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【本レビュー】『恋文の技術』

あなたは、手紙を書いたことがあるだろうか?

普及したインターネット、当たり前のように持つスマートフォン、コップいっぱいに注がれた水のような情報量、いろんな言葉が蔓延るSNS。手紙どころか、ペンを持って文字を書くこと自体少なくなっているのかもしれない。

ちなみに、私は手紙を書くのが好き。今はほとんど書かないけど、子供の頃はよく書いていたものだ。思ったことを口に出すのが苦手な私にとって、手紙は自分の気持ちを素直に表す大切な手段。特に両親へ手紙を書くことが多かったな。


手紙を書く面白さを改めて感じた本がある。森見登美彦先生の『恋文の技術』だ。

主人公・守田一郎(職業:大学院生)は、ある日能登の研究所へ飛ばされてしまう。何もない空しさ、孤独であることへの寂しさを埋めるために、彼は先輩や友人と文通を始める。彼は「文通武者修行」と題して、研究の合間を縫って文通をする。しかし、”ある人”にだけはなかなか手紙を書けずにいた。

果たして、彼の「文通技術」は成長するのか。そして、彼は”ある人”に手紙を書けるのか…。ほっこりして、クスッと笑える。そんなお話。


守田一郎の手紙は滑稽すぎる

この物語は、主人公・守田が書いた手紙によって展開されている。森見先生曰く、「書簡体小説」というそうだ。あとがきを読んで、初めて知った。

守田が書く手紙は、面白い。でも、ただ「面白い」と一言で済ませることは到底できない、面白さを持っている。拝啓・草々をはじめとする手紙の始まりと終わり、時候の挨拶は律儀に書かれている。目上の相手にはきちんと敬語を使い、家庭教師時代の元教え子には読みやすいようにひらがなを多用。そういう細やかな気配りは完璧なのに、肝心の内容は本当にぶっ飛んでいる。

たとえば、友人を「マシマロ野郎」と罵ったり。守田に意地悪してくる先輩には、手紙の中で宣戦布告して戦争が勃発。ごく稀に卑猥なワードが使われているし、怒りの勢いに任せて書かれている部分もある。偶然か必然か、著者と同姓同名の「森見登美彦先生」も登場する。

詳しく言ってしまうとネタバレしすぎるので、過度なネタバレは控える。でも、守田の手紙は一つ一つが本当に面白い。なんでそんなことを書いているの?と守田に聞きたくなってしまう。クスクス笑えて、ページをめくる手が止まらない。私は森見先生の小説が初めて読んだけど、こんなに面白いんだね。私のお気に入りの本に、仲間入りした一冊だ。


守田は本当に恋文の技術を磨きたかっただけなのか?

物語の軸にあるのは、守田の「文通武者修行」。守田が手紙を書いて書いて書きまくる。本業の研究はどこへ行ったのか、と思ってしまうくらいの熱量。物語が進むごとに面白さや言葉の激しさは増すけど、文通の技術が上達したかは微妙。途中、文通代行業をやろうか、なんて嘘か本当か分からないことを書いていた。そんな仕事、現実世界にはあるのだろうか。

私個人の見解だけど、明らかに守田の「文通武者修行」は手段に過ぎない。文通代行業の会社を立ち上げるなんて、そんなことを守田がやるとは思っていない。イマドキ(?)の言葉で言うと、守田は”へなちょこ”な男だからだ。

守田の文通の目的は、渾身の恋文を書く練習。宛先はもちろん、”ある人”。先述の通り、守田が書く手紙はなんとも滑稽すぎる。どういう思考回路になったら、あんなに”変”な手紙を書けるのだろう。それなのに、肝心の”ある人”への恋文には相当悩む。”ある人”への恋文を幾度となく書くものの、それは全てボツになる。そんな守田の姿は、恋する乙女並みの健気さ。なんとも可愛らしい。そんな可愛らしさが、物語にアクセントを加えてくれる。本当に面白い物語だった。


手紙を書くのは好き。でも、恋文を書いたことはない私。そんな私の心をくすぐってくれて、クスッとふふっと笑える。微笑ましい小説。

ここまで読んでくださったあなたもぜひ、読んでみてはいかがだろうか。

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