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令和5年5月5日に振り返る

第一話 3つのブランドの成り立ち①

⇩⇩⇩link
『renor+』と『OHRAI』と『SaruJK』

第二話 3つのブランドの成り立ち②

⇩⇩⇩link
『SaruJK』と『renor+』と『OHRAI』

別のアカウントでコトの成り立ちを説明してきました。

ここからはSaruJKブランド引退馬支援プロジェクトについて、あらためて書いて行こうかと思います。

第三話 SaruJK(サルジョッキー)

今日は令和5年5月5日
実は誕生日なんです。
愛媛県宇和島市の地に子供服店の長男として誕生。

SaruJK(笑)

小学校を卒業するまで、子供服『みっちゃん』のトップモデルとして活躍

見事に5並びという事でSaruJKブランドと引退馬支援の関係について語る上で、SaruJKの人生も振り返ってみようと思います。

愛媛から上京

ファッションデザイナーを目指して愛媛県宇和島市から上京。
服飾専門学校で初めて洋裁にチャレンジ!
子供の頃はプロ野球選手か新幹線の運転手になりたいと思っていた自分が、まさか洋裁の道に入って、洋裁の面白さにハマるとは思ってもいませんでした。卒業前にはカタチをおこして、ココまで縫えるようになっていました。

学生時代のコンテスト作品

YVES SAINT LAURENT

卒業後すぐには就職をせず、ある日本の会社がイブサンローラン社とライセンス契約を交わして、オートクチュールコレクションの生地と型紙を買い付けてきて、日本向けに作ってオーダー会を開くアトリエに縫い子としてアルバイト。サンローランのアトリエでも使われているパターンと生地に触れるという幸運なアルバイト時代を過ごしました。

サロンショー楽屋裏

COMME des GARCONS

その後、学生時代からとても憧れていたブランド
コムデギャルソンが超珍しく新人社員の募集をしている事を知り、就職試験に挑んで見事!入社が叶った。

入って3ヶ月も経たない中で、ジュンヤワタナベのデビューコレクションスタッフに加えられる。今思えば当時のメンバーは蒼々たる顔ぶれ
Sacai・kolor・nozomi ishiguro そこに生意気盛りのSaruJKもアクセントとして加わったのでした。

世界に通用するクリエーション。オリジナルであれ!と言う暗黙のメッセージは今もなお健在。尊敬してやまないブランドです。

もっと多くを語りたいのですが、私SaruJKが語ると偉大なブランドが軽くなってしまいそうで、ここら辺でやめておきます。
最後に川久保玲社長のオーラは凄かったです。

渡辺淳弥さんには入社以来、大変お世話になりました。ありがとうございます。

左はSaruJK担当


若き頃のSaruJK

NICE CLAUP(ナイスクラップ)

最も憧れたコムデギャルソンを若気の至りで飛び出し、独立するぞと意気込んでみたものの、右も左も分からぬままの無職時代。

このままではイカン!と奮起して、再就職を試みる。
ターゲットはNICE CLAUPというブランドでした。
当時、SPA型のブランドとして、飛ぶ鳥を落とす勢いでメキメキと急成長。クリエイターズブランドは自分の中で最上級の会社に入り経験済みで、ギャルソン以外は行くとこはないと決意し、全く毛色の違う会社に行きたいと思いました。

MD(マーチャンダイジング)によって欲しい時に、欲しい価格で、欲しい分だけ作って提案する。今の商品づくりの構造はこの時代のSPAブランドが作り上げたと言っても過言ではない。

入社方法は…伝説のように言われる事もあるのですが…
社長を会社の前で『 マ・チ・ブ・セ 』
たまたま同社に学生時代のY先輩が在職。会って社長の写真を見せて貰って覚えて突撃(スマホなんて無い時代w)

元気な会社でした。画像がない!(苦笑)

beige shop と RYUICHIRO SHIMAZAKI

ナイスクラップを退社し、いよいよ独立するぞ!と意気込んでた矢先、beige shopの専務から電話がかかってきた。

ブランドが成長して、東京コレクションにメンズとレディース2ブランドを出していて、とても忙しくなりピンチヒッターとして手伝いに行く事に。

明るく元気に満ち溢れて良い会社に成長(会社立ち上げの時もバイトをした)していて、気がつくと社員になっていた(笑)

当時のバカ騒ぎしていた画像がなーい

社長の嶋崎隆一郎 氏・専務の佐藤ヒサコ さん…学生時代から仲良くお付き合いさせていただいた偉大な先輩。

嶋崎隆一郎 男のシリーズ本


佐藤ヒサコ ドレープ本

その後、やはり独立したい夢が浮上してきて退社。そして独立。

このbeige shop時代の社長を筆頭に知り合ったスタッフとの関係が素晴らしかった。勢いよく働き、勢いよく飲んで騒ぎまくった日々!本当に宝物です。めちゃくちゃ楽しかった!

