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料理の描写が好きすぎる

小説の中に出てくる、料理や食べ物描写が、頭から離れないことがある。


食いしん坊、かつ、結構な妄想癖なので、
どんな味なんだろうとか、どうやって作るんだろうとか、想像が止まらないのである。


料理は画像で知る機会が圧倒的に多い。
彩り、盛り付けの美しさがダイレクトに伝わる。

しかし、料理を文章で説明すると見た目も形も画像のようには伝わらない。伝えるのが難しい。

でも、だからこそ、想像を掻き立てられるのだと思う。


油あげのフライ?

村上春樹の小説で私が1番好きな「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」
その一節がきっかけだった。


彼女を待つあいだに、私は簡単な夕食を作った。梅干しをすりばちですりつぶして、それでサラダ・ドレッシングを作り、鰯と油あげと山芋のフライをいくつか作り、セロリと牛肉の煮物を用意した。出来は悪くなかった。


まず目につくのが牛肉とセロリの煮物


この小説を読んだ中学生の頃、私はセロリというものをちゃんと食べたことがなかった。

だから、どんな味なのか気になったし、カタカナの野菜を煮物にしていることにも衝撃を受けた。

しかし、もっと衝撃的だったのは、鰯と油あげと山芋のフライである。


フライだから、パン粉で揚げるのを想像するのだが、油あげにパン粉をつけて揚げるのだろうか?そんなことってあるのだろうか?

それとも、鰯と山芋と油あげを合わせてかき揚げのように揚げる?でも、それだとフライとは呼ばない気が…

この堂々巡りを中学生の頃からずっとしている。いい加減自分で作ってみろよって話だ。ちなみにこの料理は、物語の本筋とは全く関係ない。



2時間で作れる量なのか


お次も、私の大好きな小説、吉本ばななの「キッチン」である。 


「キッチン」には料理が沢山登場する。特にラストに出てくるカツ丼の描写は最高なのだが、私が気になるのはそこではない。

二時間かけて、私は料理を作った。(中略)
夜が透明に更けた頃、私たちは出来上がった大量の夕食を食べはじめた。サラダ、パイ、シチュー、コロッケ。揚げ出しどうふ、おひたし、春雨と鶏のあえもの、キエフ、酢豚、しゅうまい…

この小説の主人公は料理研究家のアシスタントをしているから、料理はお手のものなんだけれど、それでも、2時間でこんなに料理を作れるのか?といつも思う。

一つ一つの料理は、私も作ったことがあるけれど、一気に作ろうという気には、まずならない。相当手際よくやらないと途中で嫌になりそうだ。

とはいえ、テーブルにこれだけの料理が並んでいたらテンションが上がるだろうな、とも思う。


弁当指南書


比較的最近読んだのは、奥田英朗の短編集「我が家の問題」に収録されている「ハズバンド」という小説だ。


自分の夫が、会社では仕事が出来ないお荷物だということに、薄々気付いてしまう主人公。

せめてお美味しい昼ご飯を食べて、仕事を頑張って欲しいと、お弁当を作ってあげる話だ。

中華鍋に胡麻油を熱し、塩と胡椒で下味をつけ、片栗粉をまぶした豚肉を炒めた。続いてざく切りにしたキャベツと生姜の千切りを投入し、油が回ったところでふたをする。その間にオイスターソースと酒と醤油の調味料を作り、ほどよく蒸れたたころで混ぜ合わせる。そして水分が飛んでつやが出たら出来上がりだ。

これってレシピ本?と思うくらい、作り方が詳しくて、味も容易に想像できる。とても美味しそうだ。

お弁当の詰め方についても描写がある。

弁当箱の片側四十パーセントまで御飯をよそい、かるく押さえた。(中略)主菜を隙間なくたっぷりと詰める。仕切りを使わないので、御飯とおかずの境界線が合戦かっせんの様相を呈していて勇ましい。

実は私もこの頃、夫にお弁当を作ってあげていたので、この本に影響された。実践すると、より記憶に残りやすい。





文章だけを頼りに、見た目や味を想像する。

それは、今まで食べた料理の記憶を辿りながら想像力をフル回転させる、脳の活動でもある。

だから、ただ料理の写真を見るだけより、印象に残るのかもしれない。


おまけ

不味そうな料理の描写というのは、美味しそうな料理の描写よりも、ある意味印象に残りやすい。

問題は運ばれてきたスパゲティーの味が災厄と表してもいいくらいひどかったことだった。麺は表面がいやに粉っぽくて中に芯が残っており、バターは犬だって食べ残しそうな代物だった。

ファミリー・アフェア/村上春樹


この文章を読むと、犬がバターをクンクンして、しかめっ面をする様子を思い浮かべてしまうのだった。

(そもそも犬ってバター食べるのかな?)







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