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そして誰もいなくなるのか|企業のミステリー

退職代行業者による早期離職者が増えている話を書きましたが、かつて勤めていた会社ではもっと離職率が高く、頻繁に仲間が減っていく経験をしていたことがあります。

それは今も同じで、いつ誰が退職するかわかりません。退職の機運が伝染してしまうことも充分に考えられます。油断などできないのです。

当時の会社で同僚と飲みに行っていた時のことです。減っていく社員を憂いて「ミステリー小説みたいに人が消えていくな」と皮肉って喋っていたことがあります。

せめてユーモアで乗り越えようとしたのか、笑うしかない心境だったのか覚えていませんが、切迫感があり不安な日々だったことは確かです。

この「人が消えていくミステリー小説」は、もちろんアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を念頭に置いて使った比喩表現です。

会社に誰もいなくなるのは倒産を意味するので酷い冗談になってしまいますが、絶海の孤島でひとりずつ人がいなくなる「そして誰もいなくなった」と違って、企業は採用活動をして社員を増やすことができるので、利益を上げることができていれば悲劇のラストとなることはないでしょう。

僕はアガサ・クリスティーの小説が好きでよく読んでいるのですが、初めて読んだクリスティー作品が「そして誰もいなくなった」でした。面白過ぎて一日で読み切ったことをよく覚えています。

外界との往来が断たれた状況で事件が発生する「クローズドサークル」と呼ばれる手法や、童謡の歌詞になぞらえて人が次々と死んでいく「見立て殺人」というストーリー進行など、ミステリー小説としてのエンターテインメント性は他に類を見ない名作です。

しかし、僕がクリスティー作品で何よりも好きなのは、事件に関わった登場人物に物語が存在していることです。

現代の法治国家において殺人が行われるというのは常軌を逸した出来事です。それほどのリスクのある非日常的な行いをするためには、その動機のなかに様々な事情があり、人それぞれに深い深い物語が潜んでいるからこそ、殺人が発生するのです。

クリスティーはそれらの物語をミステリー小説という手法で描いてくれます。しかも最後まで飽きることなく読めるエンターテインメント性を発揮しながら、ひとりひとりの物語を読者に伝えてくれているのです。

会社から人がいなくなる時にも、そこには複雑な人間関係や様々な事情が潜んでいるはずです。

クリスティーの熱心な読者としては、退職が発生した時には人員配置の議論を進めるだけではなく、辞めていった社員の人生にどんな物語があったのか、そこに思いを馳せるようにしています。

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