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虚実日記9月

9月1日
バイト帰りに本屋へなんとなく立ち寄る。ぷらぷら〜ぷらぷら〜。目的の本があるわけでもないのでウィンドウにつぐウィンドウをする。ぷらぷら〜ぷらぷら〜。ふと、ふだんは立ち止まらない自己啓発本コーナーが目につく。何かにつけてタイトルに「力」がついている。見ているだけで力がついた気がする。ぺらぺら〜ぺらぺら〜。てきとうに読む。どれも饒舌。自信満々に断言している。歯切れが良くて気持ちいい。正義だ。正義を見せられている。ためらいごとのない世界がここにある。あると言い切る、断言する。断言力。

9月2日
ミスユニバースが決まったとテレビで知る。ミスユニバースは決まる。毎年決まる。私たちは決まることを知っている。勿論その前には応募があり選考があるわけだがしかし、我々一般人が知り得るのは決まるときだけだ。

ミスユニバースはこの人。

「ミスユニバースに選ばれた女性」は美しいかどうかよくわからないことでお馴染みだ。印象としては、なんとなく強めで、キリッとしていて、キレがある。間違っても丸顔ほのぼのだんごっ鼻は選ばれない。キレ味鋭くなければならない。キレ味鋭く努めなければならない。ミスコンてのは単なる外見の美しさだけでなく内面も重視されることになっている。彼女たちはすべからず品がありエレガントである。しかし我々はそれらを想像することしか許されてはいない。品がありエレガントであることを頭を駆使して想像する。宇宙みたいに膨らませる。膨らませ膨らませ、宇宙の果ての果てにミスユニバースはいる。しかしそれでも尚我々が知り得るのは「ミスユニバースが決まった」だけである。

9月3日
寝れない。ねむたいはずが寝れない。むしゃくしゃでる。あくびがむしゃくしゃでる。なのに寝れない。z.z.ずっと寝れない。寝付きが良くなるための指南書なんかがあって、それを最近スクショしたことを思い出す。モソモソト手ヲ這い出してスマホをキャッチ。チェックする。「スマホは寝室の外・触れない位置に置く」と太字で書いてある。
じぶんにバレないようにそっとスマホを床に置く。

9月4日
テレビ。
番組内でずん飯尾さんが一発ギャグを連発している。

「ぺっこり45度」
「45度のついでにレディガガ」
「前転ついでに由美かおる」
「よろけたついでに五月みどり」

元来おれは一発ギャグが苦手だが、ずん飯尾さんのだけは不思議と笑ってしまう。わはは。なんで笑っているのかわからない。なんで笑っているのかわからないまま笑っているときって、ほんっとに至福だ。頭で整理がないままリアクションとして身体から漏れている。純粋で何も混じり気もないのだ。わははわはは。

しかしー
気になることがある。

「ついで」

ついで で良いんだろうか。
ついで、ってながら?ながら、なら「ながら」でやってほしくない。他の何かにかこつけてやってほしくもない。次にやるんじゃなくて率先してやってほしい。ついで、と言わず、なんの混じり気もなしにレディガガ〝だけ〟やってほしい。どっしり構えてしっかり冗談やってほしい。しっかりレディガガ。しっかり由美かおる。しっかり五月みどり。

9月5日
近頃の台風には名前がつくようだ。タイフーンやハリケーンには名前があることは知っていたがタイフウにも名前はつくようになったのか。世の中知らないことばかりだ。しかしどれもピンとこない。気が抜ける名前なこと。へんてこな名の台風が接近する。まぬけが通る。おまえ災害とか起こしていいのか。危機感を薄める危うさよ。そしてこの名付け文化の定着してなさ。誰が間違って名前で呼ぶだろう。そんな律儀なやつはどこにいる。呼ばれない名前に名付けられた意味はあるのか。温帯低気圧には名前はない。これもおかしい。するとあれか。温帯低気圧が大きくなると名持ちの台風になり、そしてまた小さくなると名無しの温帯低気圧になるってわけか。一度名前を持ったものが名前を失っていく物悲しさよ。とほほ。

