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自分で楽しくなる力

大学生のころから、ゲーマー(四六時中ゲームをする人)が嫌いになった。                 彼らは自分が楽しくなることを、他者に期待しているというか、     楽しむことに対して、他力本願で受動的のように感じるから。

あと、現実を楽しむ努力を怠っている気がする。              サバイバルな世界に転生して、かわいい子ばかりのハーレムギルドで   主人公として活躍したり、                               異世界のお姫様に転生して、超イケメンな王子様やアイドルたちが自分に執着してくれたり。異性の欲望があふれ出ちゃって、いたたまれない。。

・・・というのは厳しすぎか。

友人の中にはゲームが好きな子も多いし、いちいち波風は立てたくないのでこんな考えを他人に打ち明けたことは無い。               ゲームにもたくさんのジャンルがあって、思考力が鍛えられる面も    大いにあると思うのだけれども。

私の両親は典型的な古い親で、アニメやテレビに夢中になると、頭が悪くなると思い込んでいた。(物を選べば、考える力が付きそうなのに。)   そんな親なので、小さいころはゲーム機器を全く買い与えてもらえなかった。

小学生の頃は、ポケットピカチュウをシャカシャカする友達を横目に、  図書館の本を読んでいた。

ゲームボーイアドバンスの影響は絶大で、金だの銀だの騒ぎながら、   四角いプラスチックの板をもって、男女関係なく輪ができていた。    (そこに入れず、ただ横から眺めているのは、とても寂しかった。)

中学生になると、自分もゲームを楽しむ側になりたくて、反抗してゲーム機を買ってもらった。

ゲーム機の知識が全くなかったため、ショップのガラス棚からとりあえずで選んだのは、X-BoXだった。                     (今思うと、中古でいいからロクヨンとか、プレステとかを選べばよかった。選んだソフトもいまいちで、ドンキーコンガを選んでしまった・・・)

ゲームを購入した後、テレビに直行してセットし、          「これがゲームというものなのか!」と一通り体験して、満足して寝た。

「私もようやくゲームをやる側になれたぞ!」と、うれしくなって友達に 話してみると、なぜが盛り上がらない。

そのころ友人たちは一歩進んでしまい、よりストーリー性のある、       テイルズシリーズやファイナルファンタジーに夢中になっていた。

楽しんでいるゲームが周りとだいぶズレてようだと気づいて、親に新しい ゲームをねだると、即刻却下された。

当時はあんまり金額の重さがわからなかったが、XーBoXは本体だけでも確か3万円近くした気がする。

新しいゲームを買うと、ソフトだけで5、6千円。           本体も新しくすると4万円ほどかかる。親としては、この前買ったドンキーコンガを擦り切れるくらい使ってから言ってくれ、という思いだったに違いない。

お金の使い方にも、子供の遊び道具にも、うちの両親は感覚が古かった。    次々に高額な、金属の円盤や箱を要求する私を見て、悪い友達に感化されてしまったと嘆いていた。

両親の気持ちもちょっとわかるけど。                 素直ないい子を求めるのは仕方がないけれど、子供の置かれている    社会にも、もう少し興味を示して欲しかった。

新しいゲームが欲しいという話をすると、親がヒステリックになってしまうので、もうゲームは開拓できないと、見切りをつけた。

もともとファンタジーはすごく楽しかったので、アニメや漫画にハマっていった。                               (アニメはテレビで無料だし、漫画は徒歩圏内の書店で、しぶとく何時間も立ち読みしていた。4時間立ちっぱなしが平気だったので、好きな気持ちは偉大だ。)

絵を描くことが得意で、漫画のキャラクターを描いて友人に見せると、すごいと言ってもらえた。

うれしくなって、さらに上手に書けるように努力した。         見せ合っているうちに、みんなで少しづつ上達することが、ものすごく  楽しかった。

そのうち、自分の創作キャラを書いたり、漫画を描いたりして、     紙と鉛筆だけで4時間も5時間も熱中した。すごく満たされていた。     

いまnoteを書いているのは、そのころ満たされていた感覚に似ている。


大人になった今、収入に安心感を覚えるのはすごく難しいことだと知った。         新社会人になるときは、月20万円稼げる仕事に就けるかどうかさえ、不安で仕方がなかった。                            (安倍政権が経済政策3本の矢を打ち出し、就職は売り手市場と言われていたにも関わらず。)


