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雨降れど、傘ささず。

たとえば、美容院には負けっぱなしの人生で、「おまかせで、」が通用しないとなると大変困ってしまう私である。

けれどもそう言えば、雨には負けたためしがなく、降水確率70%でも、私は勝ってしまうから、雨降るデートなどしたことが無い。

傘さすのもめんどくさいので、ちょっと近所にビールを買いに行くくらいであるなら、私に落ちてくる雨もろともコンビニへつれて行く。

どうしたって落ちてくる雨である。それをあの手この手で、それも1000年と変わらない傘で防ぐような真似しなくても、まぁ良いではないか。

そもそも、この世界においても日本は海に囲まれ、湿潤であるから、類を見ないほどに水に恵まれている。浴びる雨があるから、ガソリンより高い水を飲んでやれるわけである。

矛盾をはらむ生活は、食にもやってきていて、和の心を尊ぶ欧米人に対して、日本人の食事といえば、欧米食である。なんて言われる時期もあった。

私は、別に、日本人が食うべき食事は、和食だけだ。とは思わなくて、国際化をうたう現代社会において、食事が国際化しないのは、むしろ不自然である。

矛盾も、自然の摂理であるのだ。

とりわけ、愛せる矛盾かどうか、その点だけが、重要で、矛盾していることは、対して問題ではないのだと思う。

そんなにすっきり割り切れる世界なら、もう少し傘は進化し、ダイエットコーラをガブガブ飲みながらハンバーガーを食い、サプリを常用するアメリカ人など、とっくに淘汰されているはずなのだ。

モノゴトの多様性は、強弱にあって、強弱があるからこそ、矛盾すら自然であるのだ。

もし地球と言うものに、自然な心があれば、今ほど日本に水は無く、もうちっとだけ、砂漠がなくなる気がする。

矛盾を赦せる心を、私は雨に打たれながら、ちっと考えている。

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