9月6日
稽古場にてベテラン俳優が激昂している。
「こっちは40のときからやってるんだよ!」
意外と始めたの遅いな。

9月7日
「おとこ」に括られることにもほとほと厭になってきている。この下に生えたこれは何だ。こんなもんがついてるからこんなことになるんだ、と憤る。かといって胸もいらない。もっと違う場所に違うパーツが欲しい。違う生き物になりたい。ツノとか生やしたい。ツノが生えたらそれは鬼だ。いっそ人間やめて鬼になりたい。いや待て、もしやおれ今ツノもってないか?帽子かぶるとき少し浮いてる気するんだよな、と思い頭皮を確認する。 しかしツノらしきものは見あたらない。気のせいか。ならば売ってないか。ネットで調べる。売ってない。販売どころか検索すら引っかからない。別売りしてないってことは備えつけか。はたして生えるか。おれ。ツノ。この歳になっても何がじぶんに備わっていて何が備わっていないのか把握していない。

9月8日
dTVで「ヘルタースケルター」「蛇にピアス」を立て続けに見る。監督はそれぞれ蜷川実花、蜷川幸雄。観たあと気づく。知らず知らずのうちに蜷川映画の日だ。二作品とも裸が映る。女性の役者が脱いでいる。なんだこれは。見てて裸が出てくると乳首に目がいく。裸って乳首のことか。脱いだら役者魂見せたということになるのだろうか。よくわからない。知らない。助言と指導が必要だ。強い物語性の中で、視野狭め、我失い、発散発狂、身も心も丸出し剥き出し晒し者。是非ご覧ください。「役」が職人の腕によって丹念に作られています。匠。普段の生活で中々お目にかからない事態の傍観楽しいね。エンタメ。どちらもR指定掛かってる。裸や濡れ場にくわえて血もよく出てくる。頻繁に出血する。画面が赤い。これは刺激か。ショッキングか。「蛇にピアス」にはタイトル通りピアスが出てくる。刺青も出てくる。彫るのはヤダな。穴開けるのはヤダな。これはいけない。目を覆う。

9月9日
トーク番組で前田敦子が現在28歳だと話したことを皮切りにネット上が「○歳に見えない芸能人」で賑わいを見せている。ほとんどそれは、年相応に見えないヒト大喜利。みえない。若い。みえない。若い。みえない。若い。若さは善、老いは悪とされている。この世は抗ったもん勝ちである。
老け、負け〜。若い、価値〜。

それにしてもー
たびたび出てくるこの話題は一体何なのだろう。
ウン歳に見えないハナシ。歳に抗え、若さ保て、肌は艶やかん。外野とやかく野次飛ばせ。おれとしては「誰が、どっから、どう見ても、その年齢に〝しか〟見えない人」こそ拝見したいのだが、どうやらそうとはいかないようだ。というか、驚いているくせして皆揃いも揃って年齢を忘れすぎじゃありません?みなさんのことです。覚えるつもりはないのか。驚くなら覚えろ。念のためここに記しておく。暗記するように。
2019年9月現在ー
前田敦子27歳 新垣結衣31歳
深田恭子36歳 安達祐実37歳
デーモン閣下100056歳

9月10日
電車の中で子どもが泣いている。3、4才だろうか。ギャーギャーやたらと騒がしい。喧しいったらないので泣き止んでほしいものだが、同乗する僕らにはどうすることもできない。母親が子どもの口に手を持ってきて上から抑えつける。抑えたり外したり抑えたり外したりしている。アー、ワー♪アー、ワー♪ってなっている。子ども楽しんでないか?

9月11日
夕方、虚実日記をnoteにアップする。
携帯が振動する。「スキ」のお知らせがどどんと届く
嬉しい。すごく嬉しい。
TwitterやInstagramの「いいね」もいいけど
noteのスキがイイ。
スキがつくと〝おれも!おれも好き!〟って思う。
はっぴーだ。
せっかく書いたし読んでくれてありがとうだ。

