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翻訳者が知っておきたい編集者の仕事①

■前口上

 フリーランス編集者・翻訳者の上原と申します。
 行く末はまず無惨だろうが(注1)、もう40年以上生きてきたのだし、扶養すべき子供がいるわけでもない、好きにやって野垂れ死にもまた一興じゃないか(注2)、というおよそ分別のある大人とは言い難い判断をもって昨年からフリーランス稼業に足を踏み入れたわけですが、それまでは自然科学系の翻訳書を中心に扱う小さな出版社で、14年あまり編集者として仕事をしていました。

 翻訳書の編集者というのは、業務の大半が企画さがしと原稿整理(注3)なので、雑誌編集者(注4)や日本人著者がいる書籍編集者(注5)とは違い、会社の外に出て人に会うことをあまりしません。ほとんどがデスクワークです。それでもたまには、翻訳者の方と打ち合わせや打ち上げなどでゆっくり話をする機会がめぐってきます。
  わたしのような道草の多い編集者でも、さすがに14年も続けていれば刊行点数も積み上がり、ということは、一緒に仕事をした翻訳者の方もそれなりの数にのぼります。
 でも振り返ってみれば、打ち合わせなどの場で、話の接穂にでも編集実務について尋ねられた記憶がありません。気をつかっているのか、そもそも興味がないのか、どちらにせよ、編集者の仕事は能動的に知る必要がないもの、という翻訳者側の共通認識が示されているように思えます。

■本当に知る必要がないのか?

 翻訳者の仕事とは、特段煎じ詰めなくとも、渡された原書を訳出することに尽きるわけですから、編集者がふだん何をしているかを知らなくても一向に問題はありません。実際、いま第一線で活躍している翻訳者で、校正記号を編集者なみに使いこなせる人なら少なからずいるでしょうが(注6)、編集者の実務内容を仔細に知っている人はごく少数のはずです。
 でも、本当にそれでいいのでしょうか。

 翻訳は、説明するまでもなく、翻訳書をつくるうえで欠かすことのできない肝心要の仕事です。しかし同時に、「一冊の本をつくる」という区切りで考えれば、翻訳作業は本づくりの数ある工程の一つである、という言い方もできます。残りの工程(企画や制作など)すべてに主体的に関わっている唯一の存在が編集者なのであれば、編集者の仕事を知るとは、実のところ、本づくりの仕組みについて知ることでもあるわけです。

■scientia est potentia

 目的地がはっきりしない道行きは、たとえ同じ距離を歩いたとしても、目的地を了解している場合よりずっと疲れるものです。
 わたしはフリーランスになってから翻訳の仕事も積極的に受けるようにしていますが(注7)、翻訳作業は基本的に一人旅であり、文字のやぶを刈って道をつけるかのような作業に日夜没頭していると(注8)、ふと自分が世界から忘れ去られてしまったような感覚に陥る瞬間があります。でも、そんなときに編集者の仕事を知っていて、本づくり全体の工程が見通せると、いくぶん楽に精神的な落ち着きを取り戻すことができます。ゴールでは、編集者はじめ多くの人が自分の仕事を待ち受けていることがわかるからです(注9)。

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 あくまで個人的な印象ですが、翻訳者になろうという人は、集団でいることの煩わしさより、個人でいることの自由を好む傾向があるように思っています。なので、別に何カ月だろうが、一人で黙々と作業することに何ら抵抗がないケースも当然あるでしょう。しかし、編集者の仕事を知る利点は精神面の安定ばかりではありません。

 たとえば、こんなのはどうでしょう。
 上に書いたとおり、編集者の業務の大半は企画さがしと原稿整理です。この事実を承知していれば、旧知の(もしかしたら窮地の)編集者に「こんな企画はどうですか?」と提案することが、プラスになりこそすれ、マイナスに働くことはないとわかるでしょう(注10)。企画候補はいくらあっても困らないのですから。
 また、編集者が原稿整理に実に多くの時間を割いていることを知っていれば、自分が翻訳する際には、しっかりと固有名詞や専門用語を調べておこうという気になるかもしれません(注11)。最低限の調べ物をせずに、自分の思いつきで訳された原稿ほど手間のかかるものはないからです。

 このように編集者の仕事を知ること、ひいては、自分に託された翻訳というバトンがどこから来て、どこへ行くのかを知ることには、精神的・実際的な利点がさまざまあります(注12)。 
 昔の人は良いことを言いました。scientia est potentia、すなわち「知ることは力なり」(注13)。編集者の仕事を知ることで、翻訳者としての総合力もワンランクアップするかもしれません。

