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成りきる

成りきる


サティが今
生活の中で取り入れてるのは
《成りきる》
ということだ。


若い頃のサティは
『乗り感』なんていって
成りきる者達をどこか
蔑んで見ていたんだ。
あたかも自分を忘れ
さっきとはまるで別人みたいに
痴呆のように成りきる姿は
自己のアイデンティティを築くことに
躍起になっていた当時のサティにとっては
バカ以外の何物にも映らなかった。


だけど今は少し憐れむ。
ぎこちない動きをしていた
当時のサティを。
アイデンティティという名の
ガチガチの鎧をかぶり
なんともひとりよがりで不恰好な姿。
若さゆえといえども。


サティの囚われていたものの正体は
自我だ。

自我と言えば聞こえがいいが
それは妄想だ。


《今》が《ここ》にあるのに

今に成りきれない

《今》が《ここ》に悠然とひろがっているのに

ありもしない妄想の中

茶碗を洗っている時は
茶碗を洗う者として
ただ茶碗を洗う者として
そのものに成りきる。
テレビの音や
昨日やり残したこと
明日の心配なんか捨てて
ただ茶碗を洗う者として
そのものに成りきる。

そうやって成りきることを
生活の中で実践してみると
いかにも軽やかにスムーズに
行為が進むことに驚く。
まるで重力を感じないくらい
軽やかに身体が浮かび上がる。


《成りきる》というのは三昧の境地

行為と一体となり
自分を無くすこと


歩く時は
ただ
歩く人に

話す時は
ただ
話す人に

ありがとうを言う時は
ただ
ありがとうを言う人に


役割を与えられれば
ただその役割に
その役割が終われば
またその次のやるべきことに


そうやって一瞬一瞬
《成りきる》ことを覚えていくと
たいがいのことは全て
うまくやっていけるんだ。




* * * * * * * * * * * * *

最後まで読んでくれてありがとう(*^^*)♪

またサティに会いに来てねー(^з^)~.:*:・'°☆



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