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どんなに離れても故郷と呼ばせて

 4週間におよぶ日本滞在も残すところあと数日。今、私の頭の中では松任谷由実さんの「Hello, my friend」がリピート再生されており、おセンチな気分に浸っている。

私にとってこの曲は、大好きな鵠沼海岸を思い出させる曲だ。

鵠沼は、亡くなった前夫と、愛犬と、暮らした町。サーフィンを覚えた町。東京でバリバリ働いていた自分が海を中心としたのんびりした生活へと大転換をはかった町。

今回の日本滞在は、軽井沢→現夫の実家→湘南・鵠沼→自分の実家と関東圏を大移動し、亡夫との思い出が多くて長いこと避けてきた東京も散策したが、自分にとってのメインイベントは湘南・鵠沼に滞在することだったと、旅も終盤になって確信した。

私が帰るのを楽しみにしていたのは日本というより、湘南・鵠沼だったと言っていいくらいだ。

よく考えたら、いや、よく考えなくても、アメリカで再婚した私は、亡夫の親族とは書類上は親戚ではなくなってしまったし、それを機に自分の戸籍も実家のある町に戻してしまったしで、鵠沼はもう厳密には故郷とは言えない。

それでも、亡夫のお父さんは、かつて亡夫と私が暮らしていた部屋をそのままにしておいてくれていて、電気やガスも止めておらず、私が「帰りたい」というと快く迎え入れてくれる。

私はそれを当たり前のように享受して、実家のようにいさせてもらい、美味しい料理を散々ご馳走してもらい、波乗りをし、地元の友達と会った。

なんと幸せなことだろうか。

亡夫が亡くなって10年。亡夫のお父さんが引き継いでくれた愛犬が亡くなってからは初めての日本訪問。鵠沼で、懐かしい景色を目にして、思い出がたくさん蘇ったけれど、驚くことにそれで涙が溢れることはなく、むしろ胸が温まった。

いい思い出をいっぱいありがとう、って。

この町とご縁をくれてありがとう、って。

気づけば、亡夫が亡くなってからの思い出も増えていて、亡夫のお父さんとの思い出もこの町にはたくさんあるのだ。

「Hello, my friend」にはこんな一節がある。

もう二度と会えなくても友達と呼ばせて。
離れても胸の奥の友達でいさせて。

私は鵠沼と、鵠沼に暮らす亡夫のお父さんを重ねて、こう変換して聞いている。

もう書類上は親戚でなくても、お父さんと呼ばせて。

どんなに離れてしまっても、故郷と呼ばせて。