、母の日に選手がピンクの野球道具を身につけるんですが、去年贔屓のチームの選手がヒーローインタビューでピンクは普段身につけない色で気持ち悪いと言ったら、ちょっとだけ物議を醸しまして。掲示板を覗いてみますと母親に感謝するのは社会正義だからピンクが気持ち悪いなどとはけしからんと息巻いてる御仁があり、違和感を覚えたのですが、社会正義とか言って正義を振りかざす輩にはご用心を。正義などというものは「」にいれましょう。


母親に虐待された虐待サバイバーは母親を愛せるか

んなワケねーだろ、とは申しませんが、んな必要はないのでございまして、もし母親が心底憎いという人がいたら眉をひそめるでもましてや諭すでもなく、その人の憎しみを肯定してあげましょう。賛同するのではなくただ憎しみを抱いている人がいるという事実を肯定するということ。筆者はこれが人へのやさしさだと思う。怒りだから悪い、憎しみだから悪い、怨恨も復讐も何も生み出さないから悪い。悪いものは悪いのだから脊髄反射的に否定する独善的な社会は人にやさしい社会ではありません。


社会には様々な人がいるのです

狡っ辛い経営者もいれば詐欺師もいるし、人殺しもいれば盗っ人もいる、犯罪者だってやっぱり社会の一員なのですし、かくいう筆者も妻を欺きここ二ヶ月仕事もせずに、小説ばかり書いておりまして今朝方、諸般の事情により打ち明けたところ、いまだに口を利いてはくれません。いや筆者のことなどどうでも宜しいのです。申し上げたいのは、人間なんてろくでもないものということと社会には外部性がないっていうことで。つまり誰しもロクデナシと共生していくしかないわけで、十把ひとからげに「社会」とのたまい「正義」を振りかざす社会正義マンはファシストです。相手にしてはなりません。


世界にもやさしさを

同じように世界にも様々な国家があり、それぞれに「正義」があって十把ひとからげにというわけにはいきません。世界正義などないのです。故に戦争はなくなりません。戦争反対と声を上げる人がありますね。賛成致しますが絶対反対かといえばそうではありません。何故ならそこにはやさしさがないからです。いかなる戦争も認めないという人にはやさしさがありません。目の前で最愛の人を殺されて復讐を思うのも人情なら、何千、何百年もいがみあう民族があるのも人の世です。肯定しましょう。人間を。そう、まずは目の前にいる人間から。そしてできるなら話しかけてみましょう。話せばわかることもあるのです。いがみあうだけが人間ではありません。人間はやさしくなれる。そう信じるだけで。