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垣根涼介著『極楽征夷大将軍』【なんちゃって感想文📕】

少し前に足利尊氏に関する投稿をしました。

その際、フォローさせていただいているはーぼさんからコメント欄で「尊氏を主人公にした小説が直木賞をとりました」と教えていただきました🌱


これは読まなくては!
と、新しい尊氏に会うべく購入。

またつらつらと感想を述べさせてください😊

ストーリー

タイトルの「極楽征夷大将軍」とは、作中で「極楽殿」と呼ばれている足利尊氏のことです。

しかし、物語は最後まで弟の足利直義ただよし、執事の師直もろなおの目線によって進みます。

尊氏の本音を読者は想像しながら読むことになるわけですが、この尊氏さん思ったことを全て口に出すので、必要ないかもしれません😅

具体的な年代としては、尊氏・直義の幼少期から、2人が争うことになる観応の擾乱じょうらんまでです。

単行本で文章が2段になっており(最近の本では珍しい!)、500ページ超えの読み応えある作品です。


実戦経験のない軍神・尊氏

読み終わった直後の感想は、

「尊氏、本当に何もしなかったな・・・」

単行本だと帯に「やる気なし 使命感なし 執着なし」と書かれていますが、最期までその通りでした。

いや、個人としては頑張っていますよ、
自分で兵法書を読んで勉強しています!
(将軍になって数年経ってからですが。今までどうやって戦してたの?)

ただ、"かっこいい尊氏"を求める人には正直物足りないかもしれませんね。

ものすごい信念で志を貫き、世を動かす・・・みたいなことはなかったです。
それはそれで史実通りなのかもしれないのが、尊氏の面白いところなのですが。

どこを読んでも、

「出家したい」「仕事したくない」「この書類読まなくてもいいよね?」「ハンコ(花押)押したから今日はもう帰るよ」

と、脱力系サラリーマンといった感じです。

(この子供のようなワガママ心を抑えずに成長できたのは凄すぎる、と私は逆に感心してしまいました笑)

しかし、じゃあどうやって天下を取ったの?という問いには、

愛嬌があって人が集まってきたから
運が強かったから

としか読み取れませんでした。
これは私の読解力不足もあると思います💦

じゃあ誰が頑張っているのかというと、やっぱり弟の直義と執事の高師直になるわけです。

弟離れが出来ない尊氏を支える足利直義


尊氏はとにかく直義が大好き。
戦場や政治はもちろん、私生活も直義に依存しまくりです。

郎党が去った直後、入れ違いに兄から自分を呼ぶ使者が来た。

聞けば、いつものように夕餉に呼んでいるという。そしていつものように高国(直義のこと)を相手に、長ったらしい泣き言と愚痴を垂れ流すつもりだ。

  中略(直義は風邪ぎみだと嘘をつき断る)

おそらく兄は、がっかりする。
夕餉から臥所(寝室)に就くまでの夜を一人で過ごさねばならぬのかと、いたく寂しがる。

が、この一大事を前にしては致し方がない。
ひよひよと寂しさに耐えかねて鳴きたいのであれば、今晩一晩は兄に勝手に鳴かせておけばよい。

もはや尊氏の母親のようですが、こういったシーンが作中には何度も登場します。

尊氏の目線で「そりゃ将軍は大変だろうから、精神的にまいってしまう時もあるよなあ」と想像することはありますが、

幕府の仕事に忙殺されているにも関わらず、面倒な身内の相手をしなければならない直義のことを少しも考えたことがなかったので、また見る目が変わりました。

どの時代にも為政者を支える側近がいますが、直義の場合は一族の仲を取り持つことに加え、兄のメンタルまで気遣わないといけないので大変です。尊氏の専門カウンセラーと呼ばせていただきましょう。


尊氏・直義きょうだいを見守る執事、高師直

個人的に、この小説で一番心を引かれたのは高師直です。

高師直というと、どうしても好色で極悪非道、冷淡なイメージが付きまといます。

しかしこちらの小説では、そのようなおそらく「太平記」の創作とされるようなエピソードはなく、常に精神を乱さない理性的な師直が描かれています。

ただ野心は強い。

「尊氏が鎌倉幕府でいう将軍だとすると、自分は執権のポジションになれるのではないか?」

つまり尊氏を傀儡将軍にし、自分が幕府の実権を握ろうと考え始め、それが観応の擾乱に繋がっていきます。

終始クールな師直ですが、心の奥をのぞける場面もありました。

それが、赤松円心との対面です。

赤松円心とは、長年に渡って足利政権で活躍した武将です。

57歳ながら六波羅探題を滅ぼし、新田義貞6万を相手に2千の兵で迎え撃ち(白旗城の戦い )、74歳で生涯を閉じたときも戦の準備中だったという生涯現役!な武将です。

師直はそんな赤松円心を見て、憧れのような気持ちを抱いています。

願わくば自分も、円心のようないつまでも枯れぬ娑婆っ気しゃばっけにあやかりたい。

人間、煩悩ぼんのうがなくなったら終わりだ。
少なくとも師直は、あと二十年ほども経った時に、いかにも世を達観したような訳知り顔の好々爺になり果てるなど、さらさら御免だった。

臨終の間際までその時々の野望を追い求め、常に粘り気のある喜怒哀楽を味わいたい。
それが、現世に生まれ落ちた冥利というものではないか。

コトバンクによると娑婆っ気とは、
「俗世間における、名誉・利得などのさまざまな欲望にとらわれる心。世間体を飾ったり、みえをはる気持ち。」
だそうです。

いつも冷静な師直の、少年のような心(私は冒険心だと受け取りました)が見れる場面で、とても好きでした。

また「粘り気のある喜怒哀楽」という言葉選び。

尊氏や直義のような自分のやりたいことにまっすぐ向かっていく人間では使えない、師直だからこそ似合う言葉だと思います。

野望や欲望は個人のエゴとも取れますが、師直にとっては子供の探究心がそのまま成長しただけだったのではないか。そう思わされるようなシーンでした。

作者によると・・・


垣根さん出身の長崎県の新聞には、直木賞受賞にあたってインタビュー記事が掲載されていました。
以下、気になったところだけ抜粋します。

「今も昔も動乱期に一つの立場や考えに固執する人は沈んでいく気がします。フワフワと波間を漂っている方が、案外生き残れるのかもしれない。でも職場に尊氏がいたら、一緒に仕事をしたくはないですね。」

長崎新聞より


垣根さんの言葉で表現すると、尊氏はフワフワと波間を漂って生き抜いた人物なのですね。

また"固執"を1つの考えや情報に対するものだとすると、尊氏が生きた時代より、情報にまみれた現代人のほうが、波間に漂うことは難しいのかもしれません。

あとがき

歴史上の出来事というより感情面ばかり書いてしまいましたが、その感情の爆発が南北朝時代の魅力でもあると思います。

当時の貴族にさえ「何がおこっているのか、全く把握できない」と言われた混迷の時代。
人が乱れ入りまじる様と、くせになるぐだぐだ感を、ぜひ楽しんでみてください😌

おまけ

書店のポップ

電子書籍で購入したにも関わらず、わざわざ『極楽征夷大将軍』が販売されているところを見に行きました!

尊氏がこんなに注目されることって最近あっただろうか・・・なんだか嬉しくなりました🌷

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