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【光る君へ】第5話「告白」感想:まひろ世代の今後を"占う"回

 幼い日に会った「三郎」の正体が右大臣家の三男であったこと、そしてその次兄こそが母・ちやはの命を奪った「ミチカネ」であることをまひろは知って寝込んでしまいます。快復したまひろは為時を問い詰めますが、為時は「惟規のため」として改めまひろに忍従するように言いつけるのでした。一方、道長は悩んだ末にまひろに手紙をよこし、ついに2人はある晩に会うことになります。まひろは道兼のしたことを道長に語り、道長はまひろを信じ、帰宅した際に道兼と争ってしまいます。
 折しも内裏では花山天皇の専制君主ぶりと、彼の寵姫である忯子の病気が取りざたされます(※「具合が悪いのは愛されすぎているからだ」とする女房の噂話も、前回の緊縛シーンがあるので説得力が増します)。懐妊した忯子の子を兼家は呪おうとし、晴明を呼びます。天皇の子を呪うという企てに抗おうとする晴明でしたが、これが多くの公卿たちの密かな願いであることを知ると、受け容れることとします。散楽に登場した「コウメイ」、もとい源高明もこのように失脚していったのでしょうか。
 花山天皇の治世が展開していく中で、政治の混乱も深まっています。まだ歴史の傍観者にすぎない道長やまひろは、この後もっと政情に巻き込まれていきそうです...。


個性の出てきた4貴公子

 道長、公任、斉信、行成の同世代カルテットが今回も一緒に勉学に励んでいますが、今回の会話からは道長以外の3人の個性がよく出てきました。
 中でも外せないのが(今回も?)公任です。前の場面では天皇の叔父にあたる義懐と、天皇の乳母の子である惟成の専横の様子が明らかになっていますが、2人のことを公任は「成り上がり」呼ばわりし「俺は彼らには従わぬ」と宣言しています。公任が2人を軽侮するのはもっともで、公任は単に関白・頼忠の息子というだけではなく、彼の血統(祖父・実頼 - 父・頼忠 - 公任)はいわば藤原氏の嫡流なのです。これに対し、義懐は実頼の弟・師輔の子孫にあたります。ちなみに最初に述べた同世代4人の中で実頼の系統に当たるのは公任だけで、道長・斉信・行成は全員師輔を父方の祖父or曾祖父としています。公任は目の前にいる斉信にも涼しい顔で「妹御にすがって偉くしてもらわねば」などと憎まれ口をたたいています。これは友人へのからかいでもあり、ある面ではまた公任の血統に由来しています。なお、惟成は藤原氏の傍流も傍流で、血筋だけで考えると彼らのすべてに敵いません。
 ただし同時に、ここでの公任の高慢な態度は、彼の弱みの裏返しとも読み取れるかもしれません。公任は先帝・円融天皇の中宮である遵子の弟にあたりますが、彼女はとうとう跡継ぎを産まず、公任は天皇の外叔父になるというチャンスを掴めませんでした。この天皇の外叔父という立場を現在ものにしているのが、先に出ていた義懐です。そして斉信は現帝・花山天皇の寵姫の兄であり、もし2人の子が将来東宮、そして天皇になることがあれば、彼もまた義懐のように政治を掌握する可能性があります。これらのことを考えれば、公任が放った義懐や斉信への軽口は、藤原氏嫡流であり関白の令息であるという血統に由来する自信の現れであり、同時に自身と皇室との血縁の薄さに由来する焦りが出たものとも読み取れます。もっと言うなら、道長は遵子のライバルで彼女と違って皇子を産んだ詮子の弟にして、現東宮の叔父である道長のことを露骨にライバル視しても良いとさえ言えますが、公任はなぜかそうしていません(上に道隆、道兼と2人も兄がいるからでしょうか)。とはいえ、頼忠が宴席で憂えていた通り、公任の立場は先を考えると盤石とは言い切れないのです。
 ちなみにのちの道長のセリフから、4人が会っていたのは四条宮という屋敷であることが分かり、これは公任の家にあたります。公任の(現時点での)リード役としての立場が、彼の家で勉強会が行われていることからもうかがえます。
 今回の斉信は「関白殿の世は過ぎた」と言いつつ、公任にしてやられてばかりです。ただし、公任とは違い、斉信は銅銭の普及や荘園整理など、現在の朝廷の政策を冷静に見据えた発言もしています。次週予告では清少納言が彼の歌をほめている場面があり、『枕草子』でも清少納言と斉信の交流の様子が描かれることから、彼の処世術はこれから見えてくるのではないかなと思います。
 行成もそれはそれで個性が出ているように思いました。言い合いをする公任と斉信の間にて、黙って聞いたり仲裁したり、また話を反らしたりもしているものですから、却っておっとりとしたキャラクターが引き立っています。行成は父を早くに亡くしていることが立場に影を落としていて、そうした苦労人な一面が出ているのかもしれません。行成は道長に恋文の代筆を申し出ていますが、これは行成が道長に取り入っているとみればよいのか、それとも、後に書の大家となる彼なので単に何か書くのが好きなのかが気になるところです。

