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【適応障害で休職】有名商社でハラスメントの技のデパートを食らった結果

元々勤めてた上場企業の総合商社でセクハラ、アルハラ、パワハラ、食ハラというハラスメントの技のデパートを食らった結果、適応障害になって転職した。

到底忘れることのできない当時の記憶、感情をいつか書き残したいと思っていました。「書く」ことで記憶の供養となりますように。



留学や海外でインターンシップなど大学時代を活動的に過ごした私は幸運にも総合商社に入社した。年収1500万は約束されている会社だった。
これからどんな人生になるんだろうとワクワクしていた。


私は希望通り、営業部隊に配属され、扱いたい商品の担当になった。



業界は風通しが良く、「人間力」(これ、商社頻出のキーワード)で勝負する世界。


「人間力で勝負する」って聞こえはいいけど、ようは「お客に気に入られるかどうか」だから、実はハラスメントの温床になりがち。だと今ではわかる。

というわけで、別名「人間関係ベッタベタの営業でなんとかするしかない業界」へようこそ。
だった。

——「どんなパワハラがあったんですか?」 


「役立たず」で「できない人間」で「努力もできてない」って毎日話すたびに言われていた。
周りともよく比較された。

定番ハラスメントだけど、チームリーダーより早く帰ろうとすると嫌味を言われた。「仕事も満足にできないのに帰るの?」

事情を知らない他の社員から見た私は「新卒でやることないはずなのに、好きで残業してる人」だったらしい。救われない。

5年前の話でもう悲しくないはずなのに、記事を書きながら涙が出てくる。そして怒りも。


怒る時は密室に呼ばれる。「仕事なめんなよ、クソガキ」って言われたこともある。
それも課長に。えっ上場してる総合商社の課長にだよ?普通に社内で評価されてるおじさんなのに、こんなこと言うんだって驚いた。


せめて密室じゃなくて堂々と言って欲しかった。仕事舐めたことなんてなかった。今でもなんでそう言われたか分からないけど、そのとき課長も病んでたから、八つ当たりかな。


私を入れて3人のチームだったけど、私以外の2人の先輩の仲がすごく悪くて、私の役目は板挟みになることだった。
2人のかすがいになることが課長に決められた1年間のゴールの一つだった。まあそれさえできてなかったんだけど。


ちなみに今ではそのチームは解体されたらしい。

——「どんなアルハラがあったんですか?」


一気飲みは当たり前の当たり前。お酒は強くなかったけど、強くなった。お酒って強いとみんな喜ぶんだよね。お酒を飲むときだけ褒められた。

新人て仕事はよくわかっていなかったから飲むしかなかった。
「飲め」って言われて断るのまず無理じゃない?
断るのも辛いし、飲むのも辛い。


夜2、3時とかまで連れ出されるのザラだったし、そういえば週5で飲みだった。私だけじゃなくて、そういう人は周りに多かったんだけどね。

疲れたのか気が張ってたのか帰り道は毎回泣けてきた。
カラオケが入ってる会は猿のおもちゃみたいにタンバリンを叩きまくった手が痛かった。

——「食ハラって何ですか?」

飲み会で残ってる唐揚げを食べるとかの残飯処理。それが私の会食時の役目。おかげで3キロ太った。好き嫌いも減ったのはよかった。

イカとか貝は苦手だったけど、会食で苦手なんて言えるわけがなかった。食べて、笑顔で「美味しい」って言うしか脳がなかった。

——「どんなセクハラがあったんですか?」


会食のときに客のおじさん部長の首の匂いを嗅がされた。部長は良い人だったけど、セクハラなのは間違いない。

なんでか分からないけど、客と上司と3人でホテルに行ったこともある。客が寝てる間に酔っ払ったふりをしてこっそり帰った。怖いよね、社会って誰も守ってくれないんだって思った。

会食中もセクハラ発言が多かった。かわすの上手くなった。
でもさ客のおじさんがセクハラ発言とかセクハラしてきても嫌な顔なんてできない。それがどれだけ自分のチームに損害与えるかわかんないんだもん。

むしろ「それくらいしかキミは価値がないんだから」って言われたこともあった。「こんな世界ぶっこわれればいいのになぁ」ってゆるやかに自分の心が死んでいくのを感じた。

ゲイバーにも行ったことある。フルーツのバナナをやらしく食べるフリとかしてた。何してるんだか。

生々しくて気分悪くなった方はごめんなさい。

ハラスメントを受けても、デキナイ自分のせいだと思ってた。

ハラスメントってどこでもあるよ。そこで耐えて頑張って昇進する人も山ほどいる。少なくともうちの業界はそうだと思う。
ハラスメントを受けても、みんなのために役に立ちたかった。だって新人なんてハラスメント受けてなんぼじゃん。


気づいたらなぜか毎日涙が出た。汗をかくように涙を流しながらデスクで仕事をするようになった。私のチームは見ないふりをしていた。「最近、涙が止まらない病気なんです〜(笑)」って笑って言ってたからかな。


そのうち人事にバレた。人事はマトモだった。
バレた次の日から私は休職になった。
お世話になってたお客もいたのに、わたしは挨拶さえ許されずに会社から遮断された。


その次の日に私をいじめてた課長も休職になった。


「おいおい、お前も休むんかい!」って思った。
課長のが先に休んでたら、私は頑張れたかもしれないのに。


休んで、部署も変わったら元気になった。
でも結局以前のような気持ちでもう会社のために頑張れないと思って転職した。

超ハラスメント時代を生き抜くあなたに


今でもたまに思う。

「あの時もっと頑張ってたら人生違ったよなあ。ハラスメントに負けて逃げたんだよな、私」
って。


「何が正解だったんだろう」

「会社の人たちは私のこと、しょうもないやつって思ったかなあ」

過去の傷を振り返るのが止まらない夜がある。


………

もう一つ思い出すのは、休職明けに出社したときの周りの反応だった。

同期や友達は凄い心配してくれて、超優しかった。人事にも伝えててくれてたらしい。
周りは意外と見てくれていた。
頑張ってることも。無理してることも。



「もっと頑張っていたら」じゃなくて、「もっと早くSOSを出せていたら」の間違いだった。


例えば骨を折って会社を休んでも責める人はいない。だって会社に物理的に行けないんだから。

それと同じ。心が骨を折ってるんだよ。ハラスメントで悩んでる人、我慢しなきゃ行けないって思ってる人はどうか勇気を出して、SOSを出してみてほしい。
人事に言うとか、転職するとか、とにかくアクションを起こしてほしい。


私みたいに適応障害になっちゃってからでは遅いと思う。一度心の骨が折れると、正直折れやすくなる。体の骨とおんなじで。
でも心は骨と違って、治し方がまだよくわかってない。


楽しい人生は元気な体、元気な心から。

私は今30歳。もうすぐ人生折り返し。
まだまだ人生長いから、無理せず、毎日楽しく過ごしたいと思ってる。
今苦しんでいる人は、どうか前に進む1歩が踏み出せますように。そして私のように、いつかこんなふうに思い出になりますように。


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