転職をしたら、、ミラクルが起こって妊娠したら、、妹夫婦が離婚して経済的援助をしなければいけなくなったら、、先のことを考えると、お金の面で安心できる日はこないだろう。そもそも日本経済の見通しが良くない。  サラリーマンの給料は、何十年と減り続けている。

就職したての頃は、平均年収を何時間もネットで比べていた。      自分の給料が「普通」である安心感が欲しかった。周りの大卒と同じレールに乗れている安心感が欲しかった。                 (今考えると何の意味もない。人間の小ささを痛感する。)                 闘争心のそれほど強くない、周りを見て安心してしまう自分が、     他人を差し置いて、収入を確保し続けられるだろうか。         きっと、奥さんや子供がいる人の必死さは、とてつもない迫力だろう。

起きていないことを並べて、不安を積み重ねても、何にもならないことは 気づいている。                             一つの収入じゃなく、複数の収入減を持つことがリスク管理として    必要なことも知っている。

知っているけど、就業規定や時間を考えると自分にとって現実的ではない。                                 それなら、仕事に影響がありそうな分野の勉強をして、         本業の立場を固めたり、組織の中で選択肢を増やすことに集中したほうが 生き残れそうだ。

収入についても、増やすことに執着するより、消費を少なくして可処分所得を広げたほうが手っ取り早い。

家族はいないので、会社から帰った後のおうち時間も、土日も、気合で  どうにでもできる。(なまけ具合が問題だけど。)

スマホはお金をかけずにたくさんの時間をつぶせるし、いい情報がたくさん得られる。                             でも気づいた時には、寝るとき以外ほとんど小さい画面を見ていることも   しょっちゅうだ。

これはダメだ。                           体の健康的にも、メンタル的にも、未来の自分にも。

日用品の買い物でも、入念に必要かどうかを考えてしまう。          本当にこれでなければいけないか?                  ほかに安く上がる代替手段はないのか?                支払いが多い時には、楽天銀行の利用通知メールがちょっとしたストレス になる。

何か前向きなことで時間を充実させたいけど、お金はなるべく使いたくない。

そんな時、家の中で眠っている古本を読み直してみると、新しい発見があってすごく楽しい。                          前に読んだ覚えがあるところは、重複して記憶の定着ができるし、    書籍の1から10まで覚えているわけではなので、必ず新鮮な気持ちで  読める部分がある。                         2回読んだら理解が深くなるし、記憶の定着にもなる。

これはいまいちだったな、という本をメルカリに出品すれば、トイレットペーパー代くらいにはなる。                      フリマアプリのある現代に生まれて本当に良かった。          紙の書籍は資産、とさえ考えられる。。

キッチンにも楽しみがある。                        いままで何となく買いためていた缶詰やパスタソース、乾物たち。    栄養を重視しつつ、いかに使い切るか、あれこれ考えることは      すごく楽しい。                                数日後の体への投資になるし、新しくお金を使わないことが、自分を幸せにする。

ちらっと読んで放っておいたExcel本も読みなおすと、明日の仕事ではこうしてやろう、VBAも使ってみようと気まぐれがおきる。

こんな私は他人から見れば、物をあまり欲しがらない、贅沢を知らない、  寂しくて貧しい人間なのだろうか。

服はめったに買わないし、漫画は所有しないし、外食も友人と会うとき  くらいだし、美容院はもったいなくて、後ろ髪も自分で切る。              そりゃあお金があれば、もっとお金をかけてみたいけれど。         それでも、とりあえず今日はこの生活で満足だ。


自分はすごく変わったやつなのかもしれない。             それでも、限られた環境のなかで自分を、自分で楽しくさせる力って、  本当に大切だと思うんですよ。

28年生きただけでも、変えられない、どうしようもない、悔しいことは  たくさんありました。                          人生100年時代、ひょっとしたら、あと72年はこんな世の中を生きなきゃ いけないかもしれない。                         末っ子がよく持っているような、周りをコントロールして、自分の願いを     かなえていく能力も、少しずつ身に着けられればいいのだけど。  

                                   今の私にできるのは、自分で楽しくなるように努力すること。      自分にあるもので、上手に生活を取捨選択することは、         人生を生き抜く力につながると信じています。











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