9月12日
定期検診の通知が来たのでおとなしく歯医者へ向かう。己の歯をじりじりといじくり倒されるのは嫌なもんだが、虫歯なんぞができようものなら発狂もんだ。蝕まれる前に先手を打つ。着くや否やイジイジやられる。キーキーくちは鳴る。歯石を掘削。無い隙間が隙間になる。舌先であてて確かめる。貫通。見事に貫通。気持っちええ〜。なんどもなんども隙間なぞる。あるある。隙間ある。「うがいして下さい」歯科助手さんの声。ふり、ふらりと紙コップを手にする。ここで悩む。うがい?うがいってのは...ガラガラぺ?喉の、やつ?ここで?このタイミングで?「ゆすいでください」ならわかる。ぐちゅぐちゅと口の中を水で泳がせ、水流の勢いで残ったヨゴレをはじき出す。うがいってのが分からない。おれにとって、うがいは喉洗浄だ。お口くちゅくちゅ人目を盗んで隙見てチラっと喉をガラリ。帰り道ネットで調べる。どうやら、うがいには2種類あるらしい。口中の洗浄/ブクブクうがいと喉の洗浄/ガラガラうがい。要するにどちらも、うがいはうがい。なるほろ。うがいと言わず「ブクブク」「ガラガラ」音で伝えて。

9月13日
本日付で季節は秋になりました。
曇りひとつない夜空に
柔らかな風が前髪をなぶって
通り過ぎてゆきます。
秋風吹けば秋刀魚です。
有無を言わさず秋刀魚です。秋刀魚を焼きます。
すだちを搾って大根おろしを脇に添えて、
いただきます。
おいひい。
頬っぺたがペタッと音を立てて落ちました。
澄んだ空気のもと月を愛で、秋の味覚を堪能すれば
身も心もほっくりです。
今夜はどうやら中秋の名月。
どうりで綺麗なわけだ。

9月14日
帰り道。家の近所のひとに「おかえりなさい」と話しかけられる。正解がわからない。なんて返せばいいかわからない。無視はダメだししたくないし、かといって最適な返答を知らない。
「いってらっしゃい」はまだわかる。
「いってきます」でなんとか大丈夫。
「おかえり」はわからない。
おかえりなさい。ただいま。おかえり?ただいま?ただいまは違う。近すぎる。家族じゃあるまいし。
「おかえりなさい」「こんにちは〜」
こいつ話聞いてんのか
「おかえりなさい」
「ずいぶん日が短くなってきましたね」
いきなり話変えるな。
「おかえりなさい」
「はい、そうですねー」
じゃあなんだ。なにがいいんだ。
長考の末、これに関しては「おかえりなさい」を言う側の問題なのではないかとの結論に至った。
だって何をいっても変になるもの。少なくとも家の中にいる人にしか許されない言葉じゃなかろうか。外で吐くな。しているのかしていないのか、分からないぐらい曖昧な感じで軽〜く会釈。これをする。おれなりの誠実な態度。大人でしょ?不真面目が誠実なときはあるはずだ。

9月15日
十五夜、十五夜と巷じゃほれほれ言っている。思い想いに中秋耽る。いや、でも、今日、十五夜ちゃうし。たんなる名もなき十五日。迷妄皆々それぞれ歓喜。無知晒す。さて、今宵はどんな月かと仕事の同僚と月みて如何に。まんまるお月もよく見りゃまるでない。欠けてもサマになってるお月さま。美しさを喩えて走る。どれも陳腐。並べて陳腐。陳腐陳列。言葉で言い尽くせん繊美。想像力と語彙力、不足の事態。感想、月並み。

9月16日
ありふれた日常にありふれた生活。何か特別なことが起こるわけでもなく淡々と繰り返される平穏な毎日。そんな日々にもほとほとイヤになってきている。人は放っておくと魔物的に習慣に取り憑かれるもの。習慣は安定になり退屈は沼になる。即席沼に嵌りかけているじぶんを憂う。やれ、一念発起。なにか行動起こさねばと自尻をひっぱたく。熱心やろう。躍起やろう。なにと闘っているかは知れないがとにかく闘う姿勢を見せているジャスラックに姿重ねる。

9月17日
環境大臣に就任した小泉進次郎が福島第一原発で発生した除染廃棄物に関して記者の質問に答えた。
「私の中で30年後を考えた時に、私は30年後何歳かなと震災直後から考えていた」
聞きながらおれも考えていた。30年後小泉進次郎は何歳だろう。たしか猫とか犬は1年に4歳、年をとるよなあと。計算が苦手だ。

9月18日
今月は映画三昧。テレビで放映されたものを観る。
dTVやGYAO!で配信されているものを観る。TSUTAYAで借りてきて観る。映画館へ行って観る。観る映画観る映画エログロばかりで気が湿る。裸というか傷口というか痣というか血だ。血というか血液だ。痛そうとか残酷とかナニより血液って汚いじゃないか。汚いんだ、他人の血液。感染しちゃうじゃないか。病気になっちゃうじゃないか。あぶないよ。そう簡単に浴びるなよ。触れるなよ。おれ知らないぞー。

