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失恋から始めるわたしのはじめかた⑫

前回の続きから↓


最近、有難いことにたくさんお芝居をさせていただいていて、いろんな気持ちが心の中に渦巻いて、自分のこと書くのになかなか余裕が持てませんでした。でもそれをお芝居に昇華できた時はすごくうれしいから、分からなくなるだけ分からなくなりたい。お芝居って面白いなー。と改めて感じる今日この頃です。

さて、私生活がいったん落ち着いたので、失恋から始めるわたしのはじめかたをまた書き進めていきたい。これは私のライフワークだと思っているのでこの人はこうなんだな~くらいで是非気楽に読んでいただけると助かる。

今日は志望校の選び方とサイコドラマについて、だ。

🌸ここまでのあらすじ
失恋を経て自分が空っぽだと気が付いたわたしが心理学に出会い、臨床心理士指定大学院を受験しようと決意した…。
このブログは、きっかけとなった失恋の6年前から私がわたしをみつけていく過程を書いているブログです。

大学院の志望校の選び方


大学院の志望校選びに関しては、すごくコロコロ意見が変わった。私は最初、臨床心理士になりたいという目標だけがあり、その受験資格を取るにはどこで学ぼうとそんなに大差はない気がしていた。
でも、どこでもいいからこそ、一度はめざしてみたい大学に挑戦してもいいかなあとも思っていた。なので、最初は東大京大をめざそうと思っていた。過去問見て難しすぎてやめた←

次に慶応を考えた。なんでやめたのか覚えていない。←
次に名古屋大学名古屋市立大学を考えた(名古屋居るし)。特に名市大は心理の大学院ができたばっかりで、一期生二期生という響きが魅力的でなんかいいなあとミーハー心で惹かれていた。

という感じで、志望校選びはすごく楽しかった。だって、大学を選ぶときはこんなところ行けると思ってもいなかった憧れの大学名をぽんぽん出せるのだ。大学受験の時のように親がお金を出してくれているわけではなく自分の稼いだお金で全部やりくりするので、受からなかったとき困るのは自分だけ。だから自由に後先考えずに受からないかもしれない志望校を考えることができた。守るものがないって強い。

名だたる大学名を挙げているが、逆にあまり志望校にこだわっていなかったのがいいのかもしれない。本当に遊びのように、ここいってみたーい。というミーハー心で志望校をポンポン出していた。カウンセラーは、いくらいい大学へ行ったとしても、どれだけ知識があったとしても、人の気持ちに寄り添えなかったら意味がない。むしろ学歴にこだわるような人は向いていないはずだと思っていた。だからいい意味で、大学名にあまり圧倒されることなく選べていたのかもしれない。

でも、研究テーマが決まってからはちょっと悩んだ。
研究テーマは「サイコドラマ」。
お芝居を使った心理療法だ。
(お世話になった四谷学院の引用をする)

サイコドラマを研究するには、サイコドラマを研究している先生がいる大学院へ行くのがもちろんいい。
しかし、日本でサイコドラマを研究している人はかなり限られている。
お芝居を使った心理療法はあまりメジャーな心理療法ではないからだ。

そうなると、選べる大学院はかなり狭まってきた。
後で書くサイコドラマの恩師の先生に聞いたり、書籍や文献を参考にしたところ、どうやら、東京か九州へ行くしかなさそうだ、ということが分かった。

東京なら、M大学K大学S大学R大学
九州なら、K大学などだ。
あとは、ドラマセラピーという心理療法を研究されているR大学。そのほかどれほどお芝居を使うということにこだわるかによって、大学を選ぶ幅も変わってきた。

しかし、私はサイコドラマもドラマセラピーも文献や本でしか知らず、実際に体験したことがなかった。

ということで、2017年1月。とりあえず東京へサイコドラマを体験しに行くことに決めた。

サイコドラマについて

名古屋からせっかく上京するのにサイコドラマだけではちょっともったいないので、東京に住んでいる友達に会って、土曜日はサイコドラマ・日曜日はプレイバックシアターというこれまた芝居という表現を使った心理療法を受けることに決めた。

事前にお世話になる先生に連絡して、東京に泊まる手配を整え、ついでに近いのでM大学もちょっと見る予定を立てた。

この時の行動力はなかなかだなあと思う。とにかくやりたいことに向かえる楽しみにワクワクしてドキドキして、新幹線の中でもワクワクして論文を読んだ。

ついた集会所では優しい女性の先生が迎えてくれた。その先生がその後私の大好きな先生になる、I先生だ。

サイコドラマは「ウォーミングアップ」という心と体を解きほぐす表現のワークから始まり、実際誰か主役を募ってその人の抱えている物語をそこにいるみんなで演じる「ドラマ」の段階を経て、そこでの体験をシェアする「シェアリング」の段階へつながる三段階で行われる。

最初の「ウォーミングアップ」では、私はもともとお芝居とかやっていたためあまり臆することなくできたが、芝居になれていない人がいきなりこれをするのは結構恥ずかしいなと感じた。いきなり知らない人の前で何かを表現をするのはやはり恥ずかしい。でも大切な段階だ。

「ドラマ」では、みなさんの芝居に感動してしまった。演技がうまいのではなく、なんというか…心に刺さるのもがある。みんながみんな自分の心を使って、主役のために動いていて、それが見ているほかの人の為にもなるから、芝居をしている意味が通常の舞台より重いという感じだろうか。思いに対しての願いみたいなものをじわじわと感じた。

