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これまでのいきさつ

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まえがき①

まえがき①

 こどもの頃から情緒不安定。暗いときと明るいときの差が激しい。
 両親は毎日ケンカ。おびえて暮らす。
 物心付いたときには家を出て遠くへ行きたいと思っていた。
 小学5年のスパルタ教育担任が怖くて大人になってもトラウマとして残っていた。6年生のときの記憶はほとんどない。
 中学生から対人恐怖と慢性的に抑うつ状態。マンガやアニメが好きでイラストをよく描いていた。オタクだと陰口をたたかれ怯えていた。暗

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まえがき②

まえがき②

 高校時代は努めて明るく振る舞うが、度々襲ってくる抑うつ状態。はじめての自傷行為。いくじなしなので小さいリストカット。
 音楽を聴くことと部活に打ち込むことでつらさを忘れようとした。
 卒業後は念願の上京。新聞奨学生として働きながら専門学校に通う。
 専門学校に入って間もない頃に抑うつ状態になる。泣きながらはじめての心療内科受診。アモキサンを処方される。数回薬を飲んだら元気になった気がして病院に行

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まえがき③

まえがき③

 就職先は超肉体労働の超ブラック。早朝から深夜まで肉体労働。やっと終わったと思ったら社長であるカメラマンのテスト撮影、又は社長の車を洗って磨く。洗車は外の駐車場で行う。深夜でも。真冬でも。定時で帰ることはあまりない。その前に定時が9時から20時。おかしい。
 辞めたいと伝えても辞めさせてもらえない。そんないかれた会社を2年半働いた頃に身体に異変が出始める。
 ある日同僚と口ゲンカして無断帰宅。帰宅

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まえがき④

まえがき④

 それをきっかけにめでたく(?)退職。半月は歩くのもままならない状態だったが、働かなければ死んでしまう!と考え半月経った頃から散歩のリハビリを始める。失業手当の申請書類をもらったけど見ようともしない。当時の私は信じられないくらい無知でバカだった。
 バカだからか、双極だからか、1ヶ月で社会復帰。派遣会社の面接を受ける。仕事は物流倉庫の事務。無謀にもその1ヶ月後にファミレスの面接を受ける。ビビリのく

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まえがき⑤

まえがき⑤

 仕事が無い…、と絶望してたけどすぐに派遣元の会社から次の派遣先を紹介される。働き口は大手の事務。事務所が広く、若くて可愛い女性が多くてビビる。優しい先輩に教わりながら仕事開始。ここで働き始めた頃から遅刻癖がなくなってきた。
 残業が多い職場だったので給料アップ。それに伴いかけもちでバイトしていたファミレスを辞めた。ここまでの間、精神的に安定していたわけではなく波は激しかった。自分に振り回されてつ

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まえがき⑥

まえがき⑥

 仕事はしばらく安定していた。しかし人間関係の構築は難しく、同年代ばかりの職場でも腹を割って話せる友達はできなかった。
更に女性は会話をしながらデータ入力することが出来るらしいが、私はそれが出来なかった。そして仕事中の女性同士の会話が私にとっては騒音だった。
 ある日私は仕事中に女性同士の会話が聞こえる環境での入力作業中に頭が混乱し、パニックを起こした。トイレで隠れて泣いた。パニックは収まらなかっ

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まえがき⑦

まえがき⑦

 奇跡の日がおきた。
 その日は普段と変わらない通常業務だったが、不安や恐怖、心の波が無く今までに経験したことの無い穏やかな心情だった。「これが普通の状態なのかな?」と思うと同時に自分がいかに異常な状態であったことを実感させられた。
 残念なことに奇跡の日は1日限定だった。

 その頃、プライベートでのトラブルが原因で異常な不安状態と抑うつ状態にあり、奇跡の日で自分の異常さに気がついた私は心療内科

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まえがき⑧

まえがき⑧

 ジェイゾロフトの効果はわからなかったが、ソラナックスの効果は速やかに現れた。ソラナックスを飲むと不安がスッと引いてくれてるような気がして手放せなくなった。
 ジェイゾロフトは数週間服用しても効果が感じられないので中断となった。代わりの抗うつ剤は処方されなかった。
 その頃のことははっきりと覚えてないけど、確実にソラナックス依存症になっていたと思う。朝に0.4mgを3錠から5錠服用し、その後は何錠

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まえがき⑨

まえがき⑨

 次に選んだ病院は関東を中心にグループ展開している有名な病院。
 初診で言われたのは「抗不安薬のみではその場しのぎで解決にはなりません。主剤を足してソラナックスは頓服として使いましょう。」だった。今なら「そりゃそうだ!」と思えるがその頃は無知すぎて目からウロコだった。
 そして主剤として処方されたのはSSRIのレクサプロ。これは私に合っていたみたいで数週間飲んだら気持ちが上がってきた。依存していた

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まえがき⑩

まえがき⑩

 健康になった私はあらゆる活動を始めた。
 短期間で好きなイラストを描きまくり、慣れないHTMLやCSSの本を読みあさりホームページを作り、デザインフェスタに出展し、いくつかの企画展に参加し、個展も行い、手芸活動もしてネットショップを立ち上げた。寝る間を惜しんで作業をした。給料は製作費に消えた。

 私は健康じゃなかった。操転してたのだ。

 主治医に元気なときが多いが波が激しいことを伝えるとデパ

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まえがき(11)

まえがき(11)

 服薬治療は3年ほど続いた。
 2015年、私は完治していると勘違いし独断で薬をやめてしまった。そしてその頃までずっと派遣社員として働いていたが、派遣先会社での契約社員でしか働けなくなる決まりになってしまった。大手で金銭的には良かったが、社員になってしまうと必ず転勤が何度かあるので退職を決意した。
 幸い派遣元からは会社都合の退職にしてもらえることになった。私は介護業界に興味があったので職業訓練

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まえがき(12)

まえがき(12)

 職業訓練校は授業料自己負担なし。失業給付を受けながら通学できる。入学前は簡単な筆記試験と面接があった。面接時に試験官からカメラマンの会社の退職理由を聞かれた。私は素直に自律神経失調症になったと答えてしまった。すると試験官の目の色が変わった。
 試験官は「今は大丈夫なの?薬は飲んでない?介護はメンタルが強くないとやっていけないから精神疾患はNGですよ!」と、厳しい表情で言った。私はそのとき「今は大

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まえがき(13)

まえがき(13)

 職業訓練校は問題なく入学できることになった。
 話はそれるが、もうすぐ介護業界7年になる。実際働いてる人はそんなにメンタル強い人ばかりじゃない。メンタルやられて休職する人だっている。無神経な性格のベテランが自分勝手に行動することが多いように思う。希望に燃えた若い介護士がベテランにつぶされることもある。離職率は高い。そんな業界を変えたいと思うが私には力が無い。
 そんなことより職業訓練校は想像より

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まえがき(14)

まえがき(14)

 職業訓練校での学びは楽しくもあり、苦しくもあった。毎日出される課題、福祉施設への実習、レポート制作。大変だったが、とても充実していた。
 ただバイトはきつかった。バイト先は100円ショップ。これなら私にも出来るし負担が少ないと思って選んだのだ。
 しかし治安があまり良くない土地の100円ショップは客層が悪く、買ってない商品を勝手に開封したり、会計時の態度も良くない人が多かった。それに加えスタッフ

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