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夏の終わりに

 高校三年生の夏休みのことだ。その日は角笛のように先のとがった月がやけに朱く、雨上がりの空気がまとわりつくような蒸し暑さだった。

 コンビニを出て、すぐにパイナップルの入った缶詰のプルタブを引っ張った。平たい上蓋が面白いように丸まって、黄色い輪っかが顔を覗かせた。甘酸っぱい匂いが空っぽのお腹を刺激する。親指と人差し指で黄色い果実を潰さないようにそっと摘んで、シロップにたっぷり吸ってくたくたになったそれを贅沢に口へ放り込んだ。

 舌でなぞると、パイナップルの酸っぱさと後から来る甘い汁がいっぱいに広がり、疲弊した身体に染みこんでいく。今日も一日よく頑張ったな。ささやかなご褒美を噛みしめながら思った。勉強は嫌いだが、この瞬間がたまらなく好きだった。

「赤澤さん?」

 呼ばれた名前に顔を上げた。振り向くと、白いシャツを羽織った同い年くらいの長身な男の子が立っていた。久しぶり、と親し気に笑みを浮かべた。薄く開いた唇から右だけやけに鋭い八重歯が覗く。

私は目を見開いた。

「……もしかして、稲葉くん?」

 彼は子供っぽく笑った。

小学生以来の再開だった。稲葉くんとは何度か同じクラスになり、席も一度だけ隣になったことがある。

「今から帰り?」

「あ、うん」

 間髪入れず返事をする。妙な間が開くのだけは避けたかった。そっかー、と彼は頷いた。紺色の空を仰いだビー玉のような瞳がちらちらと輝く。奥歯に挟まったパイナップルの筋に舌を添わせながら、じっと見上げていた。

「最近は何してるの?」

 急に視線が向けられ、思わず反らしてしまった。変に思われたかな。心音がうるさくなって制服の下が汗ばんでくる。普通に高校行ってるよ、と味気なく答えた。

「い、稲葉くんは? 何してるの?」

「赤澤さんと同じかな」

「そうなんだ。じゃあ受験するのかな? どこ受けるの?」

 奥歯の筋はまだ取れない。表情が少しだけ強張った気がした。

「うーん、なーんも決めてないなあ」

 その返答は嘘を付いている様子ではなかった。アスファルトに広がった水たまりの上を大きくジャンプした。体操選手のようにしなやかな動作で着地をする。

「どうしたらいいと思う?」

 瞬きを繰り返すだけで何も言えなかった。彼はまたいたずらっぽく笑った。どこからか携帯の着信メロディが鳴る。彼の尻ポケットからのようだった。

「そろそろ行かなきゃ」

 携帯の画面を見て、大きな手を振った。喉元までせり上がってきたものを堪えながら必死に口角を吊り上げる。初恋相手の背が遠ざかっていくのを見ながら、胸の奥が絞めつけられるような感じがした。

「あ、そういえば」

 立ち止まった彼はふと私を振り返った。

「連絡先、交換してないじゃん」

 口の中に溜まっていた唾をようやく飲み込んだ。ほんのりパイナップルの味がした。

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