9月19日
ここんとこずっと、なかやまきんに君の動画を見ては腹がよじれるほど笑っている。勝手に身体が笑う。とにかくおかしくて仕方がないのだ。強制的に笑かせられる。見る動画は主に、インスタにあげているものやYouTubeにアップされているもの。ネタをしているわけでも、身体を張っているわけでも、大きなハプニングが起こるわけでもない。なんでこんなに笑ってるんだ。笑ってからわからなくなる。おれの身体はどこかおかしくなってしまったのかもしれない、と、思わずじぶんが心配になる。
とくに笑った動画がある。消防関係のイベントに参加した なかやまきんに君が消防団員からホースを受け取り、ただただ放水をするという動画だ。これがまあ面白い。初めて見たとき一人で声をだして笑ってしまった。彼はほんとに放水をしているだけだ。些細なことすら起こらない。きんに君は何かを苦にするわけでもなく、かといって筋肉を目一杯使うわけでもなく、平然と放水をこなす。その姿はイヤな感じが少しとして無くとっても爽やかだった。もしかすると「爽やかさ」が重要なのかもしれない。重要って何に対して?って話だけれど。
なかやまきんに君は爽やかだ。暑苦しさがまるでない筋肉の鎧を纏った爽やか好青年。清潔感だってすさまじい。誠実さを充分過ぎるほどに漂わせている。言葉のセンスや動きの滑稽さはもう古い。最先端は爽やかだ。爽やかこそが面白い。これからは爽やかな人を見て幸せに笑うのだ。

9月20日
ラグビーワールドカップが開幕した。
開幕戦は日本対ロシア。残念ながらチケットは取れず、スタジアムへ足を運んで観戦とはならず。テレビの前で力一杯、精一杯、全力で声援を送る。前回のワールドカップ以降ニワカなりに追っかけを続けてきたこともあり、本大会に賭ける思いも強い。応援にも力が入る。身体と身体のぶつかりあい。繰り広げられる激しい攻防に思わず息を飲む。「あぁ事故だ… 」
そんな瞬間はラグビーでは当たり前みたいにぽこぽこ生まれる。こちらの大丈夫だろうかという心配をよそに、彼ら屈強なラガーマンたちは何事もなかったように起き上がり歯を見せる。同じ人間なんだろうか。逆に何があれば壊れるんだろうか。見ているおれの方が身体痛くなってきた。イテテ。
ラグビーっていうスポーツは、フェアプレイ精神があらゆるチームに浸透している。これは恐るべきことだし誇るべきことだ。それは例えば、同じスポーツのサッカーと比べれば明白である。おれはサッカーが好きだ。物心ついた頃にはボールを蹴っていたし、見るのも昔から好きだった。そして今でもまあまあ、というか、いちおう好きではある。なんでこんな言い方をするかというと、それにはいくつのかの理由があるのだが、ひとつには、言ってしまえば、「こいつら汚いな」というのがある。汚いなというのはフェアじゃプレイをする、ずるいことをするということである。ずるいってのはずる賢いということになるのかもしれないが、やはりずるいものはずるいのだ。ちょっと接触しただけで、大声張り上げ大袈裟なリアクションをとる / あからさまな時間稼ぎをするなどがその最たる例だ。言葉からも汚さが伝わるのではないだろうか。いかにも下品なことを引け散らかしているなといった感じである。見ているだけで、こっちだってズルしてる気になってくる。やな感じだ。それに比べてラグビーはどうだ。接触なんかじゃ済まされない。それはほとんど衝突だ。事故だ。事故を事故じゃなくする、それが技術。なんて華やかさのない技術だろう。ボールを後ろにしか投げてはいけないというルールも相まって時間稼ぎなんかできやしない。試合時間いっぱい全力でプレイするしか術はないのだ。なんて不器用だろう。潔くて清々しいではないか。加えて、試合後には花道つくって送り出したりするのだ。なんて素敵な光景。勝ち負けだけで一喜一憂していた自分はバカでした。すんません。選手たちの懐の深さには感嘆するしかない。
おれが考えるに、選手たちにここまでのことをさせる、いや自主的にするのは、やはり真正面から身体と身体をぶつけているからではないかと思う。あそこまで身体をぶつけあえば心の通じ合いは起こるはず。感傷的なことは言いたくないけれど、想像にしか過ぎないけれど、言葉のやりとりではない、とても原始的な方法でもって、ある種のコミュニケーションがなされているのだと思う。見ている側も、あれだけのものを見せられたら、じぶんが応援しているチームだけを讃えるなんてことは出来ないやしない。我々は声高々に叫ぶのだ。両チームおめでとう!ありがとう!

