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死ぬ間際の人生満足度を高めたい:欲望と戦略のはなし(中編)

今回は、わたしの「人生の最終的な勝利条件」についてお話しします。
前編はこちらです。

楽しくなくなったら死ぬ

大学のころ、

「今が楽しければいいじゃん。
 楽しくなくなったら、死ねばいいんだよ」

と言う友人がいました。
そのひとは自虐的でもネガティブでもなく、むしろ明るくポジティブに言ってのけました。

わたしは共感まではしなかったものの、一理あると思いました。
ただし逆に、

「将来大成するために、今を犠牲にして歯を食いしばり努力する」

というひとがいても、一理あると思ったでしょう。
わたしはそのどちらでもなく、「今が楽しい」ことも「将来が楽しい」ことも重要だという、極めて平凡な考えだったからです。

そのひととはもう長らく会っていませんが、どうやらまだ生きています。ただ最後に話したとき、「今が楽しい」が続いているわけではないのだと感じました。

わたしはそれを良いとも悪いとも思いません。
ただ、「ひとは変わる」というひとつの事例として捉えています。

変わらないためには変わり続けねばならない

十代のころに出会い、未だに大きな影響を受けている言葉のひとつに、劇作家の鴻上尚史さんの本にあった言葉があります。

第三舞台は、変わらない。
そして、変わり続ける。

弓立社『朝日のような夕日をつれて NEW VERSION 第一戯曲集』

似たような言葉で、古くから続く定番食品や数代続く料理屋の老舗が

「変わらず愛されるために、実は味を少しずつ変えている」

という話を聞いたことがあります。
"変わらない価値を届けるには、変わり続けなければならない"というのは、ビジネスの世界でもよく言われることです。

ただわたしは上の言葉で初めてその考えを知って、その後ことあるごとに思い出してきました。

幼いころ「ずっと友達でいよう」と約束した友人。
夢を語る新入生に「若いね。現実を知る何年か前は私もそうだったよ」と悟り済ます先輩。
「ずっと一緒にいようね」と告げ合ったひと。
立場が変わって「あのひとは変わった」と言われる権力者。

短い人生の中で出会うひとたちが変わっていくのを目の当たりにして、ひとは変わらないことのほうが異常なのだと幾度も実感しました。
時間は流れ、歳を取り、立場も変わり、取り巻く環境も変わり、経済力や社会的な影響力も変わっていく中で、それらのなににも影響されないことは誰にだって不可能だろう、と悟りました。
自分も含め、変わることは良いことでも悪いことでもなく、ただの事実だと。

だから交わした約束や掲げた誓いは、きっと守られないことのほうが多い。
じゃあ変わるのが当たり前の中、

「わたしが変えたくないものはなにか?」

と考えるようになりました。

いつだってここからが人生だ

大学に通っていたころ。
昼夜逆転の生活をし、好きなことしかしたくないと思っていたわたしは、自分に社会人が務まるとは到底思えませんでした。

また、夜の電車で酷く疲れた表情の勤め人たちを見かける度に、あんなふうにはなりたくないと思いました。
もちろんあんなふう、のひとたちにもそれぞれの人生があって、彼らだって別に四六時中うなだれているわけではないと今なら解りますが、当時のわたしは要するに、

・生きていくために仕方なく働く。
・仕事は苦痛でしかない。
・上司などに毎日へいこらする。
・常にくたびれている。
・人生なんてしょせんこんなもの、と思う。
・自分の人生のピークは学生時代だったとうそぶく。

とか、まあ書くときりがありませんが、そういう社会人になるのは絶対に嫌だと思いました。
例えばその当時の自分や仲の良い友人たちから見て、

「あーあ。さらばも変わっちゃったねぇ」

とか言われるような自分にはなりたくない、と。


わたしの大好きな曲に、そんな当時の心境にかなり近いフレーズがあるので引用します。

なぁ、友よ、"夢"っていう言葉は
きっとあきらめた人が
発明したんだろう
ならば、友よ、死ぬ間際でいいや
君と夢を語り合うのは
死ぬ間際でいいや。

野狐禅『ならば、友よ』 作詞:竹原ピストル

人生にはいいこともあるし、悪いこともあります。
そしてときにひとつの"悪いこと"が、数多くの"いいこと"を帳消しにしてしまい、人生を、人格を変貌させてしまうこともあると思います。

だけど過ぎたことは変えられず、自分が関わることのできる人生はいつだって"ここから"です。

なら、どんなに歳を取っても。
どんなに上手くいかないことがあっても。
どれだけ大切なものを失ったとしても。

「いつだってここからが人生だ」

と思えるなら、人生のピークはいつも"ここから"先にある。
死ぬ間際までそう思えたら、勝ちなんじゃないか?

それがわたしの「変えたくないもの」で、「人生の最終的な勝利条件」だと思ったのです。

コントロールできないものに人生を預けない、と決めた

そして、そう考えた日から長い年月が経ちました。

今振り返って言語化すると、わたしは

  • 「お金」「名声」「地位」など、世の中的な評価を上げる戦い。

を選ばず、

  • 死ぬまでの時間、自分の評価を致命的に下げない戦い。

を選んだとも言えそうです。
大仰な言葉を使えば、"立身出世"ではなく"生き残り"に価値を見出したというか。

それが何故なのかというと、理由はかなりたくさん思い浮かぶのですが、そのひとつは「自己効力感の低さ」だと思います。
自分に才能があるとは思えず、将来にわたっても世の中から評価されるとは考えられませんでした。

お金も名声も地位も、すべからく"他者の評価"で決まります。
これは、極論コントロールすることができません(評価されるように努力することはできますが、自分で勝手に決められないという意味で)。

しかし自分のことなら、自分が努力すればなんとかなると思ったのかもしれません。
生涯挑み続けることが簡単とは今も思いませんが、極論他者がどう思おうと成立する話ですから……わたしは他人と戦うより自分と戦うほうがいいと考えたのです。

そう考えると、「なんって臆病なヘタレなんだ」と思いますが、そう決めたことが18年以上書き続けられている要因の、結構根本的な部分を占めているのは間違いありません。

ひとにお勧めしたり胸を張ったりできるような話ではありませんが、こんな感じでわたしは自分の人生の最終的な勝利条件を決めました。
さて、その上でどういう戦略を立てたのか……それは次回にお話ししようと思います。


と、いうわけでお読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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