知ったフリして読んでいる。
彼女と過ごす時はもちろんと言うか、大前提なのだけど、深からず浅からずの関係性においても相手の名前を間違えないというのはもう、至極当然のことだと自覚している。
最近の私といえば、なにやら怪しい肩書きの発酵デザイナーの元で週に2度、畑の開墾もとい、DIY業務をはじめとした「書生」をしている。
私についた肩書きも訳分からなさゆえ、発酵デザイナー書生というただの文字の羅列になっている。
それは良いのだ。むしろありがたくて、発酵デザイナーを取り巻く味噌屋さんの兄妹だったり、本職がDJなのかワイン醸造家なのかわからないナイスガイだったり、歌姫だったり美大卒の寿司屋さんとの出会いがあった。
そんなお兄さんお姉さんたちには、継続的に優しくされているのだから、開拓使じゃなくて、発酵デザイナー書生になれたことは多聞に幸せなことである。
可愛がられるという点では、中学の頃から仲良しの子は、私のことを「まーにー」と今でも呼ぶし、幼馴染の子も「まーちゃん」って呼ぶ。
それは家族も同じで、「まー」ってよぶ。私の名前は、「さだ」か久保田かってな具合で、まさしだからだ。
発酵デザイナー界隈の優しくてセンス溢れるアネキ、アニキたちは、普段「書生くん」とか、「くぼたくん」とか、DJ兼ワイン醸造家の若尾さんは、「まさしくん」って読んで、呼んでくれる。
若尾さんのことは、もう、心の隅から信頼している。
ただ、ただ、私は下っ端の書生であるのだけど、味噌屋さんの二人とか、師匠にあたる発酵デザイナーに1つだけ言いたいことがあるとするなら、私の親の前で「しんじくん」って呼ばないで欲しいのだ。
今週末、甲州ワインで有名な、山梨の塩山でワインフェスが行われる。
若尾さんとか、敬略称Sもとパイ先や、発酵デザイナーと味噌屋の兄妹3人合わせて発酵兄弟と一緒にイベントで行商するのだ。
それにあたって皆べっこにうちに来てパンまで買っていってくれて、それだけなら申し分ないのに、普段「書生」とか「くぼたくん」とか言うところを親の前だからって不慣れにも「しんじくん」って言ってしまうのだ。
普段とってもいい人たちだからなおさらタチが悪くて、「あ、まさしだよ。」なんて思っても上手いこと言えなかったり、父から「この前来た味噌屋さんのお姉さん、しんじくんって言ってたぞ。」なんて晩酌中に曖昧な顔で言われたなら、私の酔いもあらぬ方向へ行ってしまうのだ。
私たちは、サラダ油のサラダを良く知らないことと同様に、存外「知ったつもり」をまかり通してるのかも分からない。
「まぁ別に、植物油かサラダ油くらいの差しか、「まさしくん」と「しんじくん」には無いのかも知れないから、気にしてませんけど。」
味噌屋のアニキに関しては、そういえば「山田君」って言われたこともあるなと、なんだか、良くしてもらってるなんて思っていたのは私だけだったんじゃないか、これは思ったより、
一方通行の片思いなんじゃないかなって、
少しぞわぞわするのだ。
DJ若尾だけが、私の心の砦である。
なんて…。
ちょっとしたネタである。
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