「シャアリング」では、みんな話しっぱなしで意見を言わない。体験したことに誠心誠意向き合ってな時に涙を流しながら話す。そこで体験したことと関係なく思い出したことをしゃべってもいい。なんでも話していいというのが不思議な体験だった。

初めてのサイコドラマ体験で、分かったこと、分からなかったことがたくさん出てきた。サイコドラマはすごく考えることが大事だが、それと同じくらい感じることが重要だ。だから言語化が難しい。これを研究するのはかなり難しそうだなと思った。数値化できそうにないからだ。

翌日のプレイバックシアターでは、前日のサイコドラマの成果もあり、心の琴線がゆるゆるで、号泣してしまった。私が高校生の頃、女優になりたかった夢を持っていて、叶えられなかった事を演じてもらった。それでも今ここ(自分のやりたいことに向き合うためプレイバックシアターを体験しに東京に来ている)にいるという前向きな綺麗な終わり方にしてもらえた。

サイコドラマとプレイバックシアターを体験して、説明のつかない思いをかかえて名古屋に帰った。

分かったことは、サイコドラマを研究テーマにするならやはりサイコドラマを研究している先生につかないと、やっぱり無理そうだ、ということだった。
サイコドラマの監督をしていたI先生に「大学院に入りたいんです。どこでサイコドラマを研究できますか?」と聞いて、研究できる大学院を教えてもらって(本当はI先生につきたかったが、教授ではなかった)志望校にした。(それがさっき書いた大学名だ)

行く場所は東京にした。サイコドラマのワークショップがダントツ多いのが東京だったし、昔から行ってみたかった場所だからだ。

そうなると、志望校はかなり狭まっていった。M大学は残念ながら先生がいらっしゃらなくなってしまったので、S大学かK大学かR大学だ。

昔から東京に行きたかった。日本で一番栄えている所へ行ってみたかった。
お金がかかりすぎるかもしれない。優しい人がいないかもしれない。
貧しい暮らしになるかもしれない。結婚が遠のくかもしれない。
でも
行ってみようよ。
東京
やってみようよ。
わたしのあしであるく道。

過去の日記にこう書いてあった。昔からポエマー。

研究計画書をKA〇SのM先生に見てもらいながら書き上げて、それぞれの大学のオープンキャンパスへ行って、サイコドラマも何度か東京に受けに行って、7月にいよいよ大学院受験をした。

最初に受験したのはS大学。一次試験の筆記が終わったら結果が出て、そこで番号が書かれていたら次の面接に進める。私は番号が書かれていた。午後の面接が終わり、その二週間後に結果が出た。

7月15日。おばあちゃんの誕生日。
私はS大学の大学院に受かった。

番号打ち込んだらこれが出てくる仕組み。かわいい。嬉しくてスクショした。

あとは、K大学R大学を受けるか受けないか考える必要があった。

しかし、ここまで読んでお分かりだと思うが、私はまだバリバリ学歴を気にして生きていた。学歴を気にする必要はないといったとはいえ、一度見についてしまった価値観というのはなかなか変わることはない。
そこで受けようか迷いだしたのが、ドラマセラピーがあるR大学だ。

大阪じゃ。。
27歳の私は、ぶれぶれだ。(苦笑)

⑬へ続く

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
ここでもう一度「わたしをはじめる」という定義を考えたい。わたしをはじめる本当の意味でのスタートは、大学院に入ることでも、臨床心理士として働くことでもなかった。
ここで、わたしが27歳になった翌日の日記を読んでほしい。こんな日記を残している。

11/8 「私の複雑さん」
霧の多いには魔法がかかっているようだ。
普段には会えない人に出会えそう。
そう。今日の夜ランニングをして
今日私は出会ったのだ。私の複雑さんと。
彼女は私を複雑にしている存在。
男の子といると「いやらしい‼」と怒って、流行にのろうとすると「クズにまみれて自分で何も考えれない奴‼」とののしる。
「お前なんて手首切ってやろうか‼」と言ってくる。
「わたしなんて死ねばいいのに。」と私に思わせる存在だ。
わたしの右手にしがみついて、ギリギリと歯をすり合わせて、充血した目とボサボサの髪、死刑囚のようなぼろ布をまとった小さい女がいた。すごい目で私をにらんでくる。
でもこの人がいなかったら私は今までやってこれなかったのだ。
期待すると裏切られるから、その前にののしってくれていた。
君がいなかったら、私は今まで私を保ってこれなかったんだよ。
私を罰する存在。でも私にはとても重要な存在。
だから私は彼女を「複雑さん」と名付けた。
「ありがとう。これまで守ってくれてありがとう。」と言って抱きしめようとしたら逃げたけど、無理やりにでも手を握って帰った(笑)
これからはたまに隣を歩いてよ。
話し合って一緒に考えよう。まだ一緒に居てよね。
私の「複雑さん」

もちろん、この「複雑さん」と実際にあったわけではない。私がその時、私の右手に感じた重さを文章化したものだ。しかし、この、ぼろぼろの服を着た私のことが大っ嫌いな小さな女の子のイメージは、この後いろんな時に形を変え出てくることになる。その他にも色々私の中にはいろんな存在がいた。最近は、ハコに入って引きこもっているイメージでだ。私の中のイメージの話だけれど、この子と仲良くなるのは早々簡単なことではなかった。最近、すごく落ち込んでいた時に自分の顔を見たら「大丈夫。信じて。」と目だけが言っていた感覚があった。あれはあの子だったんじゃないかな。と思う。だからそこまで書かなきゃな、と思っている。

その時書いた「複雑さん」

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