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悲しいお誕生会

先日、勤め先の子育てひろばで、小さなお誕生会をした。
手型足型を取り、歌を歌い、フォト撮影をする。
そんなありきたりな誕生会。

でも、楽しいはずの誕生会で、ある親子を悲しませてしまった。

きっかけは、手型足型。
初めての足型に、1歳のエエくん(仮名)は大泣き。
足洗って次は手型……それはもう、大泣きで……。

その後も、気持ちが崩れ、思い出しては涙するエエくん。スタッフの私(手型をとった本人)を見ては怯えるエエくん。いつもニコニコでひろば大好きでいてくれていたので、普段とは違う姿に、戸惑うお母さん。外に行って帰ってきて、それでも、まだ……。  

「今日は帰ります」
他の親子の楽しそうな声をバックに、
そういって我が子を抱き抱えるお母さんの目にうっすら涙があった。

うんうん。また来てね。

私はそれしか言えなかった。

こういうとき、私たちは無力だ。子育てひろばと言うものは、毎日来ると決まっているところではない。行きたいときに行く場所。ただただ、また来てくれることを願って、待つしか出来ない。
来ない理由が、気持ちが向かないのか、体調なのか、忙しいのか、自粛なのか、こちらにはわからない。

ただただ、次来たときにはこうしよう。次はこんな関わり方をしてみようと、反省しながら、待つだけだ。

その日の夜も、来なかった次の日も、大好きなエエくんとお母さんの悲しそうな顔が忘れられなくて、何度もあの時どうしたら良かったのだろうかと、思った。

手型足型本当にいる?あんなに泣かせてまでいる?とまで思った。
大人のエゴか?それは、大人のエゴなのか?

悩みすぎて、全てが終わったあと、その場にいた職場の人ほぼみんなに、どうしたら良かったのか、質問という名の反省と愚痴を聞かせた。

そんなとき、先輩が言った。
「うちの娘は、壁に飾った手型、今でも指差して喜んでるよ」

そうか。

その時は、カオスかもしれないけれど、少したった未来のエエくんは、喜んでくれるかもしれない。

私だけが、うじうじしてたらダメだ。

来てくれるか、それは、待つしか出来ないけれど、次に来てくれたら、エエくんが楽しいひろばでいよう。お母さんにとっても、ハッピーエンドにできるようにしよう。

少しして、エエくんとお母さんが、ひろばに来てくれた。いつもの感じで、来てくれた。

エエくんがいつもの感じなのが、嬉しくて。

おぼつかないあんよで、私の元に来てくれるのが嬉しくて。

一緒に笑って、お母さんとも雑談して。
乾いた手型をそっと渡すと、お母さんが「かわいい手……」と呟いた。

「とってよかった」

愛おしそうに手型を撫でるお母さんの言葉に、ぐっときた。

大きくなってから喜んでいたよという先輩の言葉を丸々伝えるワタシ。

未来の彼があの手型を見たときに、喜んでくれたらいいな。
あの時大泣きでさーなんて、笑いながら話すお母さんと、照れるエエくんのそんな親子の時間が、未来に待ってると良いな。

笑顔で帰っていく親子を全力で送り出す。
ホッとする。あそこでエンドじゃなくて、繋がっていけた。エエくんにとっても、お母さんにとっても。

よかった。

反省は、今後の誕生会に生かす!子の負担をなるべく最小限にとどめ、手早く手型をとる!手か足かどちらか一回! 手足はふく!

そして、もっともっと楽しいやり方はないか、考えつづけていきたい。



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