■本記事の構成と想定読者

 というわけで、前置きはこの程度にして、次回からさっそく翻訳書編集者の実務について概説していきたいと思います。
 まずは前後半に分けて編集者の基本的な仕事の流れについて説明します。その際、特に翻訳者に関わる業務については、随時コメントを付していくつもりです。
 それがひと通り終わったら、次は翻訳者が関心をもちそうな事項をいくつかピックアップして、どれほど一般性があるかわかりませんが、それに対するわたし個人の考えを述べることにします。そこではたとえば、編集者は翻訳者に何を望んでいるのか、どういう対応をされるとがっくりくるのか、良い編集者とそうでもない編集者の見分け方は何か、といった話題を扱う予定です。

 想定読者としては、すでに訳書がある翻訳者の方、将来翻訳者を目指している方(注14)、その両方を念頭に置いています。
 もちろんそれ以外の方々、たとえば編集関係者、具体的には、このご時世に編集者になりたいという大胆不敵な方(がんばって!)、現役編集者の方(ご苦労さまです!)、友人や家族が編集者でどんな仕事をしているか知りたい方(気苦労の多い商売です、優しくしてあげてくださいね!)などにも後学の参考、他山の石、酒の肴にしてもらえれば幸いです。

■お断り

 ここでひとつお断り。
 わたしは自然科学系の編集者ですので(注15)、文芸やノンフィクションのことは正直よくわかっていません。仕事の骨格はそう大きく変わらないでしょうが、どの作業に重きを置くかは分野によってさまざまなはずで、自然科学では良しとされるやり方が文芸では一顧だにされない、ということは間々あると思います。したがって、ここで述べているのは、実に広大な編集者国のごく限られた領域の話にすぎません。
 その点どうかお含みおきを。