兼家の次世代への眼差し

 頼忠、兼家、雅信が酒盛りをしているところに、倫子が猫を追いかけて出てきます。酒盛りは雅信の家で行われているようです(確かに頼忠も兼家もあとの2人を自宅に招くことはしなさそうです)。兼家はここで倫子が目に留まったようですが、コレこそアレですね、『源氏物語』の中で源氏の妻のひとり・女三宮が柏木の前に姿を現してしまう筋書きが意識された場面ですね。倫子を見つけるのが、若い柏木を重ねられる人物ではなく中年の兼家であることも、笑えるので何だか逆に上手い気がします。兼家はかねてから気にかけていた「雅信の娘は天皇への入内を考えているのか?」という問題の核心に、不意な形で迫ることとなりました。【以下ネタバレ】このあと倫子は、結局兼家の子に嫁ぐことになるのですが、今回の出来事が影響してくるのでしょうか。
 その兼家は、今回妻の一人・寧子(藤原道綱母)のもとを訪れます。2人の間に生まれた道綱を愛でる一方で、兼家は道綱に「我が家の3兄弟と同じとは思うな」と告げます。実際、嫡妻の息子とたちはそうでない妻の息子との出世ペースに明確な差が出ますし、道綱もその例には漏れません。寧子は道綱を「道隆様の次の子」と念押ししますが、兼家は彼を「我が家」の子としてさえ見なしません。当の道綱は、それでも父の残酷な言いつけを笑顔で受け止めていて何とも同情を誘います。良いことあってくれ…。蛇足ですが、子供の頃にクイズヘキサゴンを観ていた身としては、上地さんがこんな役を与えられて大河に出てきているのは感慨深いです。
 その後、まひろから真相を打ち明けられた道長は怒りにかられ、兼家の目の前で道兼を殴打します。道長の強い自我を目にした兼家は、彼のことを頼もしく思ったようです。弟に殴られた上に、畏怖する父はその弟のことを褒めるので、道兼はとても悲惨な立場に追いやられました。なおこのとき明らかになったこととして、兼家は道兼がちやはを殺したことを道長以外の経路から知ったようです。彼が道兼の罪をどこで知ったのか…これはのちに回収される伏線なのか、単に兼家には兎に角何でもお見通しであるということなのか、気になります。

まひろの「物語」観

 散楽を表の生業とする直秀に、まひろは「身分を笑い飛ばすために散楽やってるんでしょ」と言います、直秀はそれを認める一方で、それが世の中を変えることにはならないという諦観を示します。今回の大河ドラマは、ある面では紫式部の一大業績である『源氏物語』の執筆に、紫式部がどのように至ったのか?道筋を描くドラマであると個人的には思っています。そして散楽もまた、これまで示されたように政治を風刺した物語の一種とだ言えます。直秀の散楽に対する態度は、この後一大物語を著していくまひろにとっても何か影響力のあるものとなったかもしれません。今後もこういった、物語に対するまひろの態度が見えてくるような場面に注意していきたいところです。

その他

◆詮子の「裏の手」:詮子は兼家との和解を説く道隆を「裏の手がある」と拒絶しますが、この「裏の手」が何を指しているのかは今回明かされませんでした。これは道長のことかなとも思いましたが、道長であれば道隆にとっての「裏の手」とは言えないような気がします。いったい何なのでしょうか。ちなみに詮子は、退位した後の円融天皇(=円融院)その人にも会っていたようで、もしかしたらこのあたりに「裏の手」があるのかもしれません。
◆引き続き孤独な実資:花山天皇の政治に(理解者もなく独りで)懸念を示しています。前例によって積み重ねられてきた経験知を口にし、間違っていることは話していないという実資のキャラクターが今回も光りました。思い込んだら一本道な職人肌なところが、何というか秋山さんのクリエイターズ・ファイルを想起させます。

◆道長とまひろが会っているところを観ると、もう当時のことだからこれはただならない関係じゃん—!となりそうですが、このドラマの世界ではそういうわけでもないようです。

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