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【ネタバレ有】映画『オカルト』考察レビュー

2009年に公開された映画『オカルト』。白石監督の世界! という設定や世界観がたまりませんでした。
ネタバレ無しのレビューも投稿しました。

オカルト(2009年) / 「啓示」か

でもやっぱりネタバレ有りの感想も書きたくなったのでnoteに投稿します。
こちらはネタバレ有りなので未見の方はご注意ください


何が「オカルト」だったのか


画像出典:amazon.com

※白石晃士監督等、実在の人物が本人役で登場しています。
作中のキャラクターと区別するため、キャラクター名は敬称省略しています。

題名は「オカルト」ですが、本作にはあまりオカルト要素はなかったように見えます。本作は「オカルト」をメインに映す作品ではなく、オカルトに傾倒していく「人」を映す作品なのです。

Netflixのドキュメンタリーシリーズ「カルト教祖になる方法」。この作品では、元カルト教信者の生の言葉を聞くことができます。なぜそんな怪しい人物の、怪しい言葉を信じて、過激な行動を取ったのか? 
ある元信者の「奇跡を見てしまったから、信じるしかなかった」という言葉がかなり印象的です。
ありえないような奇跡が起きた、それを見た。否定できないなら、それが事実になる。信じるしかなくなるのです。
トリックかもしれない……という考え、「トリックである」という可能性を考えられない状況を作り出せればその人はあなたの信者になる。という内容でした。

本作の白石の状況はまさにこれに当てはまります。人を大勢殺す、テロを起こす。そんな考えを聞いて白石は江野を止めようとしました。当然の行動です。しかし、前半の謎を追うパートで白石は十分に奇妙な現象を「感じて」いました。そして、目の前で本当に起きる奇妙な現象の数々……。白石は「奇跡を見てしまった」のです。こうなってしまったら「信じる」しかありません
まさに「オカルト」のカルト信者になった瞬間です。常識と良識を持った人だった人が、あの一瞬で「信者」になってしまったのです。

妄信で「啓示」を見逃す

計画実行の日、インド料理を食べてインディの映画を見て……。江野は「啓示や」「運命や」と言っていました。

偶然の出来事を「こうなる予定だったんだ」と捉える、ということをスピリチュアルや自己啓発なんかでたまに聞きます。
たまたまの出来事・偶然を、「必然だったんだ」「こうなる運命だったんだ」と言う。
自分の都合の良い出来事を、自分の都合の良いように解釈しているにすぎません。
とは言え「物事をポジティブに捉えて、自分を鼓舞する」それ自体は悪いことではないでしょう。
ただこれは「啓示だ」と固執しすぎると……。

江野は、使命を信じて偶然に固執し続けました。その結果「地獄だぞ!」という本当の啓示を聞き逃してしまうのです。
江野のカバンの中身が何なのか知らないはずの赤の他人が、カバンをひったくって「やめろ!」「地獄だぞ!」と叫ぶ。これこそ偶然とは思えない出来事なのに、江野も白石も思いとどまりませんでした。

人は信じたいものしか信じない。妄信する人に声は届かない。
そんな皮肉がガツンときいていました。

警告に耳を貸さず、妄信的に行動した江野がどうなったのか……。
最後、向こうの世界へ行った江野は「助けてくれ」と叫び苦しんでいます。奇跡を起こし行動を起こさせたのは、良い神様ではありませんでした。江野たちは利用されたのです。人間ではない、とてつもない力を持った「何か」は、信者たちや信者が集めてきた人間の苦しみを食べているかのよう……。
「オカルト」に傾倒した人こそが、食い物にされる。
この皮肉もまたかなりの強さです。

さいごに

さて、白石監督の作品では、それぞれの作品や人が実は関係していて……ということがあります。本作も他の作品とのつながりがあるようです。ミミズのような影や大きな雲のような影・存在、そして世界のはざまの恐ろしい時空……。
「コワすぎ!」シリーズや映画『殺人ワークショップ』につながるような演出が多数登場します。
本作を観ていると、これらの作品の演出の見方も変わってくるでしょう! 
首だけになって苦しむ空間。この時空がどれだけ苦しいのか、江野は知っている。
渋谷の交差点に消えていく江野……。
白石監督作品を観ていれば観ているほど、「あ!」と思う部分が増えていきます。
気になった方は、「コワすぎ!」シリーズ、映画『殺人ワークショップ』『ある優しき殺人者の記録』『オカルトの森へようこそ』『カルト』等も是非! 
白石監督作品にどんどんハマっていきます。

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