■notes

注1 行く末はまず無惨だろうが:文章まわりのフリーランスで平穏な老後を迎えられる割合はどれくらいなのだろうか。一級の美術家や作家が困窮のうちに亡くなったという話が珍しくないことを考えれば、平均的な能力のフリーランスの無惨な話は、登別でクマを見ることくらいありふれているに違いない(*)。才能も運もあったフリーライターの悲しい結末の事例としては、次の記事が参考になる。「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」。特に印象的な箇所を抜粋しておこう。「可哀想だとは思うが、フリーのライターの末路はこんなもんだとも思う。何人ものライターたちのやりきれない死様を見てきた。何もしてやれない自分が情けなかった」
余談ながら、事情に疎い内地の方にこのメタファーについて説明しておくと、北海道の登別にはクマがたくさんいる。隣家のおじさんがやたらと毛深いと長年思っていたら実はクマだった、という話があるくらいだ。
注2 野垂れ死にもまた一興:松尾芭蕉は41歳のときに江戸から上方を目指す旅に出たが、その出立に際して詠んだ歌が「野ざらしを心に風のしむ身かな」というものだった。「途中で行き倒れて白骨化しちゃうかもな、ちょい不安だな」くらいの意味だが、わたしが45歳で会社を辞めたときの心境もそのときの芭蕉に近い。ただし不安は存外少なく、それよりも、ここまでの人生で散々お世話になってきた文化的先人たちに、これでようやく顔向けができるという気持ちが強かった(フェルディナン・セリーヌやジョン・ファンテなど、わたしの好きな作家で経済的不遇に苦しんだ人は多い。そうした人たちの作品を、コーヒーを飲みながら柔らかいソファの上で安穏と読んでいていいのか、という申し訳なさに似た感覚がわたしには常にあった)。
注3 原稿整理
:一般に原稿整理とは、印刷所に入れる前に原稿の体裁を整えることを指す。翻訳書の場合は翻訳のチェックも含まれ、かつその作業に持ち時間の大半が費やされるため、原稿整理≒訳文の確認となっているのが実情である。
注4 雑誌編集者
:2000年頃、1年ほどだが美術雑誌の編集者をしていた。零細の雑誌社なので覚悟はしていたが、なかなかにハードな労働環境だった。あるとき、下版前でもないのに3日連続で終電帰りが続いたあと、心の中で「もう終電は勘弁してください」と、らしくない神頼みをしたことがある。なんと、その声は神(どんな神だか知らないが)の耳にも届いたようだった。次の出勤ではとても早い時間に帰ることができた。終電帰りどころか、会社で徹夜したあとの始発帰りとなったのである。
注5 日本人著者がいる書籍編集者
:まわりくどい書き方になってしまったが、要するに、翻訳ではない、ごく一般的な書籍の編集者のこと。わたしがいた環境では、著者に直接依頼して作る本のことを「翻訳もの」に対して「著もの(ちょもの)」と呼んでいたが、他の場所で耳にした記憶がなく、ネットで調べてみてもヒットしない。一種の社内方言だったのかもしれない。
注6 校正記号を編集者なみに使いこなせる人
:編集者は会社に入るとまず校正のイロハを教え込まれるものだが、翻訳者は校正記号をどうやって覚えるのだろうか。我流の校正記号で返ってくるケースもまれにあり、そういう場合は編集者が一つひとつ修正しなくてはならないので、やはり正統の知識を仕入れておくべきだろう。手元に『校正必携』があれば最善だが、頻繁に使う記号は10にも満たないので、まずは編集者に頼んで該当箇所をコピーしてもらうのがいいかもしれない。なお、私見であり、もちろん例外もあるが、著者校に書き込まれた文字が汚いほど、翻訳がうまい傾向が見られるような気がする。自分の字が汚いからそう思いたいだけだろうか。 
注7 翻訳の仕事も積極的に受ける:当初は、翻訳もできる編集者として売り込んでいた。だが、先日来のエンゼルス大谷くんの活躍を見て、彼はピッチャーもできるバッターではなく、ピッチャーでありバッターではないか!という、いかにも中年男性らしい気づきを得たことにより、現在は編集者・翻訳者の二刀流として売り込んでいる。お仕事お待ち申し上げております。
注8 文字のやぶを刈って道をつけるかのような作業:酒飲みの基本図書「酒宴」で名高い文士の吉田健一は、文章をつづってるときの苦しさを、水を張った洗面器に顔をつけているみたいなものだと書いている。同じく文章をつづるにせよ、翻訳はゼロから一を作り出す作業ではないので、そこまでの覚悟を必要としないが、それでも炎天下のもとマスクをしてやぶ刈りをするのと同程度の息苦しさはあるとは言えるかもしれない。会社員時代、山頭火をもじって「分け入っても分け入っても赤いゲラ」という句を詠んだことがあるが、今なかなか終わらない翻訳を前にして頭に浮かぶのは、「分け入っても分け入っても文字のやぶ」というイメージである。
注9 多くの人が自分の仕事を待ち受けている
:のちに詳しく説明するつもりだが、翻訳者から渡された原稿はその後、編集者、校正者、印刷所、製本所、取次、書店などなど、多くの人の仕事を経由して読者の手元に届く。誰もみな翻訳書を一人で作ることなどできない。中村雅俊も「人はみな一人では生きて​ゆけないものだから」と歌っていたではないか(1974年発表「ふれあい」より)。
注10 マイナスに働くことはない
:編集者にもいろんなタイプがおり、たとえばすべてを自分でコントロールしたい傾向をもつ人などは、外部からの提案を受け付けないかもしれないが、それでも「この人はやる気のある翻訳者だ」という認識はもつはずだ。ちなみに、企画の持ち込みで大切なのは、その出版社(わかるならばその編集者)の出版傾向を把握して、それに沿った提案をすることである。中華料理が大好きだと公言している人を最初のデートでフランス料理に誘うのは上策と言えないように、物理学の書籍を多く出している出版社に生物学の企画を提出しても、よっぽど興味を引くものでない限り、反応が薄くなるのはやむをえないだろう。
注11 固有名詞や専門用語を調べておこう
:よく誤解されるのだが、編集者は何も好きで訳稿に手を入れているわけではない。加える手が少なくなるほど時間も労力もかからないのだから、その方が好ましいのは当然のことだ。編集者だってできれば定時で帰りたいのである。ただし、L'appétit vient en mangeant(食欲は食べているうちに訪れる)というフランスのことわざが示すとおり、当初は手を加える意思がなくても、誤りをいくつか連続で見つけてしまうことで、勢いがついてしまうケースがしばしばある。固有名詞や専門用語の不適切な訳も、そうした勢いに火をつける要因になりうる。編集者の修正欲に餌を与えないよう気をつけたいものだ。
注12 精神的・実際的な利点がさまざまあります
:精神的な利点をもう一つ述べておくと、相手のことをよく知れば、過剰な幻想や恐怖を抱かなくてすむということが挙げられる(『赤と黒』のジュリアン・ソレルが初めて女性を知ったときに抱いたのは、「なんだ、こんなものか」という感想だった)。それに、たとえ利点が何もなかったとしても、少なくとも数カ月は一緒に仕事をする共同作業者である、どんなことをしているか単純に知りたくなるのが人間というものではないだろうか。
注13 scientia est potentia:哲学者の方のフランシス・ベーコンの言葉。なお、scientia(スキエンティア=知識、知ること)というラテン語は、scienceの語源である。いやしくも科学系の翻訳者、編集者であれば「知ること」に鈍感であってはならない(と自分に言い聞かせる毎日です)。
注14 翻訳者を目指している方:どうやったら翻訳者になれるのかという切実な問いかけに対しては、いくつかの答えが想定できるが、現時点では「翻訳学校に通いなさい」が最適解だと考えている。この問題については後日改めて検討の場を作りたい。
注15 自然科学系の編集者:自然科学系の翻訳書を専門としている編集者は、全国にどれくらいいるのだろうか。厳密に調べたわけではないので、あくまで当て推量だが、出版社の数や規模から概算して、せいぜい20人弱といったところではないか。そうした超ニッチな市場でフリーランスをやろうとすると何が起こるか(どんなひどい目にあうか)については、今後も身をもって検証していきたい。野ざらし覚悟で旅に出た芭蕉は無事江戸に帰ってこられた。さて、わたしの場合はどうだろうか。

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