あの時の顧問へ捧げるメッセージ

近年、「ジェンダー」に関する考え方が多様化している。私が子供の頃の世の中は、「男は男らしく、女は女らしく」というお堅い考え方が、残り香のようにほんのり残っていた。恋愛対象は当然の如く異性。子供の頃の私は、そこになんの疑問も持たなかった。

でも今は違う。同性同士で堂々と愛し合っていいし、「ジェンダーレス」という言葉が社会に浸透しつつある。「自分は自分」という考えを良しとする風潮になってきて、これまでより生きやすくなった人が多いのではないだろうか。

しかしジェンダーに限らず、昔ながらの考え方はまだ残っている。簡単に風化させることはできない。中には、昔ながらの考え方で苦しんだ人も多いだろう。私もその一人だ。


人生に衝撃を与えた中学時代

私が中学生の頃の話。初心者ながら剣道部で日々汗を流していた。勢いある先輩方、フレンドリーなOBOG、男女問わず仲の良かった同級生。稽古がきついこと以外は、普通の部活ライフを送っていた。

しかし、私が中学2年生の時。とある練習試合で、忘れもしない出来事があった。顧問に私自身を否定されたのだ。それも、日頃の鬱憤を吐き出すかのように。

当時、私は遠方にある大学の体育館にいた。広い室内を試合スペースが隅々まで張り巡らせ、学生や顧問が所狭しと並んでいる。竹刀を振る音、ヤーという掛け声、決め技をアピールする甲高い声。さらに、試合スペースの周りで懸命に応援する仲間の声、顧問の熱い指導。様々な声が体育館の中で響き合って、ピリッと緊張が走る。

弱い私は強敵を相手に、ボッコボコにされた。ボコボコではない。ボッコボコだ。普通、剣道は2本先取で勝負がつく。しかし練習試合なのをいいことに、時間内なら何本取ってもいいというハチャメチャなルールで試合が行われていた。それゆえ相手に10本も技を取られ、ボロ負けだったのである。

私が所属していた剣道部は、試合後顧問の元へ向かい、試合についてアドバイスや叱咤激励を受けるのが"暗黙のルール"。そこまではよかった。ボロ負けだし、怒られるのは目に見えていたから。ある程度覚悟した上で、私は顧問の元へ走った。

しかし、私は驚いた。顧問が試合のことに限らず、私の練習態度に文句を言い始めたのだ。具体的な言葉はもう覚えていない。でも、顧問が次から次へとまくし立てられるように、怒鳴り散らしていたことだけは覚えている。散々私を叱った挙句、顧問はこう言い捨てた。

「だからお前は弱いんだ」


私はとにかく悲しかった。顧問に身体を押されて、崖から深い海の底へ突き落とされたような強い衝撃。しかし、顧問への怒りや弱いことへの悔しさは、不思議と感じなかった。

そこで私も何か言い返せばよかった。顧問がよく見ていないだけで、それまで練習は一度もサボっていなかった。私は私なりのやり方で、稽古し続けた。しかし、顧問は男。自分が部内で最もえらい。そう思っている顧問に、私は何も言えなかった。どれだけ言っても、顧問の心に私の思いが届くことはない。私は子供ながらそう悟った。

その後の私は休日の練習を全て休み、顧問とは極力会わないという私なりの抵抗を繰り返した。その後、転部を機に剣道部を退部。退部前、担任に勘づかれてこの話をしたけど、担任からのアドバイスはイマイチ納得できず。

その上、あの練習試合から「退部してやる」という考えは、片時も私から離れなかった。それくらい、当時の私にとっては衝撃的で、人生を大きく変えられた出来事だった。きっと今の世の中だったら、パワハラとして不特定多数からのバッシングを受けていただろう。


「弱い」と言ってきた、あの時の顧問へ

あなたの言葉が私の心を深く傷つけた。昨年心身の調子を大きく崩したことで、その傷が再び痛み始めている。人生が何度も狂って、おかしくなりそうだ。

それでも、あの時よりも私は強くなった。弱い自分を受け入れられるようになった。自分らしく生きることを心がけるようになった。もう、あの時の自分はいない。男女という性別を抜きにして、あの時の私より今の私の方が圧倒的に強い。今は女だって強いのだ。

あの時のことを謝ってほしい、とは言わない。過ぎ去ったことをこれ以上争っても、私の心は傷つけられるばかりだから。でも、あの時のことを忘れないでいてほしい。あの時、私が大いに傷つけられたことも。どうかそれらを頭の片隅に置いて、これからの未来を背負う子供たちと接してほしい。

あなたが教師としての使命を果たすことを、私は心から願っている。

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