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何故エクストリームな体験を求めるのか

この前テレビを観ていたら「雪中キャンプ」という、エクストリームなキャンプをしている人たちが特集をされていました。

彼らは北海道のマイナス20度前後の極寒の地にわざわざ赴いて、テントを張ってキャンプを敢行するのです。

極限状態の白銀の世界のなかで行う温かい焚火や料理を楽しみ、澄んだ空気の中に見える景色に感動し、エクストリームな体験に病みつきになっている様子でした。

これはさすがに厳しそうだと思いましたが、厳しい環境にわざわざ身を置くことでしか得られない体験をするというのは、気持ちとしてはわからなくもないかもしれません。

例えばフルマラソンを走る人がそのままウルトラマラソンに挑戦し、そのままトライアスロンにも挑戦してしまう様な、エクストリームなトレーニングをしている人を見ているのに似ている気がします。

もっと日常的なことで言えば、猛烈に仕事をしている人というのはいつの時代にもいるもので、経営者ではないにもかかわらず、会社員として活き活きと夜中まで働いている人を見たことがある人は多いのではないでしょうか。

もちろん、こういったことをする人たちは凄く極端なタイプだとは思いますが、これは彼らが我慢強いからエクストリームな行動ができるのかというと、少し違う気がします。

彼らがストイックな性格だから極限状態を耐えられるのかというと、それも少し違う様な気がします。責任感があるからなのかと言うと、それ以外にももっと別の理由があるように思います。

雪中キャンプなんかは特にそうですが、彼らはエクストリームな行動を楽しんでいるんだと思います。快楽に従って行動しているわけです。

極寒の地で飲む熱々のコーヒーはさぞかし美味しいことでしょうし、ウルトラマラソン程の距離を走っている時にはランナーズハイになって脳内麻薬が大量に分泌されているはずです。猛烈に仕事に勤しんでいる時もワーカホリック状態で手を動かし、仕事を終えた時にはプライベートでは得られない充足感に満たされながらビールを飲んでいるのだと思います。

安部公房の名著『砂の女』の冒頭に書いてある一文を思い出しました。

罰がなければ、逃げるたのしみもない

『砂の女』安部公房(新潮文庫)

人間は自分で自分を追い込んでたのしみを見出す生き物なのかもしれません。

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