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世界史の年号を覚える必要はあるのか

先日、ボランティア活動において、がん患者で集まって情報共有や雑談を楽しむオンライン交流会を実施したところ、全国から10名前後のメンバーが集まり、非常にタメになる楽しい時間を過ごすことができました。

同年代の参加者が多かったこともあり、お互いに自己紹介をするときに西暦何年に診断されたのか、西暦何年から何年まで抗がん剤治療をしていたのかなど、それぞれの治療時期を確認し合うことになります。

僕が治療やリハビリを終えて再就職が決まった年にがん告知をされてしまった人や、僕が10年前頃に行っていた治療を今まさに取り組んでいるような人など、みなさん各々の時期にそれぞれ病気に向き合っていたのです。

手術や治療といった大きなイベントを時系列で整理してみると、自分が手術をしていた時にほかの人は元気に通常通り過ごしていたり、自分が元気になった時にほかの人は人生を掛けた手術に臨んでいた時だったり、自分が過ごしていた世界とは別のところで重大なドラマが繰り広げられていたことを実感します。

このように時系列を整理することができるのは、暦が設定されているからであり、罹患年月を西暦でイメージすることができるからでもあります。

この経験から、例えば歴史の勉強の時に年号を暗記しておくことにも、実は意味はあったのではないかと思いました。

学生の頃に歴史の勉強をしていた時には「年号の暗記をしても意味がない」と思っており、暗記することをサボってしまっていたのですが、こういったイメージを働かせることができるのであれば、あながち無意味なことではなかったと気づきます。

年号を覚えていることで、例えばこのような思考実験ができるようになります。

アメリカの文豪である、アーネスト・ヘミングウェイは1954年にノーベル文学賞を受賞しました。

そして、その当時の中華人民共和国の政治指導者は毛沢東です。読書が好きな彼はもしかしたらヘミングウェイの小説をこっそり読んでいたかもしれません。歴史上に記録は残っておらず、思想も大きく異なるように思えますが、年号を照らし合わせる限りではその可能性もないとは言えません。

トルコ建国の父であるケマル・アタテュルクがトルコ共和国の大統領に在任していたのは1923年~1938年です。

もしかしたら1934年に発売されたアガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』を読んでいた可能性だって大いにあり得るのです。

本は思想に影響を与えるメディアであり、政治家は社会に影響を与える存在です。ここに関係性があってもおかしくはありません。

こうして、年号を覚えることで時系列を整理することができれば、世界の歴史に想像力を働かせることができます。

歴史について書かれた本は、あくまでも過去に起こったことを実証して紡がれた情報であり、現実の世界で起こっていた全てのことではありません。

描かれていない歴史については、このように想像することしかできません。その様な想像をするためには、年号を覚えていることが必要になります。

描かれていない歴史に想像力を働かせることができれば、現代において自分がする行動のひとつひとつが、社会に影響を与えるかもしれないと思うことができます。

誰かが命がけで闘病をしている時、自分は健康な身体で社会に貢献し、自分が治療をして療養している時、闘病を乗り越えた他の誰かが一生懸命働いて社会に貢献を続けていく。

歴史はその様に複雑に関係しながら流れているのかもしれない以上、やっぱり年号を覚えることは意味のあることなのだと思います。

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