9月21日
劇団「地蔵中毒」の舞台ずんだ or not ずんだを観に行き、驚く。客席に松尾スズキがいる。最後尾にいる。何度も何度も振り返る。確認する。客席に夢中になる。面白いことを続けていれば面白いひとは率先して見つけてくれるんだなあと開演前から胸がいっぱいになる。演劇が始まる。立川がじらさんがする淀川長治のものまねで笑う。似せようとしてるのかしてないのか、中途半端なものまねは人を脱力させる。演者のhocotenさんの役は天草四郎。天草四郎の声をだしている。天草四郎の声をだれも聞いたことはないのに天草四郎の声だとわかる。すごいことだ。天草四郎は美輪明宏のものまねだった。天草四郎の声は美輪明宏でいいんだっけ。不思議と納得しながら観る。似ていたので脱力はしなかった。声は命だ。以前、三島由紀夫がインタビューに答えている映像をみたとき、その声を通して、存在をしっかりと感じたことを思い出す。おれの中では声を聴くと、居るになる。天草四郎はたしかにそこに居た。しかし舞台上の天草の声で三島を想起するとは。「流鏑馬、流鏑馬、流鏑馬。」

9月22日
ただの子どもの駄々っ子だったはずが
マニフェストとして伝わってしまった。

9月23日
9月も下旬に差し掛かっているというのに未だ残暑に見舞われる。残暑お見舞い申し上げます。最高気温は30度越え。いつまで暑さは残るのか。夏は過ぎたがいつまで経っても秋が来ない。風は涼しいが日差しが強い。スキマみたいな季節がしぶとく居座る。お決まりのように白昼の暑さは転覆し、暮れれば途端に寒さ来襲。暑いか寒いか不明瞭。身に纏った衣服は薄着と厚着を反復する。羽織るその一枚が肌身の感覚左右する。見合った服がない。足したり引いたり都合の悪さをどうにかやりくりしている。汗だくの身体で畳まれる洗濯物。放ったらかしに揮発する身体。

9月24日
親戚の子ども、かっこ、幼稚園に入ったばかり、かっことじ、がうちにくる。想像以上に子どもは叫ぶ。どこまでも機嫌に素直で偽りない。慣れないながらも相手をする。おもちゃの用意がないので絵本をこしらえる。適当な紙をひっぱりだし、そのうえには下手くそな絵を描き、むかし話を読み聞かせる。おれはちゃんと育児をやる。静かにしろ。おれは読む。お前は聞け。分業だ。演目は桃太郎。

ーむかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。ー

えっと。なんだったっけ?この先が続かない。桃の発見、漂着後の行方が知れん。大まかな流れしか覚えていない。ドンブラコ合図に、ほぼおしゃべりナレーションになる。鉤括弧の境なくなる。だらっだらのぐっだぐだ。一向に鬼ヶ島は見えてこない。オニまでの道のりは思いのほか長くて遠い。桃太郎は仲間引き連れ消息不明。果たしてたどり着けるか。きっとおじいさんおばあさんも不安であろう。

9月25日
TBS報道ステーションを見る。番組の終盤、スポーツコーナーに差し掛かると女性アナウンサーが意気揚々と 「熱盛!」と高らかに宣言する。ときに投げたり跳ねたり走ったり。うろ覚えでぎこちないスポーティ携え朗らか一辺倒。それまでのテンションが嘘だったかのように重苦しい空気が一変する。させようとしてくる。おれは見るたび思う。これはなんだろうと。
局問わず、報道番組のスポーツコーナーにおける嘘臭さ飲み込めなさは一貫している。まるでそうでなければ報道してはいけないと決まっているかのように、無理してハツラツだ。スポーツだからといってそんなにハツラツとしていなければダメなのか?スーツ着こなし飛び跳ねる。短絡的過ぎやしないか。首をかしげる。おいキャスター。お前そんな元気あったのか。さっきまでの神妙な顔はなんだ。眉間にしわ寄せて、深刻そうに原稿読み上げてなかったか?情緒疑う態度の急変。大人が普段みせない明るさ怖い。ずっと眺めていれば、番組総出でバカにしているようにも思えてくる。デカイ。なんせテロップの文字がデカイ。そのくせ大したことは書いていない。ナイスプレー!とかそんなもんだ。文字デカくして大声で声援してる感じ出すのやめろ。文字にバカがでている。
スポーツコーナーはちょっとしたお祭りだ。威勢の良さこそスポーツだ。額に鉢巻、ふんどし姿で神輿を担いで見るぐらいが丁度いい。

9月26日
7A(モデル/スタイリスト)さんがTwitterで〈今日の良かったこと〉をつぶやいている。じぶんもやってみようと試みる。ぜんぜん思い浮かばない。今日、良かったことは特にない。そんなことない!あるはずだ!いや、ないよ。でも外でたよ。篭ってた訳じゃないじゃないし。なんで良いとこ見つけられないんだ!ねえもんはしょうがねえじゃんか。腹立たしい。よし。ちゃんと覇気あるじゃん。健康だった。つぶやく。

9月27日
ものまね芸人のりんごちゃんが「売れっ子」ということになっている。ひっきりなしにテレビ番組へ出演。武田鉄矢や大友康平のものまねを披露。可愛らしい見た目に似つかわぬ野太い声。そのギャップが人気の要因らしい。今や日本のテレビで、いや、日本テレビでは見ない日はないほどの活躍ぶりだ。密着されて然るべき。あゝこうやって日テレの番組ばんばん出て売れっ子ってことになりたい。老若男女から愛される人気者ってことになりたい。いいないいななれたらいいな。そしたら地獄だ。声をフォルティッシモにして言いたい。不快い〜

9月28日
バイトから帰宅すると母がソファーで横になっている。どうしたのかと訊くと「栗むいて疲れた。」と言う。あまり聞いたことがない疲労の理由だ。父が食べたいというので大量に剥いたのだという。見れば山盛りの栗が水でボウルに浸してある。なんて量だ。栗の山だ。栗山。モンブラン。これぜんぶひとりでむいたのか。すごいな。でもまだ外のトゲトゲから取り出しただけ。ここからさらにむくんだな。どれだけこいつはむかれるんだ。

9月29日
会話というのは、文字ズラだけ取り出せば、なぜそんなやりとりで意思の疎通がとれているのか分からないものだ。「行間」や「空気」の読み合いで「触れ合い」は成り立っている。今日の夕飯は秋刀魚の塩焼き。食材を調達した母親曰く、秋刀魚は捌かれていない、そのまま、生の状態でスーパーに売られていたらしい。

父「じぶんで捌いたの?」
母「うん」
父「へえ〜捌いてないんだ」

9月30日
今日は増税前最後の日。ということもあり、いたるところに長蛇の列ができている。駅前にスーパーに家電量販店。この町にはこんなに人が居たのかとびっくりする。なにか自分も買い忘れてないかと思案すると、あれこれ思いあたる。ただ、無駄な出費は避けたい。ほんとうに必要なものを選びたい。イヤホン壊れてるな。誤魔化し誤魔化し使っていつか買い換えようと思ってたんだ。いつか、いつか。いつかは今だ。買おう、ヤマダ電機、行列。みんな大きな家電を抱えて並んでいる。目にしておかしな気持ちになる。見たことない景色。ひとはふつう家電を性急に大量購入しない。今がみんなの「いつか」なんだろう。イヤホン携え混ざる行列。おれだけこんな軽いもの持ってていいんだろうか。もっと重いもの持たないとダメな気がする。もうひとつイヤホン買おう。持ってくる。これでぐー。両手ふさがる。ばかなからだ。うちの家電は大丈夫だろうか。家電てのは不思議なもので同時に調子悪くなったりするってなもんだ。頼むから明日とつぜん壊れたりしないでくれよう。壊れるとしても、せめて増税してから1.2年経ってからにしてくれい。祈ったってどうせ家電とはわかりあえない。

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