そして独立してCya inc.設立

何だか経歴・社歴などになっていきそうなので(笑)
独立してからの事は割愛させていただきます(笑)

norihito sato
norihito sato
Mizuno GOLF Creative Line 
DESCENTE Munsingwear

自分で立ち上げたブランドを中心に外部業務委託デザイナーとしてスポーツメーカーのゴルフブランドのデザイナー・学校の先生・テレビショッピングなど色々と熟してきました。

独立してからは自分が競走馬のようなもの。
馬券なんて買ってられるかい!と一心不乱に仕事に打ち込む日々。
途中 ディープインパクトが出てきた時は注目して見ていました。
ちょっと馬券も買ったかな(笑)

時は流れて…いよいよSaruJKデビュー

コロナ禍によるストレスのハケ口として、封印していた馬券買いを再開しました。アパレルブランドとしてデビューする事になったSaruJK。

周囲のデザイナーや以前デザインをさせて頂いた会社のMD…その他リアルにSaruを知っている方からは興味?色物?的な感じで見られてます。

競馬ファンの凄さをみせつけたい!
競馬ファッションを熱くしたい!
ワイワイ盛り上がりたい!

思い立ったが吉日とは言うものの、いきなりBASEショップでキャラクターデザインしたTシャツを販売開始。


SaruJKブランドデビューの理由

最初のお客様!ありがとう!

正直言うと最初はノリ!本当に気軽に『やっちゃえ!』的な発想で楽しくデザインしてUPしたんです。

ありがとう


SaruJKを始める前に『OHRAI』ブランドを立ち上げました

このブランドを立ち上げる事に注力した時の集中力の高まりと、色々と言葉や立場など気を遣う部分が多くて、楽しくもあり、物凄くストレスも溜まる企画でした。未来へ向けて今も企画中です。

そうした中で息抜きの場…..と言えば手抜きな感じがしますが、ノビノビと自由にデザインが出来る場が、今後OHRAIを続けていく上で必要だと思い、『ノリ』でSaruJKのTシャツdesignをしたのがブランドの起こりです。

認定NPO法人引退馬協会

ノリで始めたは良いけど、自分の中で大義名分とブランドを続けていくモチベーションが必要!と思った事でした。

そうした中で認定NPO法人引退馬協会 様の存在を知り、現役時代に応援!そして馬券としてもお世話になった馬達が余生を送っている。
・タイキシャトル( 2022年8月17日 死亡)
・メイショウサムソン
・メイショウドトウ
・ナイスネイチャ

その他にも沢山の知っている馬達が余生を送っている事を知りました。

自分がデザインした服やグッズが売れる事で楽しませて貰った競馬界に少しでも貢献出来る!思い立ったが吉日!早速 認定NPO法人引退馬協会に電話をして、お話を伺い、SaruJKの考えを伝え、認証していただきました。

その後の第一回目のクラウドファンディング(CAMPFIRE)でSUCCESSした後、寄付する事が出来ました。

引退馬協会

現在チャレンジ中のSaruJKプロジェクトも認定NPO法人引退馬協会様の許可を得て掲載しています。

SaruJKの今後に向けて

今は支持してくれる人との交流が楽しいです。
無理に買ってもらわなくていい。
気に入ったモノがあればイイね!
そんな感じで続けていけたらと思ってます。

そして、その先の引退馬支援に繋がっていけば素晴らしい!

引退馬支援

とはいいつつ(笑)
現在プロジェクト中の『こだわりの帆布』で作ったニュースペーパーバッグと軽快なサコッシュ!5月30日迄です。

こちらも是非!見て下さい!
応援して下さい(笑)

Makuake プロジェクトページ

これからもワイワイ楽しくやっていければ幸せです。

そして本日…沢山のバースデーメッセージ
本当にありがとうございます!
皆様に幸あれ!そして感謝いたします!


勢いで打ち込んだ部分もあり、誤字脱字、変な助詞の使い方などお見苦しいところも多々あると思います。ご了承いただけますと幸いです。



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