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とある男の話 とある友人の話


気圧の変化で精神が低飛行なので、今日はなにか好きなものについて書こうと思う。語彙力の低下をお知らせしたい。

と、書き出したものの、好きなものが多すぎてどれを選ぼうかとても悩む…。なにがいいかな、なににしようかな。

日頃から本人に「書いて書いて!」と切望されている、友人の話にしよう。今は遠い地にいる、ひとりの男の話。驚くほどにお茶目で真面目な、彼のお話。



私は基本的に無害な部類に入る、と思う。

人の領域を汚すことを極端に嫌う。それ故に、無意識の我慢というものを知らず知らずにしてきた。これは、私ではなくとも多くの人が経験してきたことだと思う。ここからは、あくまで〝私の話〟。


学生時代に戻りたい、と言う人がいる。

でも悲しいかな、私には思い出すべき学生時代が無い。幼い頃の記憶が無いことは前にも書いたが、学生時代の記憶もとても曖昧なもので。粉々に割れた硝子のように所々の記憶が散らばり、くっつくことはない。そんな疎らで曖昧な記憶の欠片の中で、三番目に大きな欠片が彼だった。


私には三つ上の兄がいる。

とても真面目で見識のある、私には自慢の兄だ。兄はひとつの武道を長く続けていて、友人である彼はそんな兄の大ファンだった。


「その苗字はあの人と一緒だよな?」

初対面時の彼の一言。私の苗字は珍しいわけでもなく、学校や友人の中にも同じ苗字の人は多い。ふと下げた視線の先にある彼の手を見れば、一定の位置にあるマメとタコ。兄の手と重なるそれを見て、私は静かに頷いた。彼は嬉しそうに愛嬌のある顔を弛めながら、まるで我慢していたものを全てぶちまけるかのように喋り出す。

私も筋金入りのブラコンだけれど、彼の愛には適わないとさえ思えた。兄の試合を観た感想から、兄の人となりまで。朝から聞くには胃もたれしそうな愛のこもった話は、二時間ほど続いたと思う。私は相槌を打ちながら、携帯のメール機能を開く。送信先は兄。内容は「やばい人がいる」。

地元にあるジャンクフードのお店で延々と彼の話を聞きながら、私は兄を待つ。一緒にいたはずの私の友人も彼の友人も、いつの間にかいなくなっていた。この頃の私は特に油物が苦手だった。目の前で語り続ける彼は、喋りを止めることなくポテトを食べる、ハンバーガーを食べる。私はシェイクを飲みながら、益々もたれていく胃と共に彼のことを見ていた。

兄が来てからは、まるで借りてきた猫のように大人しくなった。尊敬の言葉や敬愛の情を惜しみなく兄に向けながら、彼はぎこちなくも丁寧に話す。微笑んでいたはずの兄の顔は、時間が経つにつれ老けていく。私の胃はそれ以上に老けていた。


彼は表裏のない人間だった。今も昔も、それは変わらない。真っ直ぐに人の目を見て話し、笑い、泣き、照れ、怒り、苦しむ。驚くほどに彼は〝人間〟だった。様々な出来事が重なり、上手に感情が動かせなかった私にとって、彼の存在は陽の光より眩しく、暗い夜より温かかった。それは今も変わらない。

彼を見ていると 自分が人間じゃないのか、彼が人間じゃないのか、などと考える。彼曰く、私は宇宙人なのだそうだ。つまり、私が人間じゃない。そしてそんな宇宙人である私の兄は〝神様〟。そうなると両親がなんなのか解らなくなる。失礼な。



「好きなことやって死にたい」

彼はそう、神社の絵馬にでかでかと書いた。友人達は笑っていたが、私は笑えなかった。彼は間違いなく〝好きなことで死ぬ〟と思ったから。それは、今も変わらない。


そんな大それたことを言うくせに、日常の彼は驚くほど〝人間〟で。

週に一度は「今から風俗に行ってきます」と、連絡が入る。心底どうでもいい。彼女と別れたばかりで性欲を持て余そうが、そのせいで警察の厄介にならないのなら、私にはどうでもいい。心底。だが、彼の歴代の彼女たちは本当に可愛い。一貫した好みも評価できる。ただ、彼は自由すぎる。


彼の誕生日に一冊の本をあげた年がある。

読書などしない、活字嫌いな彼にあげた本。あれは恐らくもう十年ほど前。栞が挟んである頁は毎年変わり、今年は二十五頁まで読んだそうだ。大事に読んでくれてありがとう。でも、前後の内容すら解らないまま読むのはどうなのだろうか。毎年律儀に送られてくる頁数に、私はいつも笑ってしまう。


私は基本的に無害な部類に入る、と思う。

でも彼には有害らしい。私を見ていると明日にでも死ぬんじゃないか、と思って泣きそうになるらしい。失礼な。大変遺憾である。でも言い得て妙だ。彼の本能は素晴らしい。私はとりあえず、あれからちゃんと生きているから、大丈夫だろう。そもそも、〝好きなことで死ぬ〟人間にそんな心配をされても困る。ありがたいことだけれど、彼の方こそいつ死んでもおかしくはない。


遠い異国の地。

彼はそこを墓場に選んだ。好きなことに全力で立ち向かい、全力で悲しみ、全力で喜ぶ。彼は偶然にも私と同じ星座。ほら、やはり星座占いの方が当たる。そう言うと、彼は愛嬌のある顔を弛めて笑う。つまりは同じ部類の人間なのだ。彼は私にとって有害だ。


無意識の我慢を私たちは繰り返す。

辛くなったら人を遠ざけてしまう。ひとりで居ることを選ぶ。誰かの負担になりたくない。好きな人には笑っていてほしい。だから自分を押し殺す。明日になれば大丈夫。明日になればちゃんと笑える。そんなことを言い聞かせて、泣きながら微睡む。


それなのに、ひとりにはなりきれない。

家族、友人、伴侶、恋人。大切なものが余りにも多すぎて。死ぬことすら儘ならないから、明日も生きる。遺してしまわぬように、悲しませたりしないように。それが〝人間〟だと彼が笑う。私は静かに頷いた。


肩を並べて歩くことも、歩幅を合わせることもしない。

それでも会えばすらすらと言葉が出る。語りたいことがある。聞かせたい話がある。見せたい写真がある。

それが友人というものならば、彼は間違いなく、私の友人なのだろう。


だけど風俗は勝手に